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やや難しいことを熱く語っています。かなり、やばい話もしています。受け狙いなので、お許しください。
公開されていますので、よろしければご覧下さい。
「ゲームチェンジの時代にリーダーはどうやって「信念」「ぶれない軸」を維持すべきか?~石橋義×田中愼一×田中利典×鎌田英治」
様々な業界で起きている「ゲームチェンジ」は、「経営の在り方」に抜本的な見直しを迫っている。変化は、ビジネスモデルの改革に留まらず、人の評価や組織デザインなどマネジメント基盤にも創造的破壊を強いる。遠心力が強く働く時代は、自社の存在意義を再定義し組織の求心力を高める必要がある。だからこそ、組織を導く指針として経営者の信念や軸が何にもまして重要だ。多くのリーダーはそれを認識しながらも、短期的成果へのプレッシャーも強い日々のなか、「自らを支える信念」を明快な言葉に昇華するまで考え尽くしているだろうか。「ぶれない軸」をしっかりと言語化することが放置されてはいないだろうか。経営者が使命を自得(知命)し、ぶれない軸や不動心を確立するとはどういうことなのか?普遍的でありながら今日的なテーマを議論する。
動画はここからご覧下さい。
↓
https://globis.jp/article/6859
ちなみに、私の「ぶれない軸」の話は19分過ぎからはじまります(トークの中なので、東大寺狭川宗玄長老の年齢と名前を勘違いして、間違っています。お許しください)
「菅谷先生、お世話になりました」
橿原考古学研究所の所長だった考古学者の菅谷文則先生が亡くなって、今日の午後からお葬式が行われる。残念ながら行けそうにないので、朝のおつとめで、先生のお弔いをさせていただいた。
先生とは大峯山上本堂の発掘調査などで知り合い、とりわけ、平成11年に近鉄本社で社長以下、役員のみなさま総勢100名ほどに集まって頂いて、講演会をさせていただいたときにご一緒してから、以降、なにかとかわいがって頂いた。
実はあのときの講演会が私がパワーポイントで講演をしはじめた最初である。「現代版絵解き曼荼羅やなあ・・・」とえらく褒めて頂いたことが記憶に新しい。あの当時、まだパワポもそれほど一般的ではなく、結構先進だったので、先生もぼんさんがこういうことをやるのに驚かれたようだ。
その後、世界遺産登録やいろんな活動でご一緒したが、10年ほど前には吉野と高野を結ぶ「弘法大師の道プロジェクト」でもご一緒した。ご一緒したというか、この道の策定にはたいへんなご尽力をいただいたのであった。ぎょろ目で大声だった先生の面影が懐かしい。
2年ほどまえ、偶然に定期検診に行く橿原の平尾病院で邂逅したのが最後となった。
お疲れ様でした。ご冥福をお祈り致します。
「三代目・・・」
うちは父の代に発心をして、修験僧の道に入った。金峯山寺の末葉に入り、宗議会議長なども努めて、地元の綾部に一宇を建てた。自坊の大容山林南院である。
一昨日・昨日はその林南院の恒例の大峯山上参り修行。父が林南院を建てる前から主催していた山修行で、父の代から私に受け継がれ、絶えることなく続いている。
実は私はこの3月に両膝を壊し、回復するどころかさらに酷くなっていたので、今年の参加は半分以上諦めていた。息子やお弟子さんたちにお任せをして、留守番組に廻ろうかと思っていたのだが、山上ヶ岳本堂の御本尊もご開帳中だし、5月の東南院令和元年記念山上法要も登拝できなかったので、なんとか皆と一緒にという思いもあって、直前まで悩んだ末、意を決して、必死で登って来た。久しぶりの暴雨風での修行となったが、なんとか、全員無事に勤め終えたのだった。
昨日は東南院大祭にお参りし、綾部に帰山。今日はさすがに体中ががたがたである。膝は曲がらないくらい痛い。午後から、針100本以上打つ先生のところで、診てもらうことになっている。
ところで、写真は山上参り精進落としの席でのもの。実は2代目3代目のそろい踏みの写真である。父の一番弟子だったのが四国別院の住職だったK和尚で、やはり私の一番弟子となったK和尚の息子さん。そして20数年ぶりに参加してくれたK和尚の孫に当たるのがその息子さんで、二人が両側。真ん中は私と私の息子。なかなかない2代目3代目のそろい踏みなのである。
こういう形で大峯修行も受け継がれていけばよいと改めて思った。
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