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「八千枚大護摩供結願座前行」

「八千枚大護摩供結願座前行」

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今年で金峯山寺の八千枚大護摩供は3年目。行者の五條良知猊下は結願座を前に、前行に入られて久しいが、私も昨日・今日・明日と助法の前行として朝夕に金剛蔵王権現供養法を行じている。

大護摩当日は供え行として、大護摩壇脇で、私は行者さんとともに、毎座、蔵王権現供養法を行じることになるので、その前行として、3日間を発願したのである。

昨日からここ丹波地方もすっかり朝夕に秋が深まり、寒ささえ感じる。本番の吉野は26日午後から27日お昼までの一昼夜。夜中はそうとう冷え込みそうである。

行者さまの無事満行と、「とも祈り」の成満を念じてやまない。みなさんも是非、吉野山蔵王堂にお出かけ下さい。

『もう一度学びたい 宗教』

『もう一度学びたい 宗教』(枻出版社)

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私にはありがたいことに盟友の学者先生が多い。

宗教人類学者の植島啓司先生とは共著『熊野ー神と仏』(原書房)でもご一緒したし、もう20回近くトークセッションをやらせていただいた。それから、今度、哲学者の内山節先生ともご一緒する本が出る予定である。今度の本はホントに面白い。みなさんにとって面白いかどうかはわからないが、とても興味深い修験道の本になっている。

宗教学者の山折哲雄先生とは盟友というのはおこがましいが何度もご一緒する機会があり、11月には神仏霊場会の10周年記念フォーラムでもお相手をさせていただく。先生とももう何度もシンポジュームでお世話になっている。2年前に紀伊山地三霊場会議でご一緒したシンポジュウム記録ブックレット『神仏和合で日本の自然は守られてきた』(紀伊山地三霊場会議編)は私が関わったシンポジュウムの中では第一番の内容と言っていい自負出来るものとなっている。

その山折先生のお弟子さんに当たるのが、盟友中の盟友である宗教学者の正木晃先生である。自分で言うのもなんだが、すでに5刷りとなっている名著『はじめての修験道』(春秋社)は先生とのご縁がなくては世に出なかった共著だし、修験道を一般化する大きな歩みとなった入門書と言っても過言ではない。

正木先生は近頃はNHKEテレの「こころの時代」などの出演も多く、いよいよ多忙を極めておられるが、またまた新著が出版となった。

『もう一度学びたい 宗教』(枻出版社)。今日、先生から届いて早速読ませていただいている。是非、お薦めしたい好著である。

急告「神仏霊場会10周年記念フォーラム」

神仏霊場会10周年記念フォーラムのお知らせですが、7月23日にはチラシの校正を終えていて、すでに世間に向けて情報公開が行われていると思いこんでいましたが、実はまだ共催団体の歴史街道協議会では会員への案内もしていないことが昨日わかりました。

ようやく今日には会員向けに案内が届けられるとのこと。もちろん歴史街道の公式サイトにも掲示されていません。

フォーラムの本番は11/13です。あと一月しかありません。

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現在はまだ100名にも満たない人数しか申し込みが来ていないとのこと(そりゃあ、私がFBやブログで告知をした以外、私が指示した神仏霊場会のサイトで案内があったくらいの現状でしたから無理もありません…)。びっくりぽんです。

でもまあ今さら、そんなことを言っても仕方がないので、これから一月でしゃかりになって案内をさせて頂きたいと思います。

逆に言うとまだまだ入り放題です。受講は無料。

神仏分離から150年。その記念の年に、哲学者の山折哲雄先生の発題のもと、神仏霊場会会長・聖護院門跡宮城泰年猊下、神仏霊場会副会長花山院弘匡春日大社宮司、さらに文筆家の玉岡かおるさんをパネリストに迎えて、さまざまな視点から神仏分離150年を考え、平成の御代に甦った神仏同坐の巡礼の会の魅力について熱いトークを繰り広げたいと思います。

以下、あらためてご案内を致します。

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神仏霊場会10周年記念フォーラム(大阪)のお知らせ
「神と仏は同坐するー神仏巡礼」

西国(近畿)の名だたる古社名刹が手を結び、「神仏和合」にもとづく新しい巡礼の会「神仏霊場会」を設立し、『神仏霊場巡拝の道』が誕生、今年で10周年を迎えました。
参加社寺は伊勢の神宮をはじめ154社寺に及び、江戸時代まで盛んに行われた伊勢参りや熊野詣のように、神仏を同時に崇拝していた精神風土を現代に取り戻し、末長く百年千年の規模で展開する巡礼ルートとなっています。
今回、「神と仏は同坐するー神仏巡礼」と題し、10周年記念フォーラムを開催いたします。

■開催概要■
【日 時】平成30年11月13日(火) 14:00〜16:40(開場 13:30)
【会 場】あべのハルカス 25F 大会議室
    (大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1-43)
【募 集】250名(事前申込制、先着順)
【入場料】無料
【主 催】神仏霊場会
【共 催】歴史街道推進協議会
【協 賛】近畿日本鉄道株式会社、京阪ホールディングス株式会社、阪急電鉄株式会社、阪神電気鉄道株式会社、南海電気鉄道株式会社

