「ダイアローグ」

「ダイアローグ」

昨年10月、アユルベーダ学会の講演で訪れた金沢で、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」(於 金沢21世紀美術館)が開催されていた。そこで、偶然にも私は参加する機会を得たのだった。

ダイアログ・イン・ザ・ダークとは、完全に光を遮断した暗闇の中で、視覚以外の感覚やコミュニケーションを楽しむソーシャルエンターテインメント施設。施設では視覚障害者が案内役を担って、参加者は暗闇の世界を体中で体験する。1988年にドイツの哲学博士、アンドレアス・ハイネッケ氏が発案し、世界41カ国以上で開催、日本には99年に登場し、これまでに21万人以上が体験したという。

実はこのダイアログ・イン・ザ・ダークを主催されている志村真介・季世恵夫妻は東京で開いている誇り塾でご一緒しているご縁があった。ただ「ダイアローグ」とはどんなものなのか全く知らないまま、たまたま志村氏のフェイスブックで金沢での限定的な催しが開いているを知り、申し込んだのだった。それで、私をアユルベーダ学会に誘ってくれたT氏をともに、私たちは参加させて頂くことになった。

いまも、あのときの、案内役のみきティとのひとときが忘れられない。みえない世界を通じて、たくさんのことを学ぶことが出来たし、その体験はとても大事なことを思い出させてくれたように思う。多くをここでは書かないが、是非、みなさんもこの「ダイアローグ」を体験されることをお勧めする。

で、そのご縁は広がり、「ダイアローグ」のラジオ番組「DIALOGUE RADIO -IN THE DARK-」(J-WAVE)に出演させていただくことになった。来週、東京で収録する。

この番組は第2日曜日の深夜1時から2時までの1時間番組。あえてこの時間に放送している理由は、週末のプライベートの立場、そして月曜日からの社会的な立場の狭間で唯一ただの自分でいられるときを選択している、ということだ。

番組のサイトは以下。

https://www.j-wave.co.jp/original/dialogue/index.html?fbclid=IwAR26dkcxVp0EpncqKnwxwqXxQDWUm2Y8vvwDYe5pVF4XuDLfxalt6LX1FIM

日曜の深夜。全てのしがらみから離れて本当に「独り」になっている特別な時間。人は誰もが不安や悩みを持っているはず…。この番組は、自分の心と対話することの大切さを伝え、明日への活力を求める人への応援メッセージを発信するラジオ番組。(サイトから引用)

過去に茂木健一郎さんや広末涼子さん、為末大さんをはじめ、そうそうたるみなさんが出演されていて、わたしなんぞが出て良いものか、さすがに躊躇したが、なんでも断らない良い?性格の私は厚かましくもスタジオに出向くことになったのである。

放送日はまたご案内をします。さてさて、どうなることやら。

また収録後、編集され音楽が挿入され放送(音楽のセンスはかなりいいです)、放送後には聴覚障害者の方にも番組の内容がわかるように全文テキストでHPにアップされます。ラジオ、テレビの中で新しい取り組みだということです。

 

「電子書籍版/吉野薫風抄の表題募集結果発表」

「電子書籍版/吉野薫風抄の表題募集結果発表」
先日からFBを中心にツイッターやBLOGやミクシイでお願いしました私の処女作『吉野薫風抄』の電子書籍化に伴うタイトルをアンケートさせていただいた結果がでましたので、発表致します。
だんとつ1位が「修験道、あるがままに」でした。2位が「素顔の修験道」でした。
表をご覧ください。
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集計表の1段目が「爽やかな風とともに 修験道の語らい」という表題が長くて、2段目の「修験道、あるがままに」の表記が出ていませんが、2段目が「あるがままに」です。全体の30%越えです。2位で24.7%が「素顔の修験道」。素顔もあるがままもまあ意味は同じようなものなので、半分以上がそういう着飾らない表題がよいという結果でした。
別の案を考えて頂いたみなさんも含めて、ありがとうございました。
『修験道、あるがままに』をタイトルに、吉野薫風抄をサブタイトルにして、電子新装版をお届けさせていただくことになります。しばし、お待ちください。
*ココログの不具合で発表が遅れましたこと、お詫び致します。画像、ちゃんと貼れてるかしら・・・

