「心外無別法」
「心外無別法」
人生では、なんども他人からひどい目に遭わさせることもある。
あるいは、友人と相克したり、家族でもめたり、息子や娘が思うようにならなかったり、身の回りでは不具合なことは常から起こるが、そういうときは、必ず、人のせいにしないで全部自分が悪かったからだ、と思うようにしている。自分のせいでうまくいかなかったのだと、思うのである。
反対に自分の力では到底なしえないことが出来たり、事業がうまくいったり、素敵な人物に巡り会ったり、他人の大きな力添えをもらっえたりしたら、神仏のおかげ、世間のみなさんの支えのおかげで、そうなったのだと思うようにしている。自分の力などたかがしれているのであるから。
こういうと、エライりっぱな人に聞こえてしまうかもしれないが、いつもいつもそう思えるというわけではない。所詮は煩悩多き凡人である。でも、でも出来るだけそういう風に思おうとはしている。
「心外無別法」とは華厳経に出る聖句であるが、実はそういうことを言っているのではないだろうか?
自分を取り囲む世のことは、全て自分の心が作っていることで、自分の心以外に全てをおさめるすべはないのだ。ただし仏の聖句はいつも「それがそうできない人間の心」の裏返しを教えているのだから、なかなかむつかしいものだとは思うのだけれど。
*写真は華厳経の教主摩訶毘廬舎那仏(東大寺大仏)。
« 今年もやります「りてんさんといく蔵王堂夜間拝観と修験講座」 | トップページ | 映画「四万十~いのちの仕舞い~」の上映会トークショーに出ます! »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 「ダイアローグ」(2019.04.15)
- 「電子書籍版/吉野薫風抄の表題募集結果発表」(2019.03.23)
- 「ご意見、くださいませ・・・!!」(2019.03.16)
- 「半日断食・・・」(2019.02.26)
- 「鼻血のサイン・・・」(2019.02.24)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント