「りてんさんとあのカンヌの河瀬直美監督」

「りてんさんと河瀬直美監督」
 
カンヌ映画祭で、河瀬直美監督の「光」が脚光を浴びているそうです。とても嬉しい。
あのキムタクの「無住の住人」は上映会が終わって、5分間のスタンディングオベーションがあったと報道されていましたが、「光」はなんと10分間のそれがあったと報道がありました。ジャ○ーズ事務所が力を上げて、いろいろ情報を流しているのでしょうけど、それを上回る拍手というのは、なんだか誇らしいですね。
 
まあ、河瀬監督は今年で8回目のカンヌ。ホームグランドみたいなものですからねえ。でも今年の作品の招待が決まったときには号泣したと新聞記事で知りました。映画作りってほんとに大変ですからねえ。簡単なことじゃないんだなとあらためて尊敬しました。
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さて、河瀬監督の新作「光」は今月27日から日本全国でロードショーが始まります。「無住の住人」も見ましたが、試写会で「光」もすでに見せていただきました。フランスでの評価は当然だと思いました。
 
さてその新作「光」の話も含めて、河瀬監督の映画作りについて、先日ラジオにお招きして、「りてんさんの知人友人探訪」でいろいろお話をお聞きしました。りてんさんとなおみさんの仲のよさも伝わってくるお友達トーク全開です。
 
「知人友人探訪」はすでに今月で16回続いていて、そのうち第1回~第3回まではYouTubeにアップしていますが、なかなかアップしきれていません。
 
いま、ちょうど河瀬監督の話題が盛り上がっているので、過去のものを置いておいて、先に4この月に放送した第15回「河瀬直美監督編」をアップしてもらいました。なおみちゃんはトークの達人です。めちゃ、面白いですよ。よろしければ是非お聞き下さい。
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そして映画「光」にも行ってくださいね。27日からです。

明日は第二回目の「たなかりてんのとれたてワイド763」




明日は第二回目の「たなかりてんのとれたてワイド763」・・・

明日はお昼から、地元綾部FMいかる「たなかりてんのとれたてワイド763」に出演します。昨年4月からはじめました毎週水曜日のコメンテーターを卒業して、新年度からは月一回(毎月第4金曜日に固定)のパーソナリティとして、この番組をやらせていただくことになってまして、その2回目。

明日のお相手も光枝明日香さん。放送は今まで同様に、正午から午後2時半までの生放送です。よろしければ、お聞きください。

新番組からメインのコーナーが二つになっていて、ひとつは新企画の「ここから始める綾部学」。今回は綾部文化協会の木下和美会長様です。12時半頃からの放送です。

また、以前から続けている、ならどっとFMとの共同企画「りてんさんの知人友人探訪」には東大寺第221世別当で、現在東大寺長老の筒井寛昭さまを迎えて、お友達トークを繰り広げます。

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ただし、ご存じのように、気管支肺炎がまだ完治してないので、声が50%です。お聞き苦しいところは明日香ちゃんに助けて貰おうと思っております。

ラジオ放送は http://www.jcbasimul.com/?radio=fmikaru ←こちらで全国どこでも、リアルタイムにに聴くことが出来ます。

*写真は「りてんさんの知人友人探訪」筒井長老編収録の様子。

「今夜の一言特集・H29年2月~4月編」

「今夜の一言特集・H29年2月~4月編」

ツイッターやフェイスブックで書き綴ってきた「今夜の一言」。これってその日、その夜、つれづれに自分の心に浮かんが言葉を吐露したもので、まあ、人前に出せるほどのものではないですが、オリジナル名言(迷言かなあ…)です。パクリはありませんが、パクった場合は出典を載せています。(^^;)

