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「半日断食日記・・・」

「半日断食日記・・・」

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昨年秋頃からのオーバーワークで血圧が上がるわ、耳鳴りは酷くなるわで、肩は凝るわで、お医者様から節制してくださいね、と言われていて、12月はそれなりに節制をしていたにもかかわらず、ここしばらく油断していたら先週はじめに鼻血ブー。鼻血は4日ほど続いて、耳鼻科や内科医をはしごしました。

「これはやばい」…、さすがに生活環境を改めなくてはと思い、断酒や節制生活に突入しました。以前にも書きましたが、心配したお弟子さんから甲田光雄先生の『半日断食』の著書が送られてきて、ずいぶん前に何度もやった断食+宿便退治を思い出し、とりあえず、24日から半日断食を実行しています。

24日 前日19:00夕食 12:30 昼食  空き17時間半
25日 前日19:30夕食 13:00 昼食  空き17時間半
26日 前日20:00夕食 18:30 昼食  空き22時間半
 *夜、少し宿便らしき物が出る
27日 前日19:30夕食 12:30 昼食  空き17時間
 *午後に宿便らしき物が少し出る
28日 前日19:00夕食 12:30 昼食  空き17時間半
  *前日より多めに朝から宿便らしき物が出る

甲田先生の『半日断食』によると朝食を抜き、前日の夕食から次の昼食まで18時間を空腹にするのが基本ということで、まあ1,2時間の誤差は許容範囲らしいです。

10数年前に甲田先生直伝の野口法蔵式本断食(3日断食)をなんども経験している私としては、今回の半日断食での宿便らしき物ではいささかものたりないけれど、それでもずいぶん余計な物が身体から出て行ってくれつつある感じはしています。みなさん、おすすめですよ。

ただ、この生活を一生続けろといわれると「ハイ」とは素直に言えないですが、耳鳴りや鼻血に苦しめられ、このまま倒れるのじゃという恐怖を感じている今は、なんとか我慢して、この半日断食生活を送らねばと思うわけで…。

でも本音はそろそろ、昼と夜の食事くらいは普通に食べたいとは思っています。しかし、家族にも友人にもしばらくはまだ付き合いの悪い生活が続くのかも。そんなにいうほど、無茶な生活をしてきたわけでもないとは思うのですけどねえ。命は惜しい。とほほほ。

*写真は断食のお釈迦様。こんなにはなっていません。まだまだぷくぷくしています。

「半日断食・・・」

「半日断食・・・」

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18日から鼻血が止まらず、たくさんの方に心配をかけたし、右往左往して、病院のはしごもしましたが、23日以来、ようやく止まって、血圧も安定してきました。

その間、たくさんの方にアドバイスをいただき、ニンニクオイルや 井穴(せいけつ)のマッサージ、膨ら脛運動、断酒、塩分制限、酢納豆・・・などなど、たくさんのことを実践させていただきました。アドバイスいただいたみなさん、ありがとうございました。

そんな中、私の身体を心配して、甲田光雄先生の『半日断食』の本を送ってくれたお弟子さんがいました。実は甲田先生の断食は、甲田先生から直接指導を受けた野口法蔵氏を通じて、私も40代に10数回行じています。

ちょうど私の、金峯山青年僧の会の事務局長時代、さまざまな行事や事業に手をつけました。その中の一つで、野口先生とも知己を得、青年僧の会の事業として、金峯山寺での定例断食道場を開くようになりました(その後、3日断食は金峯山寺の正規事業となりました…)。まあ、言い出しっぺですから、当初は私も欠かさず、3日断食に参加していたのです。当時は野口先生もマニュアルらしいマニュアルがなく、断食明けの方法が毎回若干変わるので、マニュアルを私が書きました。そのマニュアルはその後、野口先生の著書に転写されたくらいです。年に2回の宿便掃除はほんとに身体によかったと思います。

だんだん忙しくなって、僧の会の活動とも距離が出来るようになり、考えるともう15年以上、断食から遠ざかったことになります。宿便がどっさりたまっているのでしょうね。また奥駈行者の現役時代は奥駈前の1ヶ月ほどは節制精進する生活が定期的にありましたが、引退後は、自堕落な生活にメリハリをつける習慣もなくし、どんどん成人病を抱え込むことになってしまっていたようです。そして黄信号が出て、今回の鼻血はまさに赤信号が点滅したようなことなのでしょう。

甲田先生の言うとおり、現代人は食べ過ぎです。間違いありません。もう実感すること甚だしいわけでして…。しかしなかなか食欲や飲酒欲にはかなわないのが凡人で、しかもなまじっか今まで私はタフでしたから、余計しまつが悪かったのだと今回思い知らされました。

そんな時だから、半日断食はピンと来ました。もう若いときのように普段の生活をしながらいきなりの本断食(3日断食)は無理なので、ともかく半日断食を、甲田先生の本を参考に始めています。もともと、朝の食事はどうでもよい人間です。そう苦にしないで出来そうです。甲田先生曰く、人間は18時間の空腹期間を持つことが内蔵の負担を減らし、肥満の予防にもなるし、多くの成人病対策になるということ。確かに間違いないと思います。

限りある命、そして頂いた命、大切に大切に使わせていただかないといけないですからね…。健康であってこその命です。みなさんにも是非、半日断食はおすすめしたいです。

「鼻血のサイン・・・」

「鼻血のサイン・・・」

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18日の夕方に最初の鼻血が出た。5分ほどで止まったので気にとめていなかった。

翌日、朝から月例の護摩供を修し、終わったあとの法楽勤行の途中で、再度、鼻血が出た。白の素絹が真っ赤になった。でもしばらくしたら、また止まった。

...

その日は一件、出張があり、ちょっとびくびくしながら無事にこなしたが、帰宅して夕食の時に3回目の鼻血。お風呂場で服を脱いで裸になった途端に4回目の鼻血。さすがにやばいのではと思った。

翌日、午前中はゆっくりしていたが、午後に5回目の鼻血が出て、慌てて、隣町の耳鼻咽喉科に駆け込んだ。「あー、鼻腔の入り口に傷跡がありますね。指で押さえておいたら止まりますから」と、簡単な診察で、止血剤を5日分もらって帰って来た。その夜、3回も、鼻血が出た。風呂に入ったのも悪かったのかもしれない。

その翌日は朝から鼻血は出なかったが、やはり不安なので、近くの内科医の診察を受けた。その待合室で9回目の鼻血。少々頼りない内科医だったが、ともかく、普段からかかっている医者に相談しないと言われて返された。

それで22日、朝から、20年来のかかりつけの橿原市の病院に出向いた。既に息子に院長を譲って、私を診ていただいている先生は会長職なので、長い付き合いの方しか診ておられないが、その日は用務で休診になっていたのを直接電話して診ていただいた。

採血、心電図、血液凝固検査などを行ってもらい、結果、過労と不摂生と飲み過ぎだろう・・・ということで薬もいままで同様でよろしいということだった。

実は昨秋、心電図をとったときから、節制しなさいと言われていて、相変わらずの不摂生と過労と暴飲暴食がつづいたために、いわば去年の黄信号が、赤信号に変わったのだと、きつくお叱りを受けた(^^;)

幸い、内科医待合室で9回目の鼻血を出してからはもう3日止まっている。鼻血が出て止まった最初の日の翌朝の護摩修法も塞がりかけた傷口に悪く、花粉や乾燥をしているために鼻腔が弱くなっていて、おまけに不養生のせいで血圧も上がり、再度キレて、それからなかなか塞がらなくなって、9回も出たのだろうという先生の見立てだった。

中でキレてなくてよかったと言われた。肝臓腎臓の機能と血糖値に問題があるので、血圧も含めてよほど用心しなさいとも言われた。一汁一菜、酒を控えて、仕事もほどほどに、しばらく塩分はだめだとも言われて帰って来た。

ともかく、しばらく、十二分に用心と節制を心がけることにする。命は大事だ。

格段、仕事が忙しいわけではなく、節分会前後の不摂生が根本的な原因なのだと自分でもわかっている。ただ、なかなか節制という生活改善に気持ちがいかなかったわけで・・・。大いに反省している。

もう8年ほど前になる。亡くなる少し前の中村勘三郎さんに会った時に、直感したことを思い出す。勘三郎さんと私は同い年。もし、生けていたらお友達になれていたと思うが、ほんとに残念だった。

