TBS テレビ番組、スーパードクターズ 放映日決定。 




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実は昨日、スーパードクター木原俊壱先生の診察を受けてきました。かなり重篤な脊椎の狭窄症だとわかりました。そんなつもりで伺ってなかったので、仰天してしまいました。

その木原先生をご紹介いただいた、NYの名倉さんが、木原先生のテレビ出演をブログで紹介されています。以下、添付します。

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TBS テレビ番組、スーパードクターズ 放映日決定。 

今回の投稿は珍しく一般公開をさせて頂いてます。 

シェアして頂ける方がいらしたら感謝です。 ...
いいねを押していただくだけでも結構です。 

少しでも多くの方に医学博士であり、京都脊椎脊髄外科院長である、木原俊壱ドクターのこと、木原ドクターの手術法を知っていただき、首、背中、腰の違和感、痛み、手足の痺れの悩みの解決になればと願っています。  

医学博士、京都脊椎脊髄外科院長、木原俊壱ドクターが密着取材されているスーパードクターズの放送日の詳細をお知らせします。 

放送日
平成29年7月24日(月曜日) 20時00分〜23時00分

TBS テレビ
「スーパードクターズ」

小生は普段はニューヨークに住んでいます。1991年からアメリカで会社を経営しています。 

木原俊壱ドクターとは、昨年の秋、京都の「京の酵素浴」の栗林保利オーナーの紹介で会食したのがきっかけで、以後親しくさせていただいております。 

今までに、首、腰、背骨等の痛み、手足の痺れ、違和感があった小生の知人50人余りの方が診察を受けました。そのうち数名の方に重症が見つかり現時点で3名の方が手術を終え健康なライフスタイルを取り戻しました。 一般診療での手術の待ち期間は数年待ちですから、すぐに手術をしたがる暇な医者とは異なります。

老化や姿勢、生活習慣と密接にかかわる脊椎脊髄疾患、老化や姿勢、生活習慣と密接にかかわる脊椎脊髄疾患、特に首の異常に伴う問題は深刻です。

手足の痺れや痛みを自覚しながら放置して生活している間に、運悪く打ちどころが悪いと、そのまま一生車椅子や寝たきりになる危険もはらんでいます。取り返しのつかない状態や手遅れになるのを防ぐためには、肩こりや首の痛み、手の痺れなどのサインを感じたら専門医に検査を依頼し、必要ならば手遅れになる前に手術などの適切な治療を受けることが肝要です。

日本では首や腰の手術、特に首の手術は手術をしても良くならない、或いは手術を失敗すると車椅子や寝たきりになってしまうという恐怖心や先入感が強いため、避けたり逃げたりしている間に転んだりぶつかったりして車椅子や寝たきりになってしまう場合が多々あります。 

車椅子や寝たきり予備軍の人々を救い、ひいては地域や社会の健康寿命を延ばすことにつながるというこれらの木原ドクターのミッションに小生は賛同しました。

つまり、小生は木原ドクターとなんら利害関係もありません。 

小生の知り合いの方、またその知り合いの方で、悩まれている方がいらしたら、少しでもお役に立つことがないかと考え、情報提供のお手伝いをしているだけです。 

池に石を投げれば波紋ができます。 

頚椎手術の歴史を変えた方法を開発し7000名以上の患者を手術実績があるドクターです。 

新しいことをする人に対してのやっかみ、嫉みは、どの業界でもあります。 

木原ドクターについてではありませんが、ネット上で何事にも誹謗中傷をしている人をよく見かけます。 

そういう方々の特徴は、ルーザーメンタリティで、いつも負け犬メンタリティで考えます。 
当事者に会ったこともないのにデマをばら撒き、否定的なコメントをします。 
ネット上は嘘の情報が多いので、でどころをきちんと確認してください。 

木原俊壱ドクターのことをどうのこうの言う前に、気になる方は一度会ってみてください。 

小生のお知り合いの方またそのお知り合いの方でしたら、特別に小生から木原ドクターへ紹介も可能です。 お気軽にご連絡ください。 

まずは、 TBSテレビ番組、「スーパードクターズ」 平成29年7月24日(月曜日) 20時00分〜23時00分 を観てください! 

