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「天狗と山伏」①

暇っていう訳でもないのですが、過去の講演会記録からおもしろそうなものをアップします。よろしければご覧下さい。2018年9月2日に奈良県立図書情報館で行った講演「天狗と山伏」です。

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【天狗と山伏】① 講師/金峯山寺長臈 田中利典

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皆さんこんにちは。失礼いたします。

私はね、馬鹿でして、頼まれると何でも講演をひき受けるという悪い癖があります。以前も、宇宙航空研究開発機構=JAXAで「宇宙飛行士と山伏」という表題で頼まれて話をしました。その直後には日本母子保健協会全国大会でも頼まれまして、「山伏と子育て」という、両方とも、山伏とはなんの関係もないような組み合わせの表題のお話だったのですが、両方、表題だけその会に合わせて講演しました。

「宇宙飛行士と山伏」では宇宙飛行士の話はなんにもせずに、山伏の話だけして帰って来ました。あとで両方の講演録が出来るのですが、読んでみますとね、両方がほとんど同じなのです。「宇宙飛行士と山伏」も「山伏と子育て」も。同じ話しかしていない。表題が違うだけ…そういういいかげんな人間なのです。

ところが、JAXAの方はものすごいウケました。当時の理事で加納さんという人がいて、私の話に感激をなさって、三日三晩徹夜で、「田中利典を宇宙に飛ばそう!」というレポートをお書きになった。そしてそれを理事長に持っていった所、理事長が偉かった。「一宗教法人の役員を国のお金で宇宙には飛ばせない」という事で却下されまして、なんとか私は宇宙に行かなくて済んだのでした(笑)。

今回のお話しは「天狗と山伏」。今回も、天狗の事なんて何もわからないので、山伏の話だけして帰ろうかと思っていましたら、結構、妖怪とか天狗に詳しそうな人とかおいでになっているようで、しかも今日は、当館の千田館長様も、有難いことにお出まし頂いています。ですから、ちょっとくらい天狗の事をお話ししないといけないなという事で、慌てて調べてきました。でも、一夜漬けですので皆さんの方が詳しいかもしれません。ともかく今日は「図書情報館・妖怪マーケット」のイベント記念の講座という事でお話を致したいと思います。いずれにしましても、さほど話が上手なわけではありませんので、私の場合はパワポイントの映像が中心で、話は副音声程度に聞いて下さい。

「天狗と山伏」。なんでこんな話をさせていただくことになったかと言いますと、天狗さんというのはだいたい山伏の格好をしているのが多いわけです。それでおまえ山伏やからわかるやろということになりました。ただ、天狗とは何なのかという事を調べてもじつはあまりよくわからないのです。Wikipediaというインターネット上の辞書がありますが、それを引いてみますと、「天狗と言えば鬼や山姥と並んで日本の妖怪変化の代表格で、日本の民間信仰において伝承される神や妖怪ともいわれる伝説上の生き物。一般に山伏の服装で、赤ら顔で鼻が高く、翼があり、空中を飛翔する」と書いてある。伝説上の生き物であると。

つまりね、みなさん、よく考えてみてください。妖怪も天狗も実際にはいないのです。もし本当に天狗や妖怪が実在するなら、きっと動物園にいると思います。動物園にいないところを見ると、どうも河童にしろ、天狗にしろ、伝説上、あるいは現象としての存在を人間が、妖怪変化というか、河童や天狗らしきものを想定しているだけで、実際に天狗がいたりするのなら、絶対に動物園にいると思います。いないところを見ると、やはり実在はしてないのです。ただ、いないのですが、伝説上という事ですから、人の心の中に、妖怪なり天狗なりという現象というかイメージというか、そういう形でいるのはいるです。

で、天狗ですが、もっと詳しく調べていきたいと思います。いわゆる天狗というものは神なのか妖怪なのかという話はあとでします。

まず、天狗の起源。これは中国の山海経という、いささか怪しいものですが、ここに書かれている。天狗というのはこんな姿(画像)をしているそうで、もともと天狗という言葉は、中国での流れ星、つまり隕石ですね。これが大気圏へ突入する際の空気との衝突音を、犬の遠吠え・犬の鳴き声、咆吼をあげて天を駆かける犬(狛)に例える謂われから、天狗という不思議な生物を生み出してきていた。中国で生まれた生物なのです。麒麟とかと同じ類いですね。そういうものなのですが、ただ、流れ星は昔から不吉、災いの前兆だといわれていて、天狗は邪悪な存在であるというイメージがもともとあった。

 

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これは中国のお話なのですが、これが日本に入ってくる。日本での初見はというと、日本書紀という日本の正式な歴史書の第一番目。ここに「大星、東より西に流れる、すなわち音あり、雷に似たり、時の人曰く流星のごとく、また曰く地雷(かみなり)なりと、ここにおいて僧旻(みん)法師曰く、流星にあらず是れ天狗なり、その声、かみなりに似たるのみ」と、舒明天皇の9年2月(637年)の記事に出ています。訳すると、都の空を巨大な星が雷のような轟音を立てて東から西に流れた。人々はその音の正体について流れ星の音だ。地雷だといった。その時、唐から帰国した旻という学僧が、あれは流れ星ではなく天狗であると、天狗の吠える声が雷に似ているだけだ、と言ったという記事が日本書紀に出ています。ですから中国で、流れ星とされていた天狗が日本書紀の時代にはこのように伝わっていたのです。

ところが、天狗という言葉は、その後全然出てきません。飛鳥時代や奈良時代ー日本書紀の時代には、天狗はこういう形で言われていたものの、その後、天狗については平安時代に入るまで書かれていないそうであります。飛鳥時代の日本書記に流星として登場した天狗なのですが、その後の文書の上で流星を天狗という記録はなく、結局、中国の天狗観は、日本には根付かなかった。舒明天皇の時代から平安時代中期の長きに渡り、天狗の文字はいかなる書物にも登場してこないのだそうです。

そして平安時代に再び登場してきた天狗は、妖怪として語られるようになっていた。日本では流れ星ではなく、雷が鳴る音を天狗の声だとする風聞が生まれ、空に関係する妖怪となったということ。このような意味で天狗というのは、中国で生まれた言葉ではありますが、日本には中国のような隕石、流れ星としてイメージされることがなくて、逆に空にかかわる妖怪として語られるようになった。これが平安時代のこと。

そして、天狗というのはその後の日本の中でいろんな変身を遂げていて、調べれば調べるほどよくわからないことになります。

よくわからない話を人前でするという、こんな無責任な話はないのですけれども、とりあえず今回は私的に、五つのカテゴリーに天狗をまとめてみました。五つの類型です。(以下続く)

「神仏霊場会に寄せて」を書いた

ずいぶん前に、コラムを書いてくれといわれて書かされた文章が掲載された神仏霊場会の公式ガイドブック「神と仏の道をだどる」(産経新聞社発売)がようやく手元に届いた。

その文章を以下、紹介する。

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「神仏霊場会に寄せて」
  神仏霊場会教学委員長 金峯山寺長臈 田中利典

私の属する修験道は、譬えていうなら、外来から伝来した仏教を父に、日本古来の信仰である神道を母に、その仲の良い夫婦の間に生まれた子供のような存在である。極めて日本的な神仏混淆の宗教なのである。

不幸にして明治維新期、国の近代化のもとに施行された神仏分離政策によって、仏教伝来以来1300年余り続いた神仏混淆の風土は大きく損なわれ、蜜月関係にあった仏と神は分離させられた。そしてその子たる修験道は禁止となる時代を経験したのである。

ところで、これはなにも修験道自体の損失ではなく、神仏混淆を旨として育まれてきた日本の宗教風土、精神世界の改変であったといえる。日本版文化大革命とさえ思える大変革の施策だったのだ。

爾来150年…。日本は近代的欧米主義を享受し、物質文明社会の高度な発展を手に入れた。しかしながら物の豊かさを手にすれば手にするほど、精神的な豊かさを失いつつあるのが現代社会と言っていいだろう。日本人の心の貧困が問題となる様相である。

そんな時代を思うとき、もう一度戻るべきところがあるとするなら、神仏混淆の、多様で平和な共存し合う精神風土ではないだろうか。神仏霊場会の存在がその一条の光になればと願うものである。

私は本会の発足以前から活動に関わらせて頂いたが、本会の今後の発展が日本の明るい未来に寄与することを念じてやまない。合掌。

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神仏霊場会は昨年で発足10周年を迎えた。私は発足以前の準備段階から幹事委員として関わってきたが、今期で役職を終えた。いろいろあった10年だが、10年を節目に、新規2社寺の加盟、ガイドブックの新編集や、朱印帳のリニューアルなど、大きく変更があった。

もう私の手から離れた本会であるが、文章にも書いた通り、この国の光となるような、さらなる発展を念じるものである。

Yahooのニュース続編「田中利典インタビュー」

Yahooのニュースで続編が報じられています。前回の続きです。

民衆信仰「修験道」の過去・現在・未来(中)
 『修験道という生き方』(新潮選書)共著者・田中利典師インタビュー

先週配信された、新潮社のフォーサイトの掲載記事の続きです。今回の記事も1週間無料でアップされていますので、8/3までなら全文読めます。お早めにお読み下さい。

まあ、私のことを知って頂いている人は、またまた同じ話をしている~ってお思いになるかもしれませんが、インタビュアーの森さん(真言宗の僧籍をお持ちになっているフォーサイト副編集長です)がなかなか切れ口鋭いので『修験道という生き方』という本の紹介という内容以上に、弘法トレランのことなど、いろいろおもしろいやりとりになっています。

サイトは以下 ↓

 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190728-00545667-fsight-soci

「本日、2つめの新刊を紹介」

「本日、2つめの新刊を紹介」

 

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少々、私もお手伝いをさせていただいた吉野町を紹介する新刊が発売となりました。

『驚きの地方創生「木のまち・吉野の再生力」――山で祈り、森を生かし、人とつながる 』(扶桑社新書)

奈良県吉野をテーマにした文学、歴史書、観光ガイドを踏まえながら、今の吉野の取り組みを様々な視点から取り上げる新しいスタイルの地方創生本。吉野町&世界遺産 金峯山寺全面協力・推薦! ・・・という内容の本です。

実は扶桑社の地方創生本の第4弾です。第1弾と第3弾が私の住む綾部を紹介した本で、この本との出会いが、吉野本の制作に繋がりました。

本書のあとがきの冒頭で筆者の蒲田さんも「本書『驚きの地方創生「奈良・吉野のふしぎ現在過去未来」』は、吉野・金峯山寺で長く宗務総長を務められた田中利典長臈とのご縁からはじまったものです・・・」と書かれているとおり、綾部と吉野を繋いだのは私でした。プロローグでは映画監督の河瀬直美さんが、第2章では私も熱く吉野を語っています。是非、ご一読をお勧めします。

https://www.amazon.co.jp/%E9%A9%9A%E3%81%8D%E3%81%AE%E5%9C%B0%E6%96%B9%E5%89%B5%E7%94%9F%E3%80%8C%E6%9C%A8%E3%81%AE%E3%81%BE%E3%81%A1%E3%83%BB%E5%90%89%E9%87%8E%E3%81%AE%E5%86%8D%E7%94%9F%E5%8A%9B%E3%80%8D%E2%80%95%E2%80%95%E5%B1%B1%E3%81%A7%E7%A5%88%E3%82%8A%E3%80%81%E6%A3%AE%E3%82%92%E7%94%9F%E3%81%8B%E3%81%97%E3%80%81%E4%BA%BA%E3%81%A8%E3%81%A4%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%82%8B-%E6%89%B6%E6%A1%91%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E8%92%B2%E7%94%B0-%E6%AD%A3%E6%A8%B9/dp/4594082343/ref=sr_1_fkmr1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E5%90%89%E9%87%8E%E6%9C%A8%E3%81%AE%E7%94%BA&qid=1561964202&s=gateway&sr=8-1-fkmr1

電子出版『修験道あるがままに』シリーズが完結!