■基調講演■
「神と仏と日本のこころ」
 講師:山折 哲雄 氏(宗教学者・神仏霊場会特別顧問)

■パネルディスカッション■
「神仏巡礼」
 宮城 泰年 師(聖護院門跡門主・神仏霊場会会長)
 花山院 弘匡 師(春日大社宮司・神仏霊場会副会長)
 玉岡 かおる 氏(文筆家)
 [オブザーバー]山折 哲雄 氏
 [進行]田中 利典 師(金峯山寺長臈・神仏霊場会教学委員長)
 

応募方法:ハガキ・FAX・Eメールで下記の事項を明記のうえ、お申込みください。後日、参加証をお送りします。(事前申込制、先着順)

応 募 先:〒530-0005 大阪市北区中之島2-2-2 大阪中之島ビル7F
     歴史街道推進協議会「神仏霊場会10周年記念フォーラム」

問 合 せ:歴史街道推進協議会 
     担当:松下、西中(以前に告知して担当者が変わりました)
     Eメール time-trip@rekishikaido.gr.jp
     TEL 06-6223-7745(平日10〜17時)

「わが死の話」

「わが死の話」

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古い文章を調べていて、自分で書いた「死」の話を見つけた。まあまあ面白いと思うので、掲載する。

①友人が自分の死について書いていた。それを読んで、私も、ちょっと自分の死について考えてみて、一文を書いてみたくなった。友人も私も互いにそういう歳なんだろう‥。ところで、死を考えるといっても、まだ本当の意味では、身につまされるような切迫感はないわけで、切迫感が無いからこそ、自分の死をある意味自由に、そしてまあ楽しげに考えられそうな気がする。

...

②そりゃもう目の前に死が迫ってしまっていると、自分の死を優雅に語ることなどというようなことは間違いなく出来なくなっていて、きっと必死でもがいているか、余裕が無くオタオタしているに違いないだろう。まだまだどこか死が少し遠くて、でも、そろそろ人ごとではないくらいという、身近さにある今のうちに、ちょこっと考えるのも悪くはないかもしれないだろう。

③ちょっと前になるが、大学の同級生が胃がんで摘出手術をした。後から聞いて、見舞いにいくと連絡をしたが、元気になってから会いたいというので、返事を待っている。でもなかなか言ってこないので心配である。癌はやはり人ごとではない歳なのだと思う。同情ではなく、自分の事として、彼には会いたいと思う。

④私には家族もいるし、支えてくれる友人も多い…いや、多いかどうかははなはだ怪しいが、自分では多いと思っている、ということである。で、もし身体が衰えたら、たくさんの人に心配をかけたり、やっかいになったりすることになるが、それはやはりいやだなあと思う。もう何年も前になるが、母がお正月明けに重篤になり、10ヶ月入院して結局一度も退院出来ないまま亡くなったが、日々衰えている母を見ながら、さぞかし辛いだろうなあと痛感した。いずれ私も行く道…なのだろうが、母は入院生活によく耐えて、最後は「ありがとう、ありがとう」とお礼ばかりを言っていた。

⑤私は母のようにはなれそうにないし、過度に妻や子どもに世話になるのも、なんだか辛い。かといって知らない人にお世話になるのももっと寂しいような…。だとすれば「突然死」が理想といえば理想のようにも思うだが、といってどういう「突然死」がいいのかは皆目見当がつかない。とにもかくにも、たくさんの人に迷惑をかけるようなことも出来たら避けたい。

⑥死について書いていた友人曰く、「断食死」がいいと言っていた。まあ、それも悪くないと思う。ただ少しずつ食事の量を減らし、五穀を立ち、断食死に至るというのは、そうとう覚悟と気力がないと無理なような気がする。断食は以前から「三日断食道場」を寺内で開いていて、私も10数度やったが、たかが三日くらいの断食経験ではたぶん「断食死」は無理だろう。

⑦じゃあ、いったいどんな死に方がいい…って改めて問うてみるが、やはり最後はお任せしかないのかもしれない。ちょくちょく本などにも書いたことがあるが、大峯奥駈修行中に、死をイメージした経験ある。目を閉じると、頭上から白い大きな光が降りてきて、包み込まれるような気持ちになった。あぁ、こういう感じで死を迎えられたらと思ったのであった。

⑧「白い高貴な光に包まれるような死に方」をするのには、それこそ生きている間にそれに相応しい生活や人生を送らなければならないと、そのときの体験で痛切に感じたが、そういう死に方はきっとなかなか自らの毎日を顧みるとき、自信がない。やはりみんなに迷惑をかけまくって、のたうち回るような臨終が関の山なのかもしれない。

⑨過去に書いた「死について」の連続ツイートでした。これが遺言にならないようにしなくちゃ。きっと10年も経つと違う「死生観」になっているはずだから‥。

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