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それでは、以下、木原俊壱ドクターの紹介をします。 

木原ドクターは、約22年前のアメリカ留学中にK-method(低侵襲頸椎椎弓形成術)を考案。

帰国後、約18年間で7000例以上の手術実績があり、合併症はほとんどありません。
K-methodとは、皮切範囲は3cm程度で手術時間も従来の手術より短いため低侵襲(身体に負担の少ない)で安全な手術です。 

K-methodの論文が世界的に認められ、米国の医療論文雑誌「NEUROSURGERY」に掲載。また、2006年12月には週刊朝日の手術数でわかる「いい病院」の頸椎手術編で大津市民病院(木原俊壱所属当時)が全国1位にランキングされました。当時、大津市民病院の頸髄症の手術件数の7割は、K-methodにより、木原俊壱が執刀されていました。

木原俊壱ドクターは、2013年4月8日に京都市南区の世界遺産「東寺」の東門前に脊椎専門の病院「京都脊椎脊髄外科・眼科病院」を開設し、理事長・院長に就任。

患者は、北は北海道、南は九州・沖縄まで全国からK-methodを求めて受診されています。 最近では、日本国内のみならず、海外(アメリカ・ベルギー・スペイン・フランス・シンガポール等)からも多くの患者がK-methodの手術を求めて来院され、絶大なる支持を得ています。 

その他、詳細につてはホームページをご覧下さい。

木原俊壱ドクターホームページ:http://k-method.info

京都脊椎脊髄外科眼科病院ホームページ:www.kyoto-shinwa.com

(木原ドクターのホームページより一部引用)

#首の悩み #頚椎 #脊髄 #首の痛み #手足の痺れ #木原俊壱 #頚椎手術 #京都 #スーパードクター  #シェアしてください #拡散希望 

Approved by Dr. Kihara

*写真は昨日購入させて頂いた、木原先生のご著書です。

「引きこもり生活4日目・・・得詮大僧正17回忌」

「引きこもり生活4日目・・・得詮大僧正17回忌」
 
なかなかやっかいな病気なんだと、つくづく思う肺炎生活。熱も出ないし、いっときのような地獄の咳連発もないのだが、まだ、妙な痰と咳は切れない。
 
今朝もリハリビをかねて朝から散歩をしたが、あまり過激な運動も出来ず、ぼつぼつと生きている。養生一番である。
 
サナトリウムのような保養所にいくほど、贅沢が出来る身分でもなく、ただただ、自坊に引きこもる毎日。
 
さて、今日は父得詮大僧正17回忌。すでの先月、弟ほか身内を集めて、父母合同での年忌法要は終えているが、今日がホントの父の祥月命日なので、朝から年忌の法要を行った。
 
ちょうど、昨日、中外日報から「父母への追慕抄」を紹介いただいた記事が送られてきた。17年忌に符合したように、父のことをきちんと書いてもらっているので紹介したい。
  ↓
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追伸
 
その記事も素敵だが、宛名がすごい。これ、けっこうお気に入りである。
 
宗務総長を辞してから、「りてんさん」という呼び名でどこにでも通用をするような生き方が出来ないかと思ってきたので、その瑞兆になるような宛名書きかもしれない・・・。写真2枚目、参照のほど。笑うでしょ。
 
武田君、ありがと。。




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「引きこもり3日目」

「引きこもり3日目」

肺炎の完治を目指して、今週は自宅に引きこもっています。

それこそ、誰にも会わず、どこにも出かけず、ひたすら自宅でごろごろとしていますが、まあ、だからといって、目に見えて回復しているという感じではなく、ぼつぼつという回復度。お酒もまだ停止中。50日を越えて、節制をするのは2年前の蔵王供修行以来の快挙?・・・です。