 電子出版『修験道あるがままに』シリーズが完結!

この4月から始めた私の処女作『吉野薫風抄』の電子化シリーズですが、今日7月1日に最終編である『修験道あるがままに』シリーズ⑤として刊行・完結になりました。お待たせしました(…誰も待ってないか:笑)。

本シリーズは原作の『吉野薫風抄』を内容に応じて、5分割して電子化しています。⑤はその完結編となります。

シリーズ⑤の所収の文章は16編。
恩師にいただいた初版本序文とあとがきも加えました。

(内容)
 序文⑤
 男女交会の時
 目標設定の勧め
 死に習う
 子供は授かりもの
 布施化粧
 癸亥の年
 お日様のような人
 子供の有難み
 私が印度で得た宝
 釈尊への報恩行
 当たり前の不思議
 回転焼きと母
 自らを灯とせよ
 仏法に生きる

 初校序文

 あとがき

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初版本のあとがきに、本シリーズ自体のあとがきも加えています。
ほぼその内容がわかるので、添付しておきます。

 

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 ◇ ◇ ◇

本書の原書となる筆者の処女作『吉野薫風抄』出版から、なんと二十五年の歳月が過ぎた。時代は大きく変わったが、この四半世紀は、私にとって、飛躍・活動の時代だったといえる。その原点こそ、この処女作の中で語った熱い情熱だった。

電子書籍『修験道あるがままに』のシリーズ完結に際し、淺田正博先生の処女作序文と私の初版本あとがきをあえて収録したのは、私のたっての願いである。若き情熱への、原点回帰という意味と受け取っていただければ幸いである。

じつは電子化再編の作業をする中で感じたことがある。それは本編の中で、まるで現在の自分に向けて書かれたのではないかと、胸えぐられる思いを持つような文章に何度も出会ったことである。

四十、五十は洟垂(はなた)れ小僧というのがお坊さんの世界であるが、齢(よわい)六十四歳を目の前に「いよいよ襟を正して生き直せ」と、青年の田中利典から叱責されているような気分で読み直したのだった。そういう意味では今回の電子化は自分の人生を振り返って、あらためておのれと向き合い直す大きな契機となった。それはもう感謝でしかない。

ただ、読者諸氏にはいかほどの評価を得る内容だったのかと危惧してやまない。シリーズ全編を通じて、読んでいただいた方には心よりの御礼を申し上げる次第である。ありがとうございました。

完結編のシリーズ⑤にはその感謝の意を込めて、本来は『吉野薫風抄』には入っていないが、私のお気に入りの随筆「お日様のような人」と「回転焼きと母」など二編を加えた。特に「回転焼きと母」は過去にたくさんの文章を書かせていただいた中で、もっとも多くの人たちに褒めもらったものである。

なお、出版に際して、写真家高橋良典氏、写真提供の金峯山寺、さらに処女作序文の恩師淺田正博先生、再版序文の盟友正木晃先生には、快く本書収録の協力をいただいた。あつく御礼を申し上げます。

またなにより今回の電子化企画立案に着手し、粘り強く編纂作業を遂行してくれた奇友青木実秀氏には心よりの感謝を申し上げたい。末尾ながら、彼なくしては本書『修験道あるがままに』を世に問うことはなかったことを記しておく。

令和元年七月一日 田中利典


シリーズ⑤のAmazonKindleサイト
 ↓
https://www.amazon.co.jp/dp/B07TPBTKKG/ref=sr_1_1?qid=1561906321&s=digital-text&sr=1-1&text=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%88%A9%E5%85%B8

よろしければご覧下さい。思う以上に時間のかかった電子化でした。

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