「ご意見、くださいませ・・・!!」

「ご意見、くださいませ・・・!!」

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私の処女作にして、最高傑作?の『吉野薫風抄』を、このたびリニューアルして、電子書籍化いたします。

そこで、そのタイトル案をいくつか考えました。もしよろしければみなさんのご意見をお聞き出来ればと思うます。

候補の中から、これ、っておもうものを1つ乃至2つ、☑してください。よろしくお願い致します。

詳細は以下です。
   ↓
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSetwgC3BpUuO8VUHYfbaj1D_z50lEEnI4XuF1g9nq49tSWaRA/viewform?vc=0&c=0&w=1

「半日断食・・・」

「半日断食・・・」

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18日から鼻血が止まらず、たくさんの方に心配をかけたし、右往左往して、病院のはしごもしましたが、23日以来、ようやく止まって、血圧も安定してきました。

その間、たくさんの方にアドバイスをいただき、ニンニクオイルや 井穴(せいけつ)のマッサージ、膨ら脛運動、断酒、塩分制限、酢納豆・・・などなど、たくさんのことを実践させていただきました。アドバイスいただいたみなさん、ありがとうございました。

そんな中、私の身体を心配して、甲田光雄先生の『半日断食』の本を送ってくれたお弟子さんがいました。実は甲田先生の断食は、甲田先生から直接指導を受けた野口法蔵氏を通じて、私も40代に10数回行じています。

ちょうど私の、金峯山青年僧の会の事務局長時代、さまざまな行事や事業に手をつけました。その中の一つで、野口先生とも知己を得、青年僧の会の事業として、金峯山寺での定例断食道場を開くようになりました(その後、3日断食は金峯山寺の正規事業となりました…)。まあ、言い出しっぺですから、当初は私も欠かさず、3日断食に参加していたのです。当時は野口先生もマニュアルらしいマニュアルがなく、断食明けの方法が毎回若干変わるので、マニュアルを私が書きました。そのマニュアルはその後、野口先生の著書に転写されたくらいです。年に2回の宿便掃除はほんとに身体によかったと思います。

だんだん忙しくなって、僧の会の活動とも距離が出来るようになり、考えるともう15年以上、断食から遠ざかったことになります。宿便がどっさりたまっているのでしょうね。また奥駈行者の現役時代は奥駈前の1ヶ月ほどは節制精進する生活が定期的にありましたが、引退後は、自堕落な生活にメリハリをつける習慣もなくし、どんどん成人病を抱え込むことになってしまっていたようです。そして黄信号が出て、今回の鼻血はまさに赤信号が点滅したようなことなのでしょう。

甲田先生の言うとおり、現代人は食べ過ぎです。間違いありません。もう実感すること甚だしいわけでして…。しかしなかなか食欲や飲酒欲にはかなわないのが凡人で、しかもなまじっか今まで私はタフでしたから、余計しまつが悪かったのだと今回思い知らされました。

そんな時だから、半日断食はピンと来ました。もう若いときのように普段の生活をしながらいきなりの本断食(3日断食)は無理なので、ともかく半日断食を、甲田先生の本を参考に始めています。もともと、朝の食事はどうでもよい人間です。そう苦にしないで出来そうです。甲田先生曰く、人間は18時間の空腹期間を持つことが内蔵の負担を減らし、肥満の予防にもなるし、多くの成人病対策になるということ。確かに間違いないと思います。

限りある命、そして頂いた命、大切に大切に使わせていただかないといけないですからね…。健康であってこその命です。みなさんにも是非、半日断食はおすすめしたいです。

「鼻血のサイン・・・」

「鼻血のサイン・・・」

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18日の夕方に最初の鼻血が出た。5分ほどで止まったので気にとめていなかった。

翌日、朝から月例の護摩供を修し、終わったあとの法楽勤行の途中で、再度、鼻血が出た。白の素絹が真っ赤になった。でもしばらくしたら、また止まった。

...

