名医

今年5歳になった一番下の子は生まれてからすごいアトピーに苦しんだ。特に1歳を過ぎてからはもう顔中がずるずるに皮膚が破れ、身体も背中といわず、腹といわず、そこら中全身に湿疹が出て、本当に可哀想だった。

一ヶ月に何度も、アトピーに効くという温泉巡りをしたり、いろいろ試みたがあまり効果はなく、日ごとに悪くなっていった。

2歳になる年のお正月に、結婚記念日を兼ねて、家内と息子の三人で有馬温泉に080901_18490001 アトピー旅行をした。そのとき、ホテルの仲居さんがあまりにひどい息子の症状を見て、自分もかかっていたという宝塚の皮膚科の名医を紹介してくれた。

早速チェックアウト後に宝塚に向かい、その名医を訪ねたのである。聞きしにまさる混みようで、診察券を出して、実際に見て貰うまで、5、6時間は待たなければならない混雑ぶり。信じられないほどの混みようで、普通はそんなところはお断りが信条の私であるが、でも我が子のためだと、根気よく待って診察を受けたのだった。

今でも覚えているが、息子はふだん身体を触らせないのに、初対面にもかかわらず、先生にはむずがることなく診察をさせ、先生の指示で看護士さんが薬を塗ってくれると、なんとすやすやと眠ってしまった。

「田中さん。家が燃えているときどうしますか?消防車を呼んで、消しますよね。この子のアトピー性皮膚炎もいわば火事なんですよ。炎症って皮膚が火事だってことでしょ。だったらまず消してやらないと」といって少しきつめのステロイドを処方していただいた。ステロイドってどうなの?って思っていたが、「少しきつめでもまず先に消してあげた方がかえってステロイドを使う量が少なくて済むし、ともかく消さないと治療もできないのですよ。消したらあとは子供の成長に合わせてじっくりと治してあげればよいのですから・・・」と先生に叱られたことが今も脳裏を離れない。どんなに混んでいてもきちんとお話しをしてくれ、丁寧に薬の使い方を説明をしてくれたのだった。まちがいなく、名医であった。

それから毎月、あの大混雑の治療院に1年半ほどは足繁く通って、おかげですっかりアトピーが治っている。今では2,3ヶ月に一度行くか行かないかくらいでほとんどアトピーの心配がなくなった。

もう情けないくらいアトピーに苦しむ息子に立ちつくしていたあの頃が懐かしく思えるが、これも、かの名医の御陰である。

今日、2ヶ月ぶりに名医を訪ねる。

毎日毎日、朝の8時頃から途中ほとんど休憩をとることなく、昼の食事すら3時を廻ってしか取らず、夜は11時12090421_14070001 時までがむしゃらに患者をこなしている尾口先生。私はいつも頭が下がる思いでこの先生のことを尊敬し、感謝している。

奥駈は人生そのもの・・。

7月12日から修行に入っていた東南院の大峯奥駈修行が無事満行し、今日の昼過ぎに吉野山に帰ってきた。8泊9日の大修行である。帰山した行者の多くがすがすがしい顔をしていた。
私もこの6月に奥駈修行を終えている。で、その時の感想文的雑文を書いたが、遅ればせながらアップします。どうぞ。。

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「奥駈は人生そのもの…」

今年も奥駈修行に参加した。大きな事故もなく、また六月の梅雨時にもかかわらず、覚悟した雨にもほとんど遭うことのない恵まれた奥駈となった。

私は毎年この奥駈行では、峯中の拝所での勤行中に、何度か、まるで白い光に包まれるような体験をする。たぶんこの世に思いを残さず死を迎えることがあるとするなら、きっとこんな感じなのではないかというような、そういう光の中の心地よい気分である。ここ四年、毎回のように経験をしているが、今年も七曜ヶ岳遙拝所の勤行の際、そんな気分を経験した。

こういう気持ちよい体験だけではなく、奥駈では、いつもなにかしら、大きな気づきを生んでいただいている。今年もそれがあった。それは、「私がいかに多くの周りからの力や慈悲や恩恵に包まれて生きさせていただいているか…」、という思いに心が至ったことである。もちろん日頃からそれなりにいろいろなありがたさや、御本尊を始め、家族、友人、知人などの恩恵には感謝しているつもりではあるが、奥駈中に観ずる感覚はまた趣が深く、心に沁みるものがあった。ただそれらの感覚は私個人のモノであって、他の参加者と共有するわけではないだろう。しかし、それにしても奥駈の世界で学ぶことは実に多いのである。

奥駈中の法話でいつもお話ししているが、修験道の修行とは大変親切なところがある。それは大きな志をもって臨んだ人も、たとへなにも持たなくて臨んだ人も、それぞれそれなりに体験的ななにかを感じさせ、覚醒を与えてくれる、ということである。頭で作り上げた世界ではなく、肉体を通じて、身体の痛みや疲労感を突き抜けた先に、なにかを掴かませていただくことが出来る世界が修験道の山修行なのだ。この辺は理屈ではなく、体験する以外にわかりようがないが、修行を経験した人には首肯できる話なのではないだろうか…。

まあ、参加者はだれもそんな小難しいことを考えたり期待したりして歩いているわけではなく、ただひたすら足を一歩一歩前に進めることだけに埋没する数日間、というのが奥駈修行の本当のところであろうが、この素晴らしき世界は山伏修行ならではの、ものなのかもしれない。一般の人でも縁を得て参加する人は毎年多いが、折角本宗の縁を得ながら、まだ経験されていない人々もいる。もったいないことだなあと、私はその人たちのことを思っている。

私の座右の銘のひとつ…。「人生を奥駈にたとえるのではなく、奥駈そのものが人生なんだ」と。今年も無事満行出来て有り難かったです。

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