彼も仕事だけてはなく、きっと全部が破天荒だったので、体が悲鳴をあげていたのに長期休養が出来ず無理をしたのだと思う。病気開けの新歌舞伎座復帰公演で楽屋に招じ入れていただき、「パワーをください」ときつく握手されたことがあった。けっこう無理をしてるなと感じる舞台(演目は「お祭り」)だったので、「休まないとだめですよ」と心を込めて握り返したが、やはりその後の無理がたたったのか、それから1年ほどして帰らぬ人となった。

仕事も遊びも、なまじ体力に自信があるから、若いときは無茶をする。勘三郎さんはきっと普段からタフなひとだったのだろうと感じた。私も人一倍、タフで元気な方である。しかし不摂生は身体にじわじわと負担をかけてしまう。最後は食道がんだったと聞いているが、数年前からの身体の不調が病気のサインだったのだろう。

勘三郎さんと私を比べるのは大変失礼だが、彼との出会いは仕事満載で走り回っていた私にとって、大きなサインだったように思う。そして、今回の鼻血は、あのとき以上の大きなサインだと受け止めている。

*写真は2011年9月の復帰公演でいただいた勘三郎さんの直筆サイン。

予告!!!新潮選書『修験道という生き方』発刊

予告!!!
このたび新潮選書から『修験道という生き方』が発刊されます。

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実は本書は、あの東日本大震災から半年後の、2011年(平成23年)11月に行った鼎談を基に、当代随一の哲学者内山節先生が整理されて上梓となったものです。内山先生がお忙しくて、なんと発刊まで8年が費やされました。その点、震災に関する記述など、若干、当時の雰囲気と異なるところもありますが、内容のほとんどは今だからこそ、世に伝えたい内容と言えるでしょう。

ともかく内山先生vs宮城泰年聖護院門跡vs田中利典の鼎談は面白かったです。修験道こそが日本の民衆仏教だ、という切り口は過去にあったようで、実はなかった内容なのです。本当に面白い本だと思いますが、さて、どこまで、世間の人々に伝わるか、そこはわからない。

しかしながら、修験道に興味のある方、修験道に身を置く皆さんは、必読の書というべき著述であると、胸を張って言えます。

3月29日発売予定。価格は税別で1500円。新潮社からの販売。

『吉野薫風抄』ふたたび・・・

『吉野薫風抄』ふたたび・・・
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旧知の知り合い(旧知だから知り合いに決まっているが…)から、私の処女作『吉野薫風抄』を電子化しないかと声をかけていただき、久しぶりに自著を手に取った。
 
自分で言うのもなんだか、実に面白い。
 
正直言うと、自著は本書のほかに数冊ある。しかしこの本ほど自分で何度も読み返したものはない。たぶん既に20回以上は読み返している。
 
今回、6年ぶりくらいに読み返したが、ほんとに、30歳前後にこんなものをよく書いていたなと、我ながら感心をしているのである。
若書きであるだけに、気恥ずかしいほどに迸る情熱を感じるし、時間をかけて書いている時期なので、ほんとによく書けているのである。巻末に載せた「仏教を現代に問う」なぞはぜんぜん古さを感じさせないし、自分で自分を褒めてやりたいくらいである。ま、自画自賛は、バカですよね。
 
『吉野薫風抄』は25歳頃から34歳まで、毎月、金峯山時報で連載したエッセイを、平成4年に1冊の書籍にまとめたもので、まさに田中利典の第一号作品である。
 
2000冊を金峯山時報社から出したが、それは名目上のことで、編集装丁校正を全部自分一人でやった自費出版的な本である。
 
見事に2000冊、全部売り切って絶版になったが、平成17年に復刻版として白馬社から再販となった。それから13年、それもほとんど残っていない。
 
今回、電子化の話をしていただいたのは、思い入れの大きい拙著だけに、私にとってはたいへんありがたいことである。
 
写真は平成4年に出版した処女本である。Yahooのオークションで2000円の値段がついていた。原価より良い値がついているのは、ちょっと嬉しい。
 

「怒りは不幸を招き入れ、笑いは幸せを呼びこむ」

「怒りは不幸を招き入れ、笑いは幸せを呼びこむ」

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「笑う門には福来たる」という。至極当たり前の話である。笑っていると福徳が集まってきて、自分も幸せになるし、周りも幸せに感じる。