その日は一件、出張があり、ちょっとびくびくしながら無事にこなしたが、帰宅して夕食の時に3回目の鼻血。お風呂場で服を脱いで裸になった途端に4回目の鼻血。さすがにやばいのではと思った。

翌日、午前中はゆっくりしていたが、午後に5回目の鼻血が出て、慌てて、隣町の耳鼻咽喉科に駆け込んだ。「あー、鼻腔の入り口に傷跡がありますね。指で押さえておいたら止まりますから」と、簡単な診察で、止血剤を5日分もらって帰って来た。その夜、3回も、鼻血が出た。風呂に入ったのも悪かったのかもしれない。

その翌日は朝から鼻血は出なかったが、やはり不安なので、近くの内科医の診察を受けた。その待合室で9回目の鼻血。少々頼りない内科医だったが、ともかく、普段からかかっている医者に相談しないと言われて返された。

それで22日、朝から、20年来のかかりつけの橿原市の病院に出向いた。既に息子に院長を譲って、私を診ていただいている先生は会長職なので、長い付き合いの方しか診ておられないが、その日は用務で休診になっていたのを直接電話して診ていただいた。

採血、心電図、血液凝固検査などを行ってもらい、結果、過労と不摂生と飲み過ぎだろう・・・ということで薬もいままで同様でよろしいということだった。

実は昨秋、心電図をとったときから、節制しなさいと言われていて、相変わらずの不摂生と過労と暴飲暴食がつづいたために、いわば去年の黄信号が、赤信号に変わったのだと、きつくお叱りを受けた(^^;)

幸い、内科医待合室で9回目の鼻血を出してからはもう3日止まっている。鼻血が出て止まった最初の日の翌朝の護摩修法も塞がりかけた傷口に悪く、花粉や乾燥をしているために鼻腔が弱くなっていて、おまけに不養生のせいで血圧も上がり、再度キレて、それからなかなか塞がらなくなって、9回も出たのだろうという先生の見立てだった。

中でキレてなくてよかったと言われた。肝臓腎臓の機能と血糖値に問題があるので、血圧も含めてよほど用心しなさいとも言われた。一汁一菜、酒を控えて、仕事もほどほどに、しばらく塩分はだめだとも言われて帰って来た。

ともかく、しばらく、十二分に用心と節制を心がけることにする。命は大事だ。

格段、仕事が忙しいわけではなく、節分会前後の不摂生が根本的な原因なのだと自分でもわかっている。ただ、なかなか節制という生活改善に気持ちがいかなかったわけで・・・。大いに反省している。

もう8年ほど前になる。亡くなる少し前の中村勘三郎さんに会った時に、直感したことを思い出す。勘三郎さんと私は同い年。もし、生けていたらお友達になれていたと思うが、ほんとに残念だった。

彼も仕事だけてはなく、きっと全部が破天荒だったので、体が悲鳴をあげていたのに長期休養が出来ず無理をしたのだと思う。病気開けの新歌舞伎座復帰公演で楽屋に招じ入れていただき、「パワーをください」ときつく握手されたことがあった。けっこう無理をしてるなと感じる舞台(演目は「お祭り」)だったので、「休まないとだめですよ」と心を込めて握り返したが、やはりその後の無理がたたったのか、それから1年ほどして帰らぬ人となった。

仕事も遊びも、なまじ体力に自信があるから、若いときは無茶をする。勘三郎さんはきっと普段からタフなひとだったのだろうと感じた。私も人一倍、タフで元気な方である。しかし不摂生は身体にじわじわと負担をかけてしまう。最後は食道がんだったと聞いているが、数年前からの身体の不調が病気のサインだったのだろう。

