「紀伊山地の霊場と参詣道は日本的で多様な精神風土が残る稀有な場所」
「紀伊山地の霊場と参詣道は日本的で多様な精神風土が残る稀有な場所」
明治初年(1868)の神仏分離令によって、伝統的に神仏習合によって成り立っていた日本固有の宗教体系は世俗的権力によりつき崩されます。伊勢神宮を頂点とする神道国教化政策により、神仏習合の修験道は存在することさえ許されず、明治5年に修験道廃止令が出ます。全国各地にあった修験道は一時消滅し、大方が廃寺となったり神社になったりしました。金峯山寺も一時廃寺となり、仏寺として復興されたのは明治19年です。
一方では1906年の神社合祀の勅令により、1914年までに約20万社あった神社のうち7万社が取り壊され、次々と国有地として没収。森林は伐採され民間へと売却されていきました。
そうした苦渋に満ちた歴史を踏まえた上で、我々は神道や仏教のみならず、いかなる宗教をも受け入れるという寛容で融和的なわが国の宗教風土を、改めて見直していかねばならないと思います。
明治の近代化政策の中で、レリジョン(Religion)という一神教的価値観の宗教概念を「宗教」と訳して使用しだしましたが、その宗教概念が入ってくる前から、日本には仏教や神道という信心の世界がありました。
日本人が本来戻るべきは明治より前で、近代の歪みがうまれる以前からはぐくまれていた日本の風土・習慣・信仰心を見直すしか、将来をひもとく糸口はみつからないのではないかと思います。
日本人の精神の基をはぐくんできた多様な形の、創造主をもたない宗教というのは、一神教の宗教とは成り立ちが全く異なるものです。紀伊山地の霊場と参詣道はそういう、一神教の価値観に凌駕されない日本的で多様な精神風土がまだ残っている稀有な場所だと思っています。
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これは2年ちょっと前に、宗教人類学者の植島啓司先生や熊野本宮大社の九鬼宮司たちと、東京で開催した世界遺産シンポジュウム「紀伊山地の霊場と参詣道の本質を探る」(2017年12月9日 於:東京・ベルサール九段)での私の発言です。World Cultural Heritage(Japan)日本の世界文化遺産サイトの中でアップされています。シンポジュウムの記録は以下です。よろしければご覧ください。
http://www.worldheritagejpn.com/include/sympokiijp.html
#吉野 #熊野 #高野山 #紀伊山地の霊場と参詣道
★なお、今年の秋、また植島啓司先生・九鬼さんといういつもの凸凹メンバーで、世界遺産登録15周年記念のシンポが計画されています。場所は三重県尾鷲市です。
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