「メール当世事情…愚痴かもしれませんが(^_^;)」

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「メール当世事情…愚痴かもしれませんが(^_^;)」

私はウインドウズ以前、まだDS-DOSの時代(たぶん昭和63年頃くらい)からパソコンに触れているので、パソコン暦は相当長い。

機械いじりは大嫌いなので、ハード面はからきしであるが、ソフト面というか、まあ使うということについては、その間いろんなことを経験してきたので、なんとか最近まではリアルタイムにパソコン関連の事象にはついてきた。

パソコン通信からはじまったネットの幕開け期も過ぎ超してきたし、SNSの時代もなんとか応対して、電子メール、ミクシイ、ブログ、ツイッター、フェイスブック、そしてラインと今も使いこなしている…、つもりである。

そんな中で思うことがあるので、つれづれに書きたいと思うのが、メールに関してである。

メールはもう当たり前のツールで、電話以上に情報交換や経済・商業取引、そして人とのつきあいでは重きをなしているのだが、そんな中で、業者や講演依頼の時や部下やお弟子さん達の内で、メールを書いても、なかなか返事をよこさない人がいる。

まあ、誤解を生むかむしれないのであえて書くが、この書き込みを読む人の中では、「え、私のことを言ってるの!」ってどきっとする人がいるかもしれない。しかし、これを読んでいる人たちは全く想定していない。実は、ほとんどはこういうものも読まないし、もしくは私とFB上で直接の「お友達」にはなっていない人を、想定して書いているので、ご安心を!!!。

…というよりこれを読んで気を悪くしたり、嫌いにならないでね。

もちろん私も4,5日の出張などが重なるとパソコン環境がわるくて、しばらく返事が遅れることがあるし、返事をするには逡巡するような場合、返事が遅れることはままある。だからその辺は重々承知をして上でのことなのだが、全く返事をよこさなかったり、催促しないとこなかったり、忘れた頃にしか返事がなかったりする輩がいて、正直、むっとするわけなのである。

JKの人たちが、ラインの返事をすぐしないと人間関係が悪くなるという恐怖観念が働くというような話を聞いたことがあるが、そういうレスポンスを強要するような話ではなく、せめて2,3日内には、返事は欲しいという程度の、ささやかな常識の範囲での話なのである。

「このかたは大先生なのだから、仕方がない」と思うような人は、実はだいたい丁寧に応対していただいてきた。たとえていえば松長有慶前金剛峯寺座主猊下などは88歳という高齢の大僧正であるにもかかわらず、ちゃんと返事を返していただいている。

どういうことかというと、物品の注文や、依頼された講演の資料を送っても受け取った確認の返事がなかったり、自坊の法要出欠の案内をしても催促しないと返事がなかったりする、というようなことである。

私は電話嫌いである。ときどーき、酔っ払って電話魔になることは年に1,2度あることもあるが、ふだん電話は急ぎの用とか、相手のアドレスをしらなかったりした場合以外は、おおかた、電話ではなく、メールでことを済ませたいタイプなのである。

家族とのやりとりさえ、メールの方が多いくらいである。

そういう私のようなタイプとは真逆で、メール嫌いで、なんでも電話で済ませたいという人がいるというのも、よーく理解をしている。

でも、貰ったメールの返事くらいはちゃちゃっとして貰いたいものである。以上。

愚痴に聞こえるかも知れないけれど、メールが必然となったこの世の中での、ささやかな提言である(笑)

「卒業式に思う」・・・田中利典著述集290221

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「卒業式に思う」・・・田中利典著述集290221

そろそろ卒業式のシーズンとなってきました。センターを試験と受けた高校生諸君はまだまだ大変な時期だとは思いますが。

今日の文章は今から11年まえの、我が子たちの卒業式に書いたもの。今年、一番下の3男が小学校を卒業するが、その卒業式に添えるために学校に提出する文章を書きながら、11年前を思い出して、古い文章を転記してみました。

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「卒業式に思う」

先日、高校を卒業する長女と中学校を出る長男の卒業式に出席した。単身赴任中の私はここ数年、仕事第一で過ごしてきたため、子ども達の学校行事にはほとんど参加していない。せめてもの罪滅ぼしという思いを込めて、出席したのであった。

今の子どもは大変だと私は思っている。確かにその時代時代でそれぞれ大変なのだろうが、今の子ども達の大変さはかつてこの国が経験したことのない、不確かな大変さである。

食えない時代は食うことが第一であった。食うことで幸せ感や生き甲斐を見出すことが出来た。私の育った時代は食うことはなんとか出来るようになってはいたが、まだまだ各家庭は貧困で、テレビや洗濯機が徐々に家庭にもたらされるだけで、少しずつ幸せになれたように思う。

