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「人生の逝き方」

「人生の逝き方」

この演題は私がつけたものではなく、綾部の高齢者学級の主催者の方からいただいたものである。かなり私にはハードルの高そうな演題ではあった。

もちろん仮題なので、変えていただいてもいいですと聞いてたが考える間に、当日になっていて、面倒だから、そのままの題で先月お話をした。まあまあ、思いの外、それらしいお話が出来たので、しばらくは、ほかでもお願いされた高齢者学級の演題はこれでいこうと、厚顔無恥を決め込んだ。明日、日本を代表するような水源の里(限界集落の名前をこう読み替えて綾部市を中心にそういう活動がある・・・)の奥神林地区でお話をする。

で、そんなことなどを地元の市民新聞に、投稿させていただいた。昨日掲載していただいたので、よろしければご覧下さい。

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「人生の逝き方」

先日、中上林地区の高齢者学級の講話に招かれた。「人生の逝き方」という表題を頂戴していた。

会場は農繁期だというのに、用意された席いっぱいにおいでいただいた。高齢者学級だから、みなさん、私より長く人生を生きてこられた方ばかり。そんな諸先輩を前に「人生の逝き方」を話すというのは、いくら還暦は過ぎたとはいえ、おこがましい限りである。

でもまあ修験僧になって法臈47年(ほうろうとは僧侶になった年数のこと)。逝くということは、それまでをどう生きるかということでもあるので、仏道修行を通じて学んだことをお話させていただいたのである。

内容はまだこれからも綾部市内のいろんなところでお話しする機会があるので、是非、直接聞いていただけたらと思う。今月25日には奥上林地区での高齢者学級でもお話しすることになっている。

ちょっとだけ、その一端を紹介しておこう。

私たちは見知らぬ土地に旅をするとき、ツーリストで旅券の手配をしたり、ガイドブックで事前に情報を得たりする。

人生における死出の旅路はどうだろう。逝ったことのない死後の世界、だからこそ、本当は事前に死出の旅路を用意をしておかなければ不安は増大するし、いざというとき、路頭に迷うのではあるまいか。

仏教を学ぶとか、お坊さんの話を聞くというのは実は、きたるべき死出の旅路の用意でもあるのだ。私はそう思ってお話をさせていただいている。

死んだ先のことは私も死んだことがないので、本当のことはわからないが、仏さまが示された多くのお経の中には、いかに生きるのが幸せで、いかに安心して死ねばいいのか、たくさんのお示しが残されている。

是非、いろんな機会を通じて、たくさんの方々に聞いていただきたいものである。

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法話の類いは実はあまり得意ではなく、どうしても説明口調になるか、漫談になりがちである。

下手な芸人をまねた坊主の漫談として聞いていただければ、気楽です。 
 

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