勘三郎さんと私を比べるのは大変失礼だが、彼との出会いは仕事満載で走り回っていた私にとって、大きなサインだったように思う。そして、今回の鼻血は、あのとき以上の大きなサインだと受け止めている。

*写真は2011年9月の復帰公演でいただいた勘三郎さんの直筆サイン。

「怒りは不幸を招き入れ、笑いは幸せを呼びこむ」

「怒りは不幸を招き入れ、笑いは幸せを呼びこむ」

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「笑う門には福来たる」という。至極当たり前の話である。笑っていると福徳が集まってきて、自分も幸せになるし、周りも幸せに感じる。

反対に、怒ってばかりいる人の周りには幸せは訪れにくい。怒っている本人も幸せにはならない。機嫌が悪いから怒るのだし、怒ればなおさら機嫌は悪くなる。

仏教では「和顔愛語」という言葉がある。布施を表す言葉である。布施は梵語でダーナという。人に施すというほどの意味であるが、その施しには「財施」「法施」「無畏施」の三種があり、その他に財物を損なわない七つの布施として、「無財の七施」が説かれる。お金のかからない布施である。その「無財の七施」のうち、「和顔悦色施」と「言辞施」を合わせたものが「和顔愛語」である。

すなわち、和やかな笑顔と、思いやりのある話し方で人に接すること。「和顔愛語」は布施であり、布施ある生き方をすることでもある。そうすれば幸せを呼び込む「笑い」の種を蒔くことになるのである。

といいつつ、私は若い頃から、普段の顔が怖いといわれてきた。「和顔愛語」にはほど遠くて、しかめっつらの不機嫌顔だったのである。ときどき「なんでそんなに怒っているの」と言われたこともあるが、「ほっといて頂戴。私の顔はもともとこんな顔」とうそぶく始末だった。

ただ近頃は心がけて、笑顔で生きている。「笑う門には福来たる」のは明白だから、努力してでも、「福来たる」顔にしないと損だと、ようやく気がついたからである。

****************

書き下ろし第6弾ということになりましょうか?
まあ、気楽に書かせていただきます。

写真は和顔愛語の真逆の顔をあげてみました。知人の友人である写真家の江守さんにとってもらったコワ顔のポートレール。もとろん最近はなるべく笑顔にしてますよ。

「葛の会」

「葛の会」

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昨日は、私が40代に7年間にわたりつとめた全日本仏教青年会の副理事長時代に、ともに活動した理事長や役員のみなさんと久しぶりに旧交を温めました。「葛の会」と名付けられた旧友の会ですが、みんな、壮年期から老年期にさしかかり、青年僧の時代と違って、僧侶としては一番油がのってきているの時期かもしれません。私だけがどんどんしょぼくなっていますが…。

 
そんな葛の会会長のJB神戸Y師を囲み、ひととき神戸の町を徘徊した、楽しい一夜を過ごしました。10数年ぶりでした。
 
私が副理事長時代に経験した全日本仏教青年会の全国大会は4回。私にとっては集大成となったのが、2003年の京都大会です。写真はその京都大会の報告記録「葬式仏教は死なない―青年僧が描くニュー・ブッディズム」。
 
あれから16年、葬儀を取り巻く周辺もずいぶん様変わりをしましたね。
 
ちなみに私が関わった全国大会は以下です。
 
■全日本仏教青年会高野山大会
1997年5月13日・14日/高野山
大会テーマ
「二十一世紀へ青年僧のあるべき姿勢」
講演
「政治と宗教」俵孝太郎氏
シンポジウム
「環境と地球」高木善之氏
法要高野山内巡拝・奥ノ院にて法要 .
 
■全日本仏教青年会全国大会in神戸
1999年1月18日・19日/神戸大会・神戸ポートピアホテル
大会テーマ
「ナンバーワンよりオンリーワン!」~自分の存在が他人の喜びにつながる~
丸山浩路氏 第1分科会テーマ
「信仰」
第2分科会テーマ
「救い」
第3分科会テーマ
「電脳〜仏教とマルチメディア」
オプショナル
ツアーあしなが育英会・神戸市内・淡路島被災地復興状況 .
 
