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「天狗と山伏」最終回

【天狗と山伏】(終) 講師/金峯山寺長臈 田中利典

4日続けて投稿してきました講演録の最終回です。

さて時間もそろそろ迫ってきましたが、せっかくですからね、地元奈良の天狗を調べました。奈良で天狗に関わるどんなお話があるかなと思いまして…。

ありましたね。ただし調べただけで実際に私は見たことはないので、詳しいわけではない、ということを最初にお断りしておきます。で、奈良で天狗祭というと、飛鳥坐神社のおんだ祭が代表格でしょう。御田植祭なのですが、天狗とおたふくが子作りをするという話です。衆人環視の中でセックスをする、すごい奇祭です。そういう行為を模した儀礼があるのです。これは天狗面の猿田彦が主役。猿田彦の奥さんは天鈿女命(アメノウズメ)さん。なかなかユーモラスな女の人なのですが、これがお多福さん。猿田彦と天鈿女命との子作りが飛鳥の御田植祭の見せ物のひとつで、正常位での子作りの行いがある。まあ、子供の前では言えない話ですよね。

 

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次に長谷寺に天狗杉というのがあります。これは長谷寺第一四世の能化(管長)英岳大僧正が、いたずらをする天狗を懲らしめるため天狗の住処となっていた大木の杉をみんな切ろうとしたのですが、一本だけ残してやった。そういう逸話が伝わっています。それが天狗杉で、今でも長谷寺には残っているそうです。

それから天狗の喧嘩。今回の妖怪マーケットの展示でも出ていましたね。月ヶ瀬村にある神野山の天狗と、伊賀の青葉山にいた天狗とが喧嘩をし、神野山の天狗が青葉山の天狗をたいへんおこらせてしまった。それで青葉山の天狗はさかんに石塊を神野山の天狗に投げつけた。神野山の天狗は弱いふりをしてほうっておいた。青葉山の天狗はそれにつけこんで、手当たり次第に石塊や芝生をつかんで投げた。そのため伊賀の青葉山には岩も芝生もなくなり、はげ山になってしまったが、大和の神野山は石くれが集まって鍋倉渓ができたり、山頂が芝生になったりして、きれいなよい山になった、という伝説です。

私の地元の吉野でお祀りされている天狗の話もしておきます。吉野山の喜蔵院と櫻本坊に天狗さんがおられます。画像が喜蔵院の天狗で、大峯大天狗という。ちょっと伝承が怪しいのですが、住職にお聞ききした話によると「いやわしもな、先先代から聞いているんだ」ということなので、たぶん先々代の先代さんくらいから伝わった話のようです。江戸時代末でしょうか。大峯山で修行していた山伏にすごい霊験があって、山で薬草であるとか、いろんなものを見つけてきて人々の病気を治しり、人助けにいろんなことをした。この行者さんがのち天狗として祀られるようになり、この天狗にお参りするとご利益を頂けるというので、喜蔵院でお祀りするようになったとのこと。今は喜蔵院の大峯大天狗と名付けられ、お寺にお参りすると御朱印もいただけるそうです。

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喜蔵院の近くに、櫻本坊というやはり山伏のお寺があります。ここには先ほどの天狗経にでてきた48の天狗の中の「吉野皆杉小桜坊」という天狗が祀られています。ここに行くと48天狗のお一人に会う事ができるわけであります。

私はだいたい言われた時間通りに終わるのが信条です。最後にせっかく山伏の世界を天狗に絡めて知って頂いたので、山伏の世界をビジュアルに感じて頂ける映像を用意しました。山伏の世界、山の行の世界をぜひ見て頂ければと思います。
♪ 映像放映
これは、奈良テレビが、世界遺産5周年の記念番組で同行取材をしてくれ、その時に六田知宏さんという奈良県出身のカメラマンが撮ってくださったものです。今も山伏修行というのはこうやって続いていて、大地にまみれながら修行している。そういう世界は今日のテーマである天狗の世界とどっかでシンクロをしているように思います。

で、最後の最後に天狗さんが私に気づかせてくれたちょっと難しい話をしておきます。先ほど、グローバルとグローカルというお話をしました。グローバルとは近代以降、欧米で起こった一つの価値観。それは資本主義とか市民社会とか国民国家とか、これが普遍的なものであるとした近代思想なのですが、これによって世界中が覆いつくされるようになった。グローバル、ユニバーサルとして…。

ところが欧米で生まれたそういう価値観が本当に普遍的なのでしょうか。何年か前に数学者の藤原正彦さんが「国家の品格」という本の中でこのように申されていました。「いくらチューリップが美しいからと言って、世界中をチューリップにしてどないするんや」と。桜が似合う国、サボテンの花が似合う国、ブーゲンビリアの花が似合う国、それぞれの国柄、土地柄があってしかるべきで、いくらチューリップが美しいからと言って、地球全部をチューリップにする必要はない。

グローバル世界というのはそういうチューリップ一色にするという事なのです。そこら中、ケンタッキーフライドチキンとマクドナルドのハンバーガーになってどうするのだということを考えないといけない。奈良には奈良の、吉野には吉野のおいしいものがあってしかるべき。今、世界中がグローバル経済という事で、一つの価値観がいろんな国の風土・歴史を踏みにじってきている。経済だけを優先する社会、そういう現況を目の当たりにします。