そういう意味では今時の子ども達は食うことも、身の回りの贅沢もかなりのレベルで維持されて育てられた世代である。食えることとか、ものを持つことは当たり前で、感謝する心さえ、育みにくい環境の中、そういった物質的な幸せが当然のようにして大きくなった。

その分、今まで日本人が大事にしてきた情緒とか、和合とか、思いやりとか、もったいないとか、そういう美しい感情が置き去りにされ、ある意味、とんでもない時代に生きているのである。でも子どもの世代がそれを置き去りにしたのではない。その大人たちの世代が置き去りにして、経済発展ばかりを目指したから、親の背中をみて育った子ども達にそれが如実に現れているだけなのである。

そんな子どもの教育に当たる学校の先生は大変である。卒業式で居並ぶ先生方をみるにつけ、そんな思いを抱いていた。そしてそんな危うい子どもを持つ親もまた大変でなのある。

でも、それでも一番大変なのはやっぱり当事者である子どもたち自身であろう。幸いうちの子どもはそれぞれ普通の学校を普通に卒業してくれた。

今の時代、普通に過ごすことはそうたやすいことではない。加えてほとんど家にいない父を持つ我が子たちはよく頑張ってくれたものだと改めて思ったりした。家内も含めて彼らを支えてくれた家人みんなに感謝し、進学して更に成長しつづける子ども達の未来に、大きな祝福が待つことを密かに念じるのみである。

ー平成18年3月あやべ市民新聞「風声」欄への寄稿

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文中に「ある意味、とんでもない時代に生きているのである」と書いたが、そういう状況は改善されるどころかますますひどい方向にきているような危惧を覚えますね。大人たちがしっかりしなければ子供達の未来はいよいよ危ういのです。

それにしても単身赴任22年であった私は、人に教育論を語れるほど親をやってきていないので、面目ないです。

写真はこの春綾部市の展覧会で入賞したウチの三男の自画像?。。

*よろしければ皆さんのご感想や卒業式の思い出などをお教えください。

今日は「神仏霊場会」の教学委員会

今日は「神仏霊場会」の教学委員会。霊場会の事務局がある京都の泉涌寺で行われる。

実は今期から、私はこの委員会の委員長を預かっている。大それたことになっているのである。

神仏霊場会は平成20年に伊勢神宮を中心に西国の大寺大神社などが加盟して発足した日本最大の巡礼の会。来年には10周年を迎える。

...

発足当時の私のブログ
http://yosino32.cocolog-nifty.com/blog/2008/…/post_d428.html

ポスターチラシのたぐいもなく、大々的な宣伝もずーーと行われないまま、ここ9年ですでに1000名を越える152寺社の巡礼満願者があり、その熱意には圧倒されるものがある。

加盟寺社が多いため、さまざまな問題や意見もあるが、そろそろ多くの皆さんに、大々的な告知活動を展開していければと思っている。その第一歩となるかもしれない・・・今日の会議である。さてさて・・・。

「2月5日(日) 林南院節分会大祭のご案内」

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「2月5日(日) 林南院節分会大祭のご案内」 

私の自坊林南院では、本年も星供祈祷壇護摩供を以て、今年一年の開運厄除除災招福を祈念する 「林南院節分会大祭」 を厳修いたします。

今年は2月の第1日曜日である2月5日(日)午前10時30分から執り行います。

当日は例年通り、午前中には日数心経会として全員で般若心経をお唱えし、引き続き今年一年の運勢解説と法話を住職が行います。また今年から新しく福引き付き特製「脳天飴」の恵授も行います。

そして、メインの午後の護摩供では本堂ご宝前にて、参拝者一人一人に無病息災開運厄よけの特別霊杖加持を修法します。身も心も清浄になりましょう。

なお、法要後には、境内にて古札のお焚きあげを行います。古いお札をお持ち下さい。

万障繰り合わせの上、ご参拝下さいますよう、ご案内申し上げます。 合 掌

*当日は混雑致しますので特別祈祷、特別大札祈祷、脳天のぼりの奉納、および護摩木を別紙申込み書によりお申し込み下さい。
また今年より新たに一年間・半年間の長日祈祷も申し受けています。