反対に、怒ってばかりいる人の周りには幸せは訪れにくい。怒っている本人も幸せにはならない。機嫌が悪いから怒るのだし、怒ればなおさら機嫌は悪くなる。

仏教では「和顔愛語」という言葉がある。布施を表す言葉である。布施は梵語でダーナという。人に施すというほどの意味であるが、その施しには「財施」「法施」「無畏施」の三種があり、その他に財物を損なわない七つの布施として、「無財の七施」が説かれる。お金のかからない布施である。その「無財の七施」のうち、「和顔悦色施」と「言辞施」を合わせたものが「和顔愛語」である。

すなわち、和やかな笑顔と、思いやりのある話し方で人に接すること。「和顔愛語」は布施であり、布施ある生き方をすることでもある。そうすれば幸せを呼び込む「笑い」の種を蒔くことになるのである。

といいつつ、私は若い頃から、普段の顔が怖いといわれてきた。「和顔愛語」にはほど遠くて、しかめっつらの不機嫌顔だったのである。ときどき「なんでそんなに怒っているの」と言われたこともあるが、「ほっといて頂戴。私の顔はもともとこんな顔」とうそぶく始末だった。

ただ近頃は心がけて、笑顔で生きている。「笑う門には福来たる」のは明白だから、努力してでも、「福来たる」顔にしないと損だと、ようやく気がついたからである。

****************

書き下ろし第6弾ということになりましょうか?
まあ、気楽に書かせていただきます。

写真は和顔愛語の真逆の顔をあげてみました。知人の友人である写真家の江守さんにとってもらったコワ顔のポートレール。もとろん最近はなるべく笑顔にしてますよ。

「葛の会」

「葛の会」

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昨日は、私が40代に7年間にわたりつとめた全日本仏教青年会の副理事長時代に、ともに活動した理事長や役員のみなさんと久しぶりに旧交を温めました。「葛の会」と名付けられた旧友の会ですが、みんな、壮年期から老年期にさしかかり、青年僧の時代と違って、僧侶としては一番油がのってきているの時期かもしれません。私だけがどんどんしょぼくなっていますが…。

 
そんな葛の会会長のJB神戸Y師を囲み、ひととき神戸の町を徘徊した、楽しい一夜を過ごしました。10数年ぶりでした。
 
私が副理事長時代に経験した全日本仏教青年会の全国大会は4回。私にとっては集大成となったのが、2003年の京都大会です。写真はその京都大会の報告記録「葬式仏教は死なない―青年僧が描くニュー・ブッディズム」。
 
あれから16年、葬儀を取り巻く周辺もずいぶん様変わりをしましたね。
 
ちなみに私が関わった全国大会は以下です。
 
■全日本仏教青年会高野山大会
1997年5月13日・14日/高野山
大会テーマ
「二十一世紀へ青年僧のあるべき姿勢」
講演
「政治と宗教」俵孝太郎氏
シンポジウム
「環境と地球」高木善之氏
法要高野山内巡拝・奥ノ院にて法要 .
 
■全日本仏教青年会全国大会in神戸
1999年1月18日・19日/神戸大会・神戸ポートピアホテル
大会テーマ
「ナンバーワンよりオンリーワン!」~自分の存在が他人の喜びにつながる~
丸山浩路氏 第1分科会テーマ
「信仰」
第2分科会テーマ
「救い」
第3分科会テーマ
「電脳〜仏教とマルチメディア」
オプショナル
ツアーあしなが育英会・神戸市内・淡路島被災地復興状況 .
 