漢方の先生から「昔、労咳という病気があったでしょ。ともかく体に負担のならないようにじっとしている以外は、肺炎の治療もないのですから、安静にしていなさい」と言い渡されて、引きこもっている毎日です。

ほんとに、なんというか、実にたよりない毎日です。

この際、原稿書きでもしようと思うところもありますが、まあ、根を詰めて仕事をしてはいけないというお達しですから、差し迫った宗報原稿の整理とか、必要最小限以外のことはやめて、休養に専念をしています。とほほ・・・。

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*写真は朝の月。そんな穏やかな今日の生活です。

今日は金峯山寺の伝統行事「蓮華会蛙飛び行事」。

今日は金峯山寺の伝統行事「蓮華会蛙飛び行事」。心配された雨もいまのところはなくて、奇跡的な、梅雨の晴れ間となっています。

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私も行事に式衆として随喜出仕いたします。暑いだろうなあ・・・。

「父母追慕抄」・・・

「父母追慕抄」・・・

6月19日に父の17回忌、母の7回忌法要を合同で執り行いました。その記念に上梓したのが「父母追慕抄」。親族をはじめ、親しい方々にもらって頂きました。

まあ、私の自己満足で作った冊子です。父や母のことがなにかの形になればと思いました。

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少々、父母のことについては、デフォルメしているところもありますが、故人を追慕して褒めることが追善になるというか、浄化の作用があるのではと思っています。まったく、仏教的ではないのですが。

実は金峯山寺で10数年前に「蔵王権現能」という企画を催行して以来、なにかと、能楽の方々とご一緒する機会が出来ました。能をテーマにしたシンポジュウムにも何度か出演し、国立能楽堂の機関紙に原稿を書かせていただくなど、学もないのに能楽との関わりが増えました。大倉流宗家の大倉源治郎さんや他の能楽師のみなさんとも、なにかと親しくさせていただいて、今秋11月には東京で、来年1月には愛知の豊田市での能楽講座にも出演させていただきます。

そんな中で学びを得て、浄瑠璃や能楽の、あの情念の世界は故人に対する魂の浄化なのではないか・・・と、そういうふうに感じることがあり、そしてそれは能楽だけではなく、文章を綴る上でも、そういった魂の浄化というのがあるのでは、という思いを持ちました。

書くという行為が書く人自体の浄化であるとともに、書くことで書かれる側にも浄化の効用があるように思います。

それで、生前、十分に親孝行をしてこなかった懺悔と、その追善にああいう形で文章にしたものをあらためて冊子に組み直してみたのでした。

幾人かの方から、あの本を読んで、あらためて親孝行や、親の供養を考えたというご意見もいただきました。そういう機会にしてもらえたとしたら、それはたいへんありがたいことです。
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ただ、書名についてた「父母への追慕抄」ではなく、「への」を取って単に「父母追慕抄」の方が良かったのではないかというご意見も、2、3の方にいただきました。私も出してからそう思いました。気づきが遅かったです。

意味があるのかないのか、人生2度目の肺炎に罹患して、さまざまな思いを巡らす62度目の夏です・・・。父母への思いも人生の一コマだと感じています。

*写真は今日のあやべ市民新聞で紹介された「父母追慕抄」の記事。

ノンアル生活・・・

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昨日は月例の護摩を終えて、京都へ。六僧会という、六人のお坊さんの集いでした。
昨年の七月に結成して、1周年。その間、4回の集まりがありましたので、かなり、頻繁にやっている感じがあります。

残念ながら、まだ体調が十分でない私はノンアルコールでおつきあい。ここ1ヶ月半、お酒を飲まない宴会は8回目。普段大酒飲みである私にとっては、かなりの修行です。

ノンアルコールビールも昔から比べるとかなり美味しくなったとはいえ、そんなには飲めない。それで黒酢の水割りを持ち込んだり、ノンアルのウメッシュでごまかしたりしては長い宴会を乗り越えている。