○ 節 分 会 大 祭 執 行 要 項

日 時 2月5日(日) 午前10時半より

厳修方
・午前10時半:日数心経(開運を祈り、全員で唱えます)                     ▽住職講話[今年の運勢のお話]
        ▽破魔矢などの景品付き「脳天飴」の恵授配布
・正  午 :昼食(田舎弁当を用意しています)
・午後1時 :幸せを呼ぶ星供採灯護摩供厳修 *本堂で修法します
       …護摩中、参拝者全員に特別加持を行います
      引き続き、古札発遣・古札焚き(境内外の浄壇で梵焼します)
・ 午後三時頃:お札授与、甘酒接待             
 
◎当山にて粗昼食を準備しております故、早々とご来山下さい。

「日本の多様性について」 ・・・田中利典著述集290125

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「日本の多様性について」 ・・・田中利典著述集290125

私たちは明治以降、「近代合理主義」に少し洗脳されてきたのではないでしょうか?

面白いことに、日本人は生まれたら宮参りを、お盆やお彼岸には墓参りを、そしてお正月には初詣をします。結婚式に至っては、八割方がキリスト教式か、神式です。その上、クリスマスにはキリスト生誕のお祝いをし、死んだらおおかたの人がお坊さんを呼んで葬式を出します。

...

そんなことをしているにも関わらず、「あなたは宗教を信じていますか?」と人から尋ねられると「いえ、私は無宗教です」とか、「私は無信心です」と言うでしょう?

これはおかしいと思いませんか? 本当に無宗教(無信心)の人ならば、そんなことはしません。では、何故、皆このように答えるのでしょうか? 確かに、一神教を信ずる人たちから見れば、「宮参りをし、クリスマスを祝い、法事をするような」無節操な人々は無信心です。けれども、それは一神教を信じる人々の価値観であって、日本人はずっとそういうことをやってきた訳です。

明治維新から約百五十年が経とうとしています。確かに、日本は経済発展を遂げましたが、現在の日本人のこころの依りどころ、もしくはこころの有り様というのは、既に取り去られて久しい気がいたします。梅原猛さんがおっしゃった「明治以前の取り戻すべき感性」があるとすれば、まずそういったことを見直すところから入っていかなければなりません。

私は修験道の立場から発言しますから、修験者として言っていますが、私は別段、「修験道だけが優れている」と思っている訳ではありません。確かに、修験道には、今日申し上げたように、たくさんのキーワードが残されていますが、同様に、神道にも仏教にも数多くのキーワードが残されているのです。ただし、近代合理主義の弊害に気付きがないと、なかなか元々からあった、日本人の多様な精神文化を取り戻すことは叶わないように思います。

「宮参りもするが、墓参りもする」日本人の心情というのは、決して卑下するものではないと思います。一神教を信じる人たちが行っているように、ひとつの価値観で物事を括ろうとしている限り、いつまで経っても争いは絶えません。

日本においては、イスラム教徒とキリスト教徒が喧嘩しているのを、私はついぞ見たことがありません。日本人が全てを受け入れてきたように、「多様なものを持っている」ということが大事です。

「多様性」とは、単に宗教だけを指すのではなく、自然との関わり、人との関わりの中で育まれるものでもあります。「日本には四季があり、豊かな自然環境がある」また「地震や台風など、自然災害が多い国」と言われますが、もし、日本がもう少し北に位置していれば北方文化(大陸・遊牧文化)になったでしょうし、もう少し南に位置すれば南方文化(海洋・漁労文化)になっていったのです。

しかし、日本は、中国や韓国から(儒教や仏教や道教といった高度に体系化された)文化が入ってくる一方、北方及び南方からも、それぞれ独自な文化が入ってくる反面、南東側は地球で一番広い太平洋だけが広がっている・・・・・・すなわち、諸文化の集積地だった訳です。それが、多様な文化を並立して育んできたのです。

更にですが、この限られた日本列島の下には、全地球上の一割にあたる八十いくつかの活火山があります。そういった自然からの驚異もあるが、同時に多様な自然からもたらされる豊かな恩恵もある・・・・・・。われわれの感性は、そういう自然条件と様々な文化が交わった中から育まれてきたものなんですから、そんなに卑下する必要はないんです。

むしろ、こうも言えるのではないでしょうか。「もしかすると、ひとつの価値観で括ろうとすることで衝突が起こり、自然をもの(対象物)として見ることで破壊を進めてきた二十世紀の反省を促す、あるいは提言を与えられるような価値観を日本の歴史・文化は持っているのではないか」と・・・・・・。

ぜひ、宗教者のほうから、今後そういった提言を続けていくことが、大切なのではないか? と思います。

今の日本は、何処に立っているのか? これから何処へ行こうとしているのか? 明治以降、宗教者もある種そういう価値観(近代合理主義)に手を貸し、共に歩んできた面があったと思います。しかし、もう一度明治以前の価値観を見直すことを自らの教えの中に見出すことが、より日本を活性化させることに繋がるのではないかと思います

  ー大阪国際宗教同志会:平成17年5月23日、「愛・地球博」長久手会場「地球市民村」において開催/国際シンポジウム基調講演・田中利典『水・森・いのち』より

**************

私はもう4-500回くらいの講演やシンポに出させていただきました。その中で多くの講演録、シンポ録がありますが、その中でも1,2を競う素晴らしい講演録だと思います。

なお、この講演録は知友の三宅義信先生の手が入ったものです。全文は ↓ ここにあります。ご参考まで・・・。

http://www.relnet.co.jp/expo/event_31riten.htm

*写真はイメージです。

「りてんさんの知人友人探訪予告!」

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りてんさんの知人友人探訪予告!」
 
明日のならどってFMのラジオ出演のゲストは奈良県庁の辻本観光局長です。
 
ご存じのとおり、地元綾部のコミュニティラジオ・FMいかるでこの4月よりコメンテーターを始めましたが、その中で「りてんさんの知人友人探訪」というコーナーを放送しています。
 
また最近は、ならどっとFMさんと、FMいかるとの共同で制作をしていただき、奈良のみなさんにも聞いてもらっていますが、明日はならドットFMさんで、今年最初の収録をします。
 
ならどっとFMでの放送は第2金曜日の午後3時から4時までの生放送。その中で、毎回、奈良の知人友人をお招きして対談させていただいています。
 
今回は私の金峯山寺時代に、吉野の所轄だった南部東部振興の振興監としてお世話になった今の辻本観光局長さま。地方創世の話などをお聞きしようと思います。
 
奈良局での収録では過去、興福寺副貫首の森谷英俊猊下や岡本彰夫元春日大社権宮司さまはじめ、薬師寺の村上太胤管長さまなど、多彩な方々に出て頂いています。
 
明日の3時から4時、奈良の方はどっとFMで聞いてください。
http://www.jcbasimul.com/?radio=narafm
 
奈良市以外の方は、サイマルラジオで全世界で聞けます→http://www.jcbasimul.com/?radio=fmikaru 
 
なお、過去の収録分は順次、私の新しい公式サイト→ http://www.tanakariten.com/ でアップさせていただきます。
 
*写真は前回の金峯山寺管長五條良知さんとの収録時のものです。

小椋佳「歌談 老猿の会 コンサート」 2017

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椋佳  「歌談 老猿の会 コンサート」 2017 ・・・に行ってきました!
 
先日(7日)、京都のロームシアターで行われた小椋佳の「歌談 老猿の会 コンサート」に独りで行った。ひとりでコンサートに行くのは30年ほど前の、山崎ハコのコンサートと、10年ほど前に行った井上陽水のコンサート以来である。
 
さすがに歌い手の年齢を考えると、頷けるような世代の人ばかりで、私の少し上から少し下の年代ばかりであった。夫婦連れか、おばさんのペアが多かった。男の二人連れというのはほとんどなかった(笑)が、独りというのもいささか肩身が狭かった。
 
実は小椋佳のコンサートははじめてである。一度、蔵王堂で吉野JCが桜のシンフォニーとして小椋佳を招いたことがあって、そこで生の小椋さんに会ったが、もう30年以上前のことになろうか?いずれにしろ、73才を迎える小椋さん。胃がんを患って、すごくやせておられたのが遠目にもわかるほどだった。行けるときにいっておかないと、二度といけないかもと思って、一人で行ってきた。
 
歌は往年の「さらば青春」「俺たちの旅」「愛しき日々」ではじまり、最近の歌なども少し織り交ぜながら、「少しは私に愛を下さい」「泣かせて」など、涙が出るほど懐かしい歌が続いた。小椋さんの次男のお嫁さんという琵琶奏者坂田美子さんが琵琶を演奏しながら「花霞そして舞落ち葉」を歌い、またウクライナ出身のバンドゥーラ奏者ナターシャ・グジーが小椋さんの歌をカバーしたアルバム発売の話が紹介され、小椋さんの歌をバンドゥーラの弾き語りで1曲歌たわれた(題名はわすれちゃいました。有名な楽曲です。めまいだったかなあ‥)。
 