●29.3~
今夜の一言「大きいことは半分できても大きいぞ、小さいことは全部できてもしれたものや」 ~智信尼語録「慈聲」から

今夜の一言「感謝の気持ちが大きい人は心穏やかである。なにかと喧しい人は不平不満に心が占領されている。」

今夜の一言「自分の力などたかが知れてて、何事も周りの力のお陰である、ということに気づかないと、人はその先を前に進むことが難しくなる」

今夜の一言「今夜はありがたや、ありがたや、ありがたやと三度呟いて寝ることにします」

今夜の一言「体を大事にしましょう。そのためには日頃から心を安らかに清らかに整えておきましょう。」

今夜の一言「事件は現場で起こっているというが、突き詰めると、事件は自分の心が起こしているものとも言える」

今夜の一言「友達の数だけ幸せ度が上がる」

今夜の一言「人は誰でもいつかは死ぬ。だから生きている間は一生懸命生きていよう」

今夜の一言「もったいないと思うから、ありがたいのが身にしみる」

●29.3~
今夜の一言「人生の成功者の多くは運のお陰だと言う。運は実力なのである」

今夜の一言「思うようにならないのが人生、なるようにしかならないのも人生。情けない自分を受け入れるしかないのも人生」

今夜の一言「願いは10回言うと叶う。口に十で叶う。なるほど!」

今夜の一言「幸せだから笑うのではない。笑うから幸せになるのである」

今夜の一言「腹が立つから怒るのであるが、腹が立ってもじっと我慢すれば怒りは起きない。怒らなければ、怒りはおさまるのである」

今夜の一言「天につば吐けば、おのれに帰る。それだけのことである。気づくも気づかぬも、おのれ次第と知るべし」

今夜の一言「今生きている有り難さや不思議さに思いを致たそう。文句など、言えようか」

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●29.4~

今夜の一言「恩きせがましい生き方は品がない」

今夜の一言「あんなにしてあげたノニ、あんなに頑張ったノニ、というノニ病を直しましょう」

今夜の一言「失敗を犯すのが人間であり、失敗は愚かなことではない。愚かなことはその失敗をいつまでも悔いることにある」

今夜の一言「お前は無能か!」

今夜の一言「人には優しく、自分に厳しく、それが出来たら良いのにね」

今夜の一言「罰当たりの人生だと自覚するから、感謝と懺悔で生きていかなければと思う」

今夜の一言「人は自分の業を生きている。」

今夜の一言「怒りは不幸を招き入れ、笑いは幸せを呼びこむ」

今夜の一言「いつか幸せになりたいという人は今の幸せに気づけないまま、幸せになることなく、いつか死んで行くだけである」

今夜の一言「生きるとは繋がりである

今夜の一言「人が人であるために、言葉を大事にするのである」

今夜の一言「優しい言葉を使わなければ優しい心は育まれない。人は言葉に支配されるものである」

今夜の一言「はい、と、素直に言えない人間は出来損ないである」

どれかお気に召すの、ありましたかしら??

*写真は憧れの坂村真民さんの色紙。しんみんさんはいいなあ。

明日の、ならどっとFM「タイム784」/「りてんさんの知人友人探訪」のゲストは、東大寺長老筒井寛昭さんです!

明日の、ならどっとFM「タイム784」(毎月第3金曜日午後3時~4時)/「りてんさんの知人友人探訪」のゲストは、東大寺長老筒井寛昭さんです。

筒井さんは元華厳宗管長。1946年奈良県のお生まれで、1955年に東大寺に入寺し、68年甲南大学文学部社会学科卒業。2007年東大寺執事長・華厳宗宗務長に就任後、2013年5月~2016年4月まで第221世別当(住職)、華厳宗管長をつとめられる。独自の視点を交え、華厳経の教えや大仏にまつわる逸話を説く講話会も行っておられます。

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奈良局での収録では過去、興福寺副貫首の森谷英俊猊下や岡本彰夫元春日大社権宮司さまはじめ、薬師寺の村上太胤管長さまなど、多彩な方々に出て頂いて、毎回好評を得ています。先月はカンヌ映画祭グランプリ監督の河瀬直美さんでした(写真)。お友達トークで盛り上がりましたが、筒井さんともお友達トークをしたいと思います。

明日は午後3時から4時、是非、奈良の方はどっとFMで聞いてください。
   ↓
http://www.jcbasimul.com/?radio=narafm

奈良市以外の方は、サイマルラジオで全世界で聞けます→http://www.jcbasimul.com/?radio=fmikaru 

なお、過去の収録分は順次、私の新しい公式サイト→ http://www.tanakariten.com/ やYouTubeで順番にアップさせていただいています。

「今夜の一言特集・H28年12月・H29年1月編」

「今夜の一言特集・H28年12月・H29年1月編」

ツイッターやフェイスブックで書き綴ってきた「今夜の一言」。これってその日、その夜、つれづれに自分の心に浮かんが言葉を吐露したもので、まあ、人前に出せるほどのものではないですが、オリジナル名言(迷言かなあ…)です。