■全日本仏教青年会・2001年全国大会
2001年2月23日/浄土宗大本山増上寺・東京プリンスホテル
大会テーマ
「21世紀の仏教徒進むべき道 新世紀の風を感じて~癒しの心~」
第一部各宗派仏青及び地域仏青による記念法要 於 増上寺大殿
天台仏教青年連盟・金峯山青年僧の会・全国曹洞宗青年会・全国浄土宗青年会・全国真言宗青年連盟・地域仏青、以上、各宗派の作法による記念法要 第二部パネルディスカッション 於 増上寺三縁ホール
【司会】
松田輝雄氏(元NHKアナウンサー)
【パネリスト】
仏教情報センター事務局長 草野榮應師
聖路加病院医師 篠田知璋氏
日本ナチュラル・ヒーリングテラピー協会代表 井上雅祥氏
仏教と医療を考える全国連絡協議会世話人 木曾 隆師
浄土宗安福寺副住職・ビハーラ大阪書記 大崎信久師
レセプション 於 東京プリンスホテル
.
■全日本仏教青年会・京都大会
2003年2月13日・14日/池坊学園
テーマ
「葬式仏教を考える~日本仏教活性化への道~」参加者230名
基調講演ひろさちや氏
シンポジウム「仏教を元気にしよう」
【司会】
全日本仏教青年会副理事長・金峯山修験本宗宗務総長 田中利典師
【コメンテーター】
ひろさちや氏
【パネリスト】
ノンフィクション作家 井上治代氏
臨済宗妙心寺派・神宮寺住職 高橋卓志師
フォトジャーナリスト 藤田庄市氏
全日本仏教青年会理事長 大樹玄承師
第1分科会テーマ
「寺力更生~必要とされる寺に向けての内なる取り組み」
コメンテーター 高橋卓志師
第2分科会テーマ
「“家”消失と葬儀・墓~檀家制の限界と代替システム」
コメンテーター 井上治代氏
第3分科会テーマ
「“生産される”神さま仏さま~信仰と宗教ビジネス」
コメンテーター 藤田庄市氏
 
記録集『葬式仏教は死なない』出版
 
                       ~「全日本仏教青年会」の公式サイトから引用
 
たくさんのことを学ばせていただきました。仲間のみなさんに感謝です。

「林南院節分大祭」

「林南院節分大祭」

2019

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3日に金峯山寺の節分会が終わり、いよいよ今週10日(日)は自坊林南院の節分会大祭です。

ま、節分というのは立春の前日ーつまりおおむね2月3日に決まったものなので、次の節分会というのもへんなことなのですが、私は毎年、節分会法要を2度行っています。

今年の林南院節分法要は以下の日程で行います。
・午前10時半より 日数心経(全員でお唱えします) 
 ▽住職講話[今年の運勢のお話]
 ▽景品付き「脳天飴」を配布します
・正  午   昼食(田舎五目ご飯弁当)
・午後1時   幸せを呼ぶ星供採灯護摩供厳修
       …護摩中、参拝者全員に聖杖と水晶の特別加持を受けて頂きます。
・引き続き、古札発遣・古札焚き(境内外の浄壇で梵焼)
・午後3時頃  お札授与、甘酒接待 ・・・解散

よろしければ是非お出かけください。
少々、9日頃から寒波到来の予報で雪が心配ですけど、たぶん大丈夫ですので!!

「人間の本質は繋がりにある」

「人間の本質は繋がりにある」

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山の修行で学んだこと、感じたことはたくさんある。その一つに、吉野から熊野に至る大峯奥駈修行で強烈な体験をした。それを紹介しよう。

その日は朝からものすごい雨が降っていた。もう体中ぐしょぐしょ。行中は1日に20箇所ぐらい峰中の「靡」(なびき)という場所で勤行するのだが、そのときは七曜岳の遥拝所で勤行をしていた。ずっと雨が落ちていた。その勤行をするわずかな時間、ふと、そこで勤行をしている自分と、降っている雨と、雨を受けている草や樹や大地や岩と、雨を降らしている空や雲やあらゆるものが、まさに自分と繋がっているということを実感したのだ。これはもう突然、雷鳴に打ち抜かれた如き感覚だった。

その日はすでに早朝から8時間ぐらい歩いていた。正直、くたくただった。行に入って3日目だと思うが、疲労困憊しながら一生懸命お勤めをしている中で、自我が消滅して、自分は降ってる雨とも、雨を受けている草とも大地とも空とも、全部繋がっているということを体中で感じたのだ。そしてすべてが繋がっていることを感じたその途端に、私の「死」への恐怖が消えたのだった。