昨日はさすがに、黒酢もノンアルビールも飽きたので、頂き物の、秘密兵器「生姜みつ」という蜂蜜ドリンクを持ち込んで、水割り、お湯割り、炭酸割りで、3時間の宴会をお付き合いした。

あぁ、早くちゃんとしてものを飲めるようになりたい。いつになったら完治するのでしょうか・・・。とほほ(^_^;)

*写真は生姜みつドリンクです。ずいぶん減ってますね。

『父母追慕抄』を発送しました。

『父母追慕抄』を発送しました。

実は私の交友範囲のかなり多くの方々にお送りしました。もらってもねえっていう声も聞こえてきそうです(笑)。

最初、年回忌の記念にこの本を作る話になって、どう考えても、まあ、50部くらいでいいと思っていたのですが、「50部も200部も制作費用は同じだよ」って、編集をお願いした友人のKさんに言われて、「それもそうだな。それじゃあ、いっそ300部ほど、作ろうか」ってことになりました。

でもよく考えると身内や近親者で50部もあれば十分だったわけだから、そんなに作っても、さあ、どうするってことになったわけです。

だったら、200部くらいは、読んでほしいと思う方に、一方的に送りましょ、ってことになって、ついでだから、SNSで告知して、ほしいと思う方に差し上げよう、っていうことになりました。・・・なりましたというか、私が勝手にそうしたのですけど。

実際にSNSでは20名近くの方にお声がけをいただきました。

そんな『父母追慕抄』です。

とにもかくにも、なによりの、父母の供養になればという思いです。

「父母の恩、重きこと、天の極まりなきが如し」というけれど、生前にお返し出来た事って、ほんとにほとんどありゃしないって、やっぱり思いますよねえ。

とりわけ私は、母の見舞いに家に帰って、翌朝、吉野に戻る途中で訃報を聞いたので、側に居てやれなかったことへの、おっきな悔やみが未だに残っています。

「にいちゃんは忙しいからもうええよ…」と口癖のように言われたことも、やっぱり耳元から離れません。

そんなわけで、メールを頂いたみなさん、もらってやって、くださいませ。母の、大笑いの笑顔とともに・・・。

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*本の中にも入れたこの写真は最晩年のデーサービスで撮ってもらった時のもの。

ですので、もう少し若い頃のしゃきっとしたイメージが心に残っている息子としては、なんか、普段見慣れた顔ではなく、まるで仏さんになったような、そんな遺影に思えるのです。かあちゃん、笑い過ぎ!!

「つらつら思うに・・・」

「つらつら思うに・・・」

私は2歳の頃に肺炎で死にかけた・・・。この話は何度か講演でお話ししたり、ものの本にも書いたりしている。それが縁で、山伏に導かれたようなものである。

そして今回の肺炎罹患。還暦から数えると、生活をリセットしてやはり2歳の歳。あらためて人生二度目の肺炎なのだと気づいた。死ぬような病状ではなかったが、1ヶ月以上患うといろいろと気づくこともある。体以上に心がへばっているしね。

昨日の夢もなにか符合するような気がして、新たな思いで、今の自分を考えている。

でも、まあ、ここしばらくは安静安静・・・。

幸い今日の病院での検査結果は上々の内容だった。あいかわらず夜中の咳はひどいが、肺炎の炎症は回復基調にあることがわかり、安心した。これで病状まで悪化していたら、本気で長期入院するはめになってしまうに違いない。

空室がなく、入院せずに、また先月よりも重篤ではないので、しばらくは自宅での養生生活となった。もう少し我慢ですね。

夢のお告げ・・・

咳のおかげか、夕べは小さなまどろみを何度も繰り返す長い夜を過ごしたせいで、沢山の夢をみた。そのほとんどを覚えているが、最初の夢はショートショートの小説にしたいくらいの、奇妙きてれつな夢だった。そして、最後のみた夢の二つがとんでもなく、心を揺れ動かしてくれた。