しばらく、休んでいましたが、とりまとめています。今日は昨年12月と今年1月編をどうぞ・・・。

●2812~
今夜の一言「遊んで暮らせたらいいね。…、仕事を仕事だと考えず、遊びだと思うと、全部、遊びになるぜぇ。」

今夜の一言「何事も、自分がやったと思うんじゃない。やらせて頂けたと思いましょう」

今夜の一言「人は愛した分だけ、愛される。嫌った分だけ、嫌われる。人生はおおむね、トントンくらいで上出来だ」(2712の再録)

今夜の一言「新しい出会いがある人生は幸せである。新しい自分に出会える人生はなお幸せである」

今夜の一言「帰るとこのにいづれは帰る。所詮、旅の途中の出来事なのです」

今夜の一言「宗教や芸術は評論ではなくて、実践である」

今夜の一言「自分の尺度で世間を生きると世間はとても小さくなる」

今夜の一言「言葉ひとつで日々の値打ちが台無しになる。価値を高める言葉を使いましょう」

今夜の一言「はいと言ってやりましょう。文句を一言いうごとに、あなたの値打ちが下がります」

今夜の一言「捨てる神あれば拾う神あり‥‥ああ、私もちょっとは神になりたい!」

今夜の一言「人は自分の人生に責任を持つ以外は自分の人生を証明できない」

今夜の一言「この世は苦であると釈尊は説いたが、この世が苦であるとわかってしまうと、果たして人は生けていけるのであろうか

今夜の一言「人生の答えは自分次第。だから時々間違うし、時々へこむ。時々幸せもわかるし、時々悲しみも味わう」

今夜の一言「若いときの夢に裏切られる人生もある。夢は時として残酷なものなのだから。それでも私は人生に感謝したい」 ~ある知人の死を悼んで。

今夜の一言「自分の人生は自分で全うするしかない。ふと、足元を見ると、底が割れているにもかかわらず」

今夜の一言「人は思いだけで生きている。思いは無限だ。無辺にして無量なのだから」

今夜の一言「悟りとは気づきである。小さな気づきは泡のように消えるけど、大きな悟りへと続く道でもあるのです」

今夜の一言「人には優しく、自分に厳しく生きているなら、幸せはいつでも微笑んでいる。仏さまの教えです」

●2901~
今朝の一言「世間虚仮。〰人はいつか幸せになりたいと願うが、人はいつかは死ぬのが真実。真実には夢も希望もない。だから人は虚妄の中に生きる」

今夜の一言「愛というものには常に、いとしさと、切なさと、醜さと、悲しみが入り混じっている」

今夜の一言「感謝します、感謝します、感謝しますと三度呟いて、今夜も寝ます

今夜の一言「寒い夜には熱燗と優しい言葉があればいい。暖め合って眠りましょう」

今夜の一言「お天道様がみてござる、っていう心を大事にしたいです。胸くそ悪い輩が横行する世の中だからこそ、1本の白い蓮のような気持ちを保てればと思います」

今夜の一言「念ずれば花開き、無為に生きれば腐蝕する。誠にこの世は因縁果」

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駄作ばかりですが、みなさん、なにかこころに響くものありましたか?

「ラジオ音源を探しています」

「ラジオ音源を探しています」

「明日への言葉/花に祈る山に祈る」
http://asuhenokotoba.blogspot.jp/2015/05/blog-post_2.html

...

上記にアップされている内容は、2015年5月2日のNHKラジオ「明日への言葉」で放送された私のインタビュー記事です。

このインタビューはNHKBS放送の「こころの時代」で放映されたものを、ラジオ用に短く編集して流されたものなのですが、実は私の手元にありません。

「こころの時代」の映像は頂いているのですが、ラジオ放送分はなぜかNHKにないと言われて、手元に届かなかったのです。

もう丸2年前のことですが、誰か音源をお持ちの方があれば、ご一報ください。
よろしくお願いいたします。

「りてんさんの知人友人探訪」

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すでに何度もフェイスブックやSNSで、空援隊というフィルピンを中心に大東亜戦争で戦没された日本人兵士のご遺骨収集帰還活動をされているお話を紹介してきました。

その事務局長である倉田宇山さんとの対談させて頂いた「りてんさんの知人友人探訪」がYouTubeにアップしています。

なかなか視聴回数が増えないのですが、日本人にとって、とても大事な問題を熱く話しています。倉田さんのトーク力も素晴らしいので、わかりやすく興味深く、聞いて頂ける内容です。

...