そのあと、たぶん小椋さんの最近のコンサートでは常設でやっておられるのであろう、朗読劇/歌綴りが行われた。劇中に何曲か懐かしい小椋さんの歌が入り、最後は「愛燦燦」で朗読劇の幕が閉じられえた。
 
その後、みんなが知っている歌に戻り、「夢芝居」「シクラメンのかほり」「山河」と続いた。ほかにも何曲か披露されたが、覚えられなかったので、セットリストまではあげられない。ともかく朗読劇だけでなく、曲間のおしゃべりが結構長くて、2時間にしては歌われた曲数はあまり多いとは言えないが、往年の曲が多くて、私的にはとても感激したコンサートだった。アンコールは知らない歌の3曲だったが(「次の街へ」「顧みて」「サヨナラ」かな)、とてもいい感じで終わったのでした。
 
まあともかく、一度もスタンディングも手拍子もない、飄々としたコンサートでした。題名のとおり、お客も老猿の世代。私もおだやかな音楽会の時間を堪能しました。
 
全国ツアーなので、このあとも各地を回られるそうですが、小椋佳世代の方にはおすすめです。
 
*曲名は順番も含めて、まちがっていたらごめんなさい。

「SMAP解散と諸行無常」

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「SMAP解散と諸行無常」

今年1月12日にスポーツ新聞が報じた「SMAP解散」に揺れたこの1年だった。ファンもファン以外の人もいろんな憶測に杞憂したことだろう。そしてこの年末にSMAPは別れも言わず、静かに解散する。つくづく「諸行は無常」だなあと感じている。

「諸行無常」とはこの世の理。…この世に存在するすべてのものは、同じ状態を保つことなく移り変わっていき、永久不変なものなどないという『涅槃経』等に説かれる仏教の真理であるが、わかっていても切なくて儚いモノである。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらわす」・・・という平家物語の一節が思わず心に浮かんでいる。

「祇園精舎の鐘の音は、世の中に不変はないと言っているように聞こえる。沙羅双樹の花の色は、盛んな者は必ず衰えることを表している」というような意味であるが、国民的グループもまたその理からは免れることがないのだ。

そういうことを学んだ1年だったと言えるのではないだろうか。

いや、ひとりのファンとしては歳衰えた醜態を見せず、解散をする美学をたたえてあげたいと思う。

「師走です・・・・」

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「師走です・・・・」

このところ、ずっとのんびり生きていたが、さすがに師走である。ちょっと追い込まれてきた。

で、ふと気づくと、今月は講演やトークショーが目白押しである。

12/4  「躍る旅人・能楽師津村禮次郎の肖像」上映会トークショー(スミ)
12/6  種智院大学「寺院運営論・修験道講義②」(スミ)
12/9  「弘法大師の道~トークセッション~ 田中利典vs横山峰弘」
12/10~11 「The Next Decade Program知命社中」吉野山研修
12/14 なら食と農の魅力創造国際大学校「奈良学入門・修験道に学ぶ」
12/18 誇り塾講話会「利典さんの仏教講座1 仏教とはなんぞや?」

この中、トークショーのたぐいはまあ出たとこ勝負なのだが、あとの4講座はそれぞれパワポの制作から準備をしなくてはいけない。昨日、なんとか種智院大の講義を終えたが、あとの講座はまだなにも準備が出来ていないから、さあ大変だ。

その間、ラジオ出演や大槻文蔵先生の祝賀会、某役員会議、末寺の落慶法要2件に加えて、公私こもごもの忘年会など、なんやかんや、まあこれから3週間はドトウの日々を迎えているのである。

あいかわらず自坊の法務は暇であるが、いろいろと声掛けをしていただけるのはありがたいことである。ともかく、しこしこと講座のパワポ作りに邁進している夜明けの私である。

そんな風に、ばたばたと忙しがりながら、2016年も暮れていこうとしている。

*写真は昨日無事に終えた種智院大学「寺院運営論・修験道講義②」のパワポ画面。

「今夜の一言特集・10月11月編」

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「今夜の一言特集・10月11月編」

ツイッターやフェイスブックで書き綴ってきた「今夜の一言」。これってその日、その夜、つれづれに自分の心に浮かんが言葉を吐露したもので、まあ、人前に出せるほどのものではないですが、オリジナル言葉(迷言かなあ…)です。