私は幼い頃から死を考えると、常に大きな恐怖に襲われた。それは、地球を宇宙の外側から見ている自分がいて、全てから疎外され、自分だけ死んで、それでも地球はいままで通りに運行をしている、そういう思いを抱いたのだ。ものすごい孤独感、恐怖感にさいなまれる感覚である。それが私にとって死への恐怖を生む原因だったのだけれど、すべてのモノと繋がっているということが実感できた時に、死に対する恐怖が極めて小さくなって行くのを感じたのだった。自分は全てと繋がっているということを、山の修行がすんなりと心に教えてくれたのだ。

自分が、私が、というような我執が消えて「懺悔懺悔六根清浄」を繰り返す中で、全てのものと繋がっている自分を諒解することが出来た。これは単に人と人との繋がりだけではなくて、延べては家族とか友人とか地域社会とか国家とか、なおそういうものだけでもなく、先祖との繋がり、人間が持ってきた歴史との繋がり、過去の繋がり、そして未来への繋がり。風土との繋がり、自然、宇宙、森羅万象、それら全部と繋がっているということを、山の修行で突然に体感したのだった。死んだ先の繋がりさえも感じたのである。

これを私は「人間の本質は繋がりにある」いう言葉で言い表している。たとえば、人間とはなんぞやと考えた時に人間の本質は、実はなかなか見つけることができない。人間の本質っていうのはこれだ、というものはないのかもしれない。いや、人間の本質は、繋がり合う側にこそあるのだ、ということなのだ。

例えば、「夫婦」という本質は実はなくて、ここに奥さんがいて旦那さんがいるから、夫婦というものがある。親子も、ここに自分がいて子供がいるから親子というものが出来上がる。つまりこの繋がりの方にこそ本質があるのではないか。心というものの本質もなかなか難しい。でも心という本質は難しいけれども、悲しい時には悲しくなる、辛い時には辛くなる、楽しい時には楽しくなる、繋がりの中に現れてくるものに本質があるのではないか。そういう繋がりの中に本質があるということを、山の修行が私に気づかせてくれたのである。

孤独な生の克服というのは、繋がりの中に自分があるという事を自覚するところに生まれる、と思う。自分というものを極めようとして、自分を中心に物を考えると、どんどん孤立する、孤独になっていく可能性が、人間の心の中にはある。逆に、繋がりの中に本質があるということを思うと、今、自分が生きていること、生かされてきたこと、これから生きること、それらが全部繋がっている。社会とも歴史とも先祖とも宇宙とも全部繋がっているということを実感することが、いまを生きる大きな支えになるのではないか。山修行で得た、私の大きな人生のキーワードになっているのである。

「偶然と必然」

「偶然と必然」

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人生において出会うことに、何一つ偶然というものはないと私は思っている。全てが必然なのである。というか、必然と思うところに、自分を自分たらしめるものに気づくものがある、と考えている。

人生において起こる様々なことを、誰かの責任にしたところでナンの意味があるというのか。結局は全部、自分自身で背負うしかない。背負うしかない以上は、そこに「必然」を見いだして、自分自身を励まし、自戒し、精魂を尽くすことがなにより肝要だろう…。。

私は一方で、人生において無駄なことなど何一つないと思っている。どんな苦労や苦難にしても、それこそが自分の人生なのである。逃げようが避けようが、どう生きようが、全てそれこそが人生そのものなのである。不幸も幸いも自らの責任で作り出した現象と言えよう。だからこそ、偶然にして不幸になった、苦難を強いられた…などと思わずに、その運命を必然と受け止め、懸命に生きることこそが、今生での自分の人生なのである。

そう思うと、どんなに苦しくても、悲しくても、少しは楽に生きられるのではないだろうか。前向きな気持ちを持てるようになるのではないだろうか。人生には楽なことばかりが待っているわけではない。楽なことより苦しいことの方が多いに決まっている。いや、そんなことはないという人もいるのかもしれないが、私自身はそう思わずにはいられない。

ただ、そう思ってはいるが、よいもわるいも、全部の出来事自体が自分の人生そのものだと受け止め、全部を必然だと受け入れると、苦労ばかりが多いともいえない気持ちもわいてきて、なにやら生きていること自体が有り難いような気持ちになってくる。前向きに生きていくことがなにやら無性に有り難く思えてくるのである。