多くの方々に知って頂ければと思います。23分ほどの対談です。以下です↓

https://www.youtube.com/watch?v=5e0QsJ3lmBs

是非、感想もお願い出来ればと思います。きっと倉田さんの励みになるはずです。

「りてんさんの知人友人探訪」倉田宇山空援隊事務局長編

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すでに何度もフェイスブックやSNSで、空援隊というフィルピンを中心に大東亜戦争で戦没された日本人兵士のご遺骨収集帰還活動をされているお話を紹介してきました。

その事務局長である倉田宇山さんとの対談させて頂いた「りてんさんの知人友人探訪」がYouTubeにアップしています。

なかなか視聴回数が増えないのですが、日本人にとって、とても大事な問題を熱く話しています。倉田さんのトーク力も素晴らしいので、わかりやすく興味深く、聞いて頂ける内容です。

多くの方々に知って頂ければと思います。23分ほどの対談です。以下です↓

https://www.youtube.com/watch?v=5e0QsJ3lmBs

是非、感想もお願い出来ればと思います。きっと倉田さんの活動の後押しになるはずです。

「日本葬式仏教、非仏教説?」

「日本葬式仏教、非仏教説?」

葬式の現場が大変革を起こしつつある。いろんな問題が原因である。

その話の流れは葬式仏教と化した日本の仏教はそもそも仏教ではないという論調まで、世間を覆っている感がある。私は葬式に直接関わらない修験僧だが、そういう状況には違和感を覚えるのである。

ついては私の盟友正木晃先生が金峯山寺の機関誌に連載中の「修験道の未来」の中で、いろんなお話を書いて下さっている。

以下、その中で注目する記事を掲載しておく。ご参考まで・・・。

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○宗報「金峯山」平成28年9月号掲載

 「葬式仏教」は日本仏教だけの現象だという説は、真っ赤な嘘である。現在、仏教が広まっている地域では、どこでも僧侶が葬儀をいとなんでいる。スリランカもタイも、チベットもブータンも、みなそうである。

 しかも、近年になって始まったのではなく、昔からそうだったことが明らかになっている。仏教の生まれ故郷、インドでは、かなり早い段階から、僧侶が葬儀をいとなんでいた。

 考えてみれば、仏教における葬儀の第一号は、ブッダ自身の荼毘にほかならない。従来はブッダの荼毘は火葬を職業とする人々が担当し、仏弟子たちは葬儀にいっさいかかわらなかったと言われてきたが、最近ではブッダの荼毘にのぞんで、仏弟子たちが積極的にかかわったことが指摘されている。

 その後、ブッダが涅槃に入られてまもない段階では、僧侶がいとなめる葬儀は仲間内の場合だけ、つまり僧院内で僧侶が亡くなった場合だけだったようだが、しばらくすると、在家信者の葬儀も僧侶がいとなむようになっていったという。五世紀ころになると、僧院には在家信者の葬儀をもっぱら担当する役割の僧侶すらいた事実が判明している。

○宗報「金峯山」平成24年1月号掲載

先祖供養の起源
 もし仮に、「お迎え」が親をはじめとする近親者が深くかかわっているとすれば、先祖供養が注目されることになる。ご存じのとおり、日本仏教では、先祖供養が重要な位置を占めてきた。しかし、その反面で、先祖供養などは、本来なら仏教とは無縁で、たんなる習俗あるいは慣習にすぎないという見解もよく耳にする。はたして、それは本当なのだろうか。

 初期仏教にまつわる文献の研究からすると、ブッダ自身は先祖供養とは無縁だった。しかし、ブッダの入滅後、そう遠くない段階で、仏教が先祖供養に舵を切ったようである。

 では、仏教における先祖供養の起源はどこにもとめられるのか。有力な説の一つは、死後、忉利天(三十三天)に再生した摩耶夫人のために、ブッダが誰にも告げず、雨安居の三か月のあいだ、この天にのぼり、母のために説法し、サンカーシャというところに降りてきた(三道宝階降下)という伝承である。

 この伝承は、いわゆる原始仏典の『増一阿含経』巻二八「聴法品」などに出てくる。したがって、ブッダの入滅後、遅くとも二〇〇~三〇〇年以内に成立した可能性が高いと考えられている。

  その『増一阿含経』巻二八「聴法品」三六には、ブッダが「五事」を説いたと書かれている。「五事」とは、以下のことがらだ。

  ①法輪を転ずべし
  ②父母を度すべし
  ③信なき人を信地に立て
  ④いまだ菩薩の心を発せざる者にして菩薩の意を発せしめ
  ⑤その中間においてまさに仏の決を受くべし