たとえば、あのフクシマの原発事故によって、周辺の土地だけでなく、そこの歴史、そこに生きた先祖、そして神、仏。すべてが壊されている。物質文明社会を生み出した近代化のひとつの究極が原子力発電とみるなら、グローバルなものとして作り出した末に導いた哀れな姿なのではないでしょうか。そういう時代だからこそ、私達はもう一度立ち止まって、それぞれの国柄、土地柄、風土というのを大事にしなければならないと思うわけです。

実は天狗や妖怪というのはその土地の背景、風土、歴史が作り出していたものです。冒頭にいいましたように天狗や妖怪は実在はしません。いたら必ず動物園にいます(笑)。実在はしないながら、ただし、事象として現象として確かにあるわけで、それを語り繋いできた時代とかその歴史背景とか風景とか、そういう事の方がよほど人類にとって普遍なものなのだと私には思えるのです。そういう普遍性を失って、欧米人が作ってきた価値観だけを増やし続けるは間違いなのではないか。だからグローカルがキーワードだと言ったのです。今さらグローバルな世界を、元のローカルだけの世界に戻すことはできないにしても、グローバルなものを生かすのはローカルなもの、その土地に生きる人々の風土や国柄との和合があってこそなんだと、いいたいのです。今こそ、天狗や妖怪の話を取り戻さなければいけない時期を迎えているのではないでしょうか。

最後にまとめます。「ゲゲゲの鬼太郎」は偉いのです。水木しげるさんが「ゲゲゲの鬼太郎」をお書きになって、妖怪の世界を紹介をされて以来、妖怪ブームが実は何度か周期的に来ています。今まさに“妖怪ウォッチ”という新しい妖怪のツールも出てきて、妖怪の世界が脚光を浴びていますが、これには意味があります。じつは欧米人が作り出した価値観の根底には、人間の英知で全部の事象を理解できるとしたものであります。理解できないものは迷信であると葬ってきました。でもね、人間が理解できる真理というのはごくわずかなのです。どれだけ科学が発達しても、森羅万象には人間が理解できないことの方が遥かにたくさんあるわけです。これはずっとこれからもそうなのだと思っています。その、人間には理解できない世界があるという事を、妖怪や天狗が教えてくれているとするなら、妖怪や天狗の世界を大事に保っていくというのは極めて大きな意味があると私は思っています。

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日本は世界の中で妖怪の数が際立って多い国です。もちろん、“ムーミン”とか“麒麟”とか世界中はにいろんな妖怪はいます。でも、日本ほどたくさんの妖怪がいる国はないのだそうです。これは日本が多様なものを多様のまま守ってきたという一つの証なのです。その象徴が天狗や妖怪の世界だと私は思います。今回、天狗の話を調べさせて頂くほどに間違いないなと思った次第です。

もう一つだけ、おまけ…。今はね、情報過多な世界です。私も結構情報ツールを使いますから、毎日毎日いっぱい情報を得ます。もう要らんような情報ばかりです。朝からテレビ見ていても、一生行かないようなモスクワの天気とか、リオデジャネイロの天気とかやってます。そんなものいらんのです。そんな外国の天気より今朝の奥さんのご機嫌を予報してもらう方がよほど役に立ちます(笑)。でも我々は必要な情報よりもいらない情報をばかりを、朝から晩までどんどんどんどん与えられている。

もっというと、情報というのはいくら得ても何にもならんのです。情報が知恵になり、生きる力になるのは、実は情報が物語になったときです。そのとき我々の中でその知った情報が意味をなしてくる。妖怪の世界、天狗の世界というのは実は物語の世界です。物語にされることによって我々は何かを得る。情報過多の世界に生きていく我々は、これからは物語ー自分が得た情報をどう自分の中で物語としていくかが大事。そういう物語をする世界を妖怪の世界はずっと持ってきましたから、妖怪の世界を知ることによって物語することの大事さを知るのではないか。そういうことも思いました。

天狗と山伏という話でこんなに二つもすばらしい結論を見出すことができたのは、ひとえに皆さんのおかげだと思います(笑)。ちょうど時間となりました。天狗の話をきちんと出来たかどうかわかりません。まあ少なくともお前は天狗になっていると偉い人からよく怒られるのですが、そういう鼻高天狗が、よくわからない天狗の話をしたと、今日はそれに免じて頂いて、私の時間とさせて頂きます。ご静聴ありがとうございました。(拍手)

***********

以上です。たいへん長い長い講演録でしたが、最後まで読んでいただいてありがとうございました。

講演してから一年近く、文字起こし原稿を忘れていました。もっと早く文章化していれば楽だったのですが、すっかり内容を忘れたころに手を入れたので、ずいぶん苦労をしました。つまり世間に初めてお披露した原稿です。いろいろ突っ込みどころ満載の内容ですが、ともかく書き終えることが出来てほっとしています。ご感想などいただければ幸いです。

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