最近、それをとりまとめています。今日は10月11月編をどうぞ・・・。

****************

●2810~
今夜の一言「生きるとは夢を見ること、壊すこと、そして夢に帰ること」 ~真田丸を見ながら。

今夜の一言「捨てる神あれば拾う神あり。まだまだ人生、捨てたものでもないわいな」

今夜の一言「さよならと出会いの真ん中で生きてる私。皆さまのおかげです」

今夜の一言「猿間、犬間、鳥間、魚間という言葉はない。人は人の間で生きるから楽しいし、そうやって生きている。だから人間と言うのかも知れない」

今夜の一言「否定をしようと肯定をしようと、事実しかないのが、人生の軌跡。感謝できるわが軌跡にただ合掌です。」

今夜の一言「ワクワクして死にたい」 ~by明石家さんま

今夜の一言「文句を言うな、感謝しろ!と、人に言うより自分に問うてみて、合掌」

今夜の一言「天命を知るとは己を知ること、いや、己を捨てることと覚えたり」

今夜の一言「与えられた時間をどう生きようか?与えられた命をどう活かそうか?与えられたものだということをついつい忘れて、無為過ごす自分を反省する一日です」

今夜の一言「生きることに流されず、生かされていることを抱きしめたい」

今夜の一言「今の自分に不満があるときは、世の中や他人のせいせず、自分自身の有り様を問うてみましょう」

今夜の一言「言葉は真実を表現出来ないのに、言葉で現実は動かされる」

今夜の一言「終わらない日常の中に私の行がある。何かを断つのではなく、何かを行う前向きな行者でありたい」

今夜の一言「善人と悪人の真ん中で生きるから人間。神と悪魔の真ん中でもある」

今夜の一言「正直、アホらしいと思うことにもたくさんの意味がある」

今夜の一言「自分にしか歩けない道がある。そう思って、暗闇も突き進もう❗」

今夜の一言「失敗を繰り返してもなお成長出来ない人間を凡人という」

今夜の一言「人のためにしてあげたことは忘れた方がいい。けれど人にしてもらったことは忘れてはならぬ。」

今夜の一言「人間だけが永遠という概念を持っていて、懊悩する」

今夜の一言「腐るな、めげるな、愚痴いうな。運も希望も君次第」

今夜の一言「休息は大切である。ただし、怠惰であってはいけない」~最近、怠惰です。

●2811~

今夜の一言「人の温もりに人は集う。人の集いには喜びがある。喜びがまた、温もりを作るのである」

今夜の一言「祭りのあとのさみしさは…楽しかった大きさに反比例する夜を迎えること」

今夜の一言「報われる努力と報われない努力。そりゃあ、報われる方がいいに決まっていると思うけど、そうでもないと思っておいた方がいいのが人生。結果は死んでからでも遅くない」

今夜の一言「世の中はなにかと大変だ。でもこの世のことはこの世でなんとかなると、思って生きよう!」 ~トランプ大統領騒動に一言。

今夜の一言「人生という航海は後悔の海に浮かぶようなもの。後悔先に立たずという荒波を漕ぎ分けていくしかないのだ」 ーおそまつ(笑)。

今夜の一言「去る者追わず、来る者こばまず‥というが、望むと望まざるに関わらず、人生は非情に去り、非情に来るものである」

今夜の一言「穏やかに生きることも悪くはない。たとえ時代の風にわすれさられたとしても」

今夜の一言「不機嫌な態度は徳をなくし、和顔愛語は徳を積む」 ~常に人は慎むべし

今夜の一言「思い通りにならないことにイライラするのは愚かなことだ。じっと笑って見過ごそう。なるようにしかならないものはなるようになるからね」

今夜の一言「人はなにかをなした方をすごいと言うが、なにもなさなくても生き抜くだけですごいのだと思う」 ~薬師寺も大伽藍に囲まれた圧倒的にすごい境内に佇んで。

今夜の一言2「なんでこんなこともできひんのやろと思うあんたが間違っている世の中に生きてます」

今夜の一言「人を羨むことは自分を貶めること。わかっていそうでわかってないよな」

今夜の一言「独りよがりの寂しさは己の気付きの始まりかな」

今夜の一言「努力は報われなくても、神さまは知っている」

今夜の一言「愚痴と他人の悪口は自分の値打ちを下げるだけなのに、人は常に自分を貶めることに熱心である」

今夜の一言「人は常に過去・現在・未来を生きている。過去に執らわれ過ぎたり、未来を懊悩し過ぎるのは愚かなことである」

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