 さらに、アショヴァゴーシャ(一〇〇年ころ 馬鳴)による仏伝として有名な『ブッダ・チャリタ(仏所行讃)』には、「母のために法を説かんがゆえに、すなわ忉利天に昇れり。三月天宮に処り、善く諸天人を化せり。母を度して報恩畢り、安居の時過ぎて還れり」と書かれている。したがって、「五事」の「父母を度すべし」が、亡き父母に対する「特別の孝養」を意味していることになる。

 さまざまな文献から推測すると、紀元前三世紀ころの、アショーカ王の時代には、この伝承が民衆のあいだに流布し、民衆にも、いま現に生きている父母はもとより、すでに亡くなってこの世には存在しない父母に対する報恩の行もまた、推奨されていたことがうかがえる。

 もちろん、すでに述べたとおり、歴史上のブッダは、生きているうちに、父母をはじめ、かかわりのある人々に対して孝養を尽くすことは奨励しても、祖先供養や追善供養に対しては、否定的だった。出家僧の行動規範をしるす律蔵に、生母摩耶夫人説法の伝承が見当たらない理由は、そのためらしい。

 しかし、民衆のあいだでは、先祖供養や追善供養が待望され、仏教教団としても、それを無礙に否定できなかった。三道宝階降下の伝承は、そう示唆している。

 ちなみに、インドで仏教と対抗関係にあったヒンドゥー教は先祖供養をしない。また、仏教では盛んな遺骨崇拝もしない。この二つの歴史的な事実を知る人はごく少ないようだが、仏教の本質を考える上では、ぜひとも覚えておく必要がある。

 ようするに、遺骨崇拝も先祖供養も、仏教の原点あるいは原点近くに起源があった。これはまぎれもない事実だ。そして、この二つが日本人の感性と合致して、「日本仏教」の原型をつくりあげたのである。

「徳を積む」

Adogawa


「徳を積む」

一昨夜、父の代から長年にわたりお参りいただいた信者様がお亡くなりになった。昨年秋、大腸に癌が見つかり、摘出の手術をされたが、順調に回復されていると聞いていたので驚いている。どうやら手術後の体調はよかったにもかかわらず、先々週に転倒をして大腿骨を骨折され、その術後の容態が急変して、急逝されたらしい。齢94の大往生であった。

ご主人が熱心は御岳の行者さんだった。そのご主人に導かれて、たまに自坊においでになるようになった。近江の安曇川町で雑貨食料の商店をご夫婦で営まれていて、ご主人は毎月、遠路をお参りいただいたが、お店はやすめなので、店番の奥さんは大祭くらいにしか、おいで頂けなかったのだ。

ところが、もう9年ほど前に、ご主人が亡くなられてからは、ご主人に代わって、毎月ほぼお見えになるようになった。お店も以前ほどは手広くされなくなったことも要因かもしれない。

とにかくこぎれいなひとで、心根がホントに優しいおばあちゃんだった。病気一つしたことがないと自負されるほど、90歳を越えても元気溌剌で、きっと100歳まではこのまま健やかに過ごされるに違いないと思っていた。そういう、なにかしら徳を積んだ人という感じの方だった。

あまり愚痴らしい愚痴も聞いたことがなく、ありがたい、ありがたいが口癖で、お参りされても、こちらが幸せにしていただく、常にそんな風だったのである。

徳を積むとは、別段、すごい修行をするとか、悟りを目指すとか、というのではなく、日々の中で、真摯につましく、穏やかな心根で、誠実に生きることなんだと改めて感じさせてもらえる、お日様のようなおばあちゃんだった。

愚息がしばらくご自宅に下宿したこともあり、一信者様というよりは、親戚のような気持ちでお付き合いをいただいた人だっただけに、急逝の報に接して、がく然としている。

昨日の朝、病院から自宅に帰られたので、お見舞いに行ってきた方から連絡があった。「今にも笑い出すかの如く、それはそえれは穏やかなお顔でした。権現様のおかげかと思われます」と連絡のファックスに一文が添えられていた。その笑顔はきっと権現様のおかげでもあり、ご本人のお徳でもあるにちがいない。

今夜、お通夜なので、最後のお別れに行かせていただこうと思う。そのお徳に感謝を込めて・・・。

*写真は安曇川町の道沿いに咲く花。

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