私は仏縁を得て僧侶になったが、それなりに苦労もしたし、災禍にも遭った。ときには僧侶を辞めて還俗しようと思った時期もあったが、法鑞50年を目の前に、改めてその仏縁に感謝している。苦労も災禍も私の人生そのものである。そして仏縁を得て、今を生かされているのも、必然の中に生きる、有り難い私の人生である。

***********

書き下ろし第4弾。今回のはちょっと以前の文章を改編して、書いてみました。

昨日の節分・今日の立春で、新しい節目を迎えた。今年は年号も変わる、大きな時代の変わり目であるが、そんな1年を思う中で、じっと自分の心に問いかけてみている。

*写真は金峯山寺の節分会行事。

「受けた恩の恩返し」

「受けた恩の恩返し」

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若い頃から多くの方々のお世話になった。そんなみなさんのおかげで、いまの自分がある。

ようやく恩返しが出来るようになりかけた頃、その恩人たちは一人、二人と先に逝く。まだ、なにも恩返しらしい恩返しなど出来ていないのに、心ならずも見送ることになる。父や母や先生たち…。申し訳ないばかりである。

人は自分が受けた恩と同じだけのものを、その恩人に返すことは出来ない。だからこそ、自分のあとに続く人たちに、自分が受けた万分の一でも、恩返しのお世話をする。いや、お世話をさせていただくのである。

人のお世話の見返りなど求めない。求められない。自分も又、見返りを求められなかった恩の、恩返しなのであるから。

ことわざに「情けは人の為ならず」というのがある。最近の若い人は、これを誤用していると聞く(文化庁の調査データ)。

情けは人の為ならずとは、「人に情けをかけるとそれがめぐりめぐって自分のためにもなる」というほどの意味だが、「情けをかけるのは、かえってその人のためにならない」と理解している人が半数もいるというのだ。人間関係が希薄になりつつある現代社会らしい理解の仕方なのかもしれないが、いまの世の中、なんだか、いろいろ世知辛い。

「情けは人の為ならず」とは、「受けた恩の恩返しで人に情けをかける」とするなら、人と人との絆はもっと優しく、もっと深くなるのではなかろうか。

****************

書き下ろし第3弾・・・「恩返し」について考えてみた。あまり深い話ではないが、私自身の心情である。

写真は亡母と母の仲間たちである。仲間たちの中でも故人が増えた。みんなお世話になった方ばかりである。

「愚者は常に過去を怨み、賢者は常に未来を計る」

「愚者は常に過去を怨み、賢者は常に未来を計る」

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人生の答えは過去にはない。人生の答えは未来にこそある。私はそう思っている。しかし人間は往々にして、その答えを過去に求めがちである。

「あのときこうしておけば」「あんな人に出会わなければ」「あの事故さえなければ」…などなど、過去に起こった出来事や後悔に、いつまでも思い煩うのが人間の性(さが)と言える。そこには、元には戻らない現実の答えを、過去に探そうとする愚者の姿を見る。

...

しかし、過去に答えはないのだ。過ぎ去った事象は、どんなに思いを馳せようと、どんなに恨みを込めようと、取り替えることはできないし、過去に戻ってやり直すことなど出来ないのである。

逆に、答えは未来にはたくさんある。未来はいろんな可能性と多くの答えに満ち満ちている。過去の失敗から立ち上がり、あらたな自分を見いだす機会はいくらでも用意されているのである。

障害者スポーツで活躍する選手を見ていると、本当に勇気づけられる。足を亡くした少女がいた。きっと大きな大きな不幸に心は砕けたことだろう。しかしその悲しみの底から、いまの自分が出来ることを見つけ出し、不幸な過去を振り払うかのように、けなげに戦うその姿。まさに過去を怨まず、自分の未来を計ろうとする、賢者そのものである。

過去に答えを探そうとする人間の性を乗り越えて、未来に答えを作り出す賢者でありたいと、私も願うものである。

*************

昨日に続いて、某紙のために書き下ろした文章です。没になったので、未発表です。

実は長年書いてきた「今日の一言」というつぶやきの中で気に入った言葉を元に、文章を起こしてみたという試しの作品。まだいくつか書きためています。

よろしくければどうぞ。

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