最後から二番目の夢と最後の夢には父と、父と同じくらいお世話になった師が出てこられた。父はいまの私の体を心配してくれているのだろうと思う。昨日の法事のお礼のつもりなのかもしれないが、そのわりには母は来なかった。二人はあの世では一緒にいないのかなあと、わけのわからない、少なくともどっちにしろ、仏教的ではない考えで、そのことを受け止めていた。

最後の夢は、大きな意味を夢の中で、伝えていただいていたように思う。目が覚めて、思い出すほどに、私にはその意味がもの凄くよくわかった。夢の中で大きなものを授けられていた。

いづれも妄想とかたづけてしまえば、それだけのことである。
それも含めて、体の養生につとめなさいとの、たくさんの方からの夢のお告げだったと思っている。

「善と悪」ー田中利典著述集290617

「上求菩提下化衆生」ー田中利典著述集290617

 
過去に掲載した機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」から、折に触れて本稿に転記しています。
 
肺炎罹患で、しばらく休んでいましたが、久しぶりのアップです。
 
*******************
 
「善と悪」
 
仏教、仏の教えとは何か?という問いに対して、有名な七仏通戒偈を以て「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教」(諸の悪をやめ、善をなし、自らの心を浄化の努めること、これが時空を越えた仏の教えである)と明快に仏教では答えることは出来る。ではその仏教におけるとは、善とは何か、悪とは何かいうと、これがなかなか難しいが、実はこちらこそが重要なことなのである。
 
大乗仏教者における「善」とは菩薩道の実践である。つまり「上求菩提下化衆生」。この上求菩提下化衆生の精神に叶うことが善であり、それに反することが全て悪なのである。上求菩提下化衆生とは上には自分自身の菩提を求め、下には衆生を共に救うべき働きをすることである。
 
しかもこの上求菩提と下化衆生は別個のものではなく、即でないといけないという。まず自分が救われてから人々を救おうというふうに別々に考えるのは菩薩道ではないのだ。私も未だ救われていないけれども、私が高まることが衆生を救うことになるし、衆生のために働くことがすなわち自分自身の上求菩提の修行になる…そういうものでないといけないというのである。
 
そりゃあそうだ。自分が救われてから、人を救うなど、一生救われない身なるが故に、結局、いつまでもなにも出来ないということになる。
 
筆者は上求菩提下化衆生を、「上求菩提が下化衆生になり、下化衆生が上求菩提になる」と読み替えて、説明している。それが菩薩行なのである。自分が救われていなくても、人のためになにかをすることが自分をも救うことなんだ、という生き方である。
 
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そう考えると何が善で、何が悪のなのか、明確になるだろう。たとえばモノを盗んだり、人を傷つけたりすることで、自分が高まることはないし、人を導くことにもならない。だから悪なのである。またたとえば和顔愛語を実践することによって自分のこころも修行し、他人をも幸せな気持ちにする。だから菩薩行の善なのである。
 
われわれ行者の使命は菩薩行である。是非、善と悪とを、そういう上求菩提下化衆生に照らして考えてみて頂きたいと願う。人々のさまざまな懇請に対して、菩薩行として行うとき、それは全て善であり、自分の金銭的欲求や目先の欲で関わるのなら、それは悪業を積み重ねることになる。毎日の宗教活動、護摩修法や加持作法、それぞれの場面、それぞれの実践の場に即して、自らの心根を計っておきたいモノである。
 
ー「金峯山時報平成14年7月号所収、蔵王清風」より
 
*****************
 
さすがに15年前の記事です。青いなあと思います。でもここ、私の原点かもしれません。なかなか実践には結びつかないし、言ってるような生き方が出来てはいないのですが・・・。
 
*写真は役行者神変大菩薩(金峯山寺蔵)。私はその弟子としての子菩薩でありたいと思います

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