■全日本仏教青年会・2001年全国大会
2001年2月23日/浄土宗大本山増上寺・東京プリンスホテル
大会テーマ
「21世紀の仏教徒進むべき道 新世紀の風を感じて~癒しの心~」
第一部各宗派仏青及び地域仏青による記念法要 於 増上寺大殿
天台仏教青年連盟・金峯山青年僧の会・全国曹洞宗青年会・全国浄土宗青年会・全国真言宗青年連盟・地域仏青、以上、各宗派の作法による記念法要 第二部パネルディスカッション 於 増上寺三縁ホール
【司会】
松田輝雄氏(元NHKアナウンサー)
【パネリスト】
仏教情報センター事務局長 草野榮應師
聖路加病院医師 篠田知璋氏
日本ナチュラル・ヒーリングテラピー協会代表 井上雅祥氏
仏教と医療を考える全国連絡協議会世話人 木曾 隆師
浄土宗安福寺副住職・ビハーラ大阪書記 大崎信久師
レセプション 於 東京プリンスホテル
.
■全日本仏教青年会・京都大会
2003年2月13日・14日/池坊学園
テーマ
「葬式仏教を考える~日本仏教活性化への道~」参加者230名
基調講演ひろさちや氏
シンポジウム「仏教を元気にしよう」
【司会】
全日本仏教青年会副理事長・金峯山修験本宗宗務総長 田中利典師
【コメンテーター】
ひろさちや氏
【パネリスト】
ノンフィクション作家 井上治代氏
臨済宗妙心寺派・神宮寺住職 高橋卓志師
フォトジャーナリスト 藤田庄市氏
全日本仏教青年会理事長 大樹玄承師
第1分科会テーマ
「寺力更生~必要とされる寺に向けての内なる取り組み」
コメンテーター 高橋卓志師
第2分科会テーマ
「“家”消失と葬儀・墓~檀家制の限界と代替システム」
コメンテーター 井上治代氏
第3分科会テーマ
「“生産される”神さま仏さま~信仰と宗教ビジネス」
コメンテーター 藤田庄市氏
 
記録集『葬式仏教は死なない』出版
 
                       ~「全日本仏教青年会」の公式サイトから引用
 
たくさんのことを学ばせていただきました。仲間のみなさんに感謝です。

「林南院節分大祭」

「林南院節分大祭」

2019

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3日に金峯山寺の節分会が終わり、いよいよ今週10日(日)は自坊林南院の節分会大祭です。

ま、節分というのは立春の前日ーつまりおおむね2月3日に決まったものなので、次の節分会というのもへんなことなのですが、私は毎年、節分会法要を2度行っています。

今年の林南院節分法要は以下の日程で行います。
・午前10時半より 日数心経(全員でお唱えします) 
 ▽住職講話[今年の運勢のお話]
 ▽景品付き「脳天飴」を配布します
・正  午   昼食(田舎五目ご飯弁当)
・午後1時   幸せを呼ぶ星供採灯護摩供厳修
       …護摩中、参拝者全員に聖杖と水晶の特別加持を受けて頂きます。
・引き続き、古札発遣・古札焚き(境内外の浄壇で梵焼)
・午後3時頃  お札授与、甘酒接待 ・・・解散

よろしければ是非お出かけください。
少々、9日頃から寒波到来の予報で雪が心配ですけど、たぶん大丈夫ですので!!

「偶然と必然」

「偶然と必然」

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人生において出会うことに、何一つ偶然というものはないと私は思っている。全てが必然なのである。というか、必然と思うところに、自分を自分たらしめるものに気づくものがある、と考えている。

人生において起こる様々なことを、誰かの責任にしたところでナンの意味があるというのか。結局は全部、自分自身で背負うしかない。背負うしかない以上は、そこに「必然」を見いだして、自分自身を励まし、自戒し、精魂を尽くすことがなにより肝要だろう…。。

私は一方で、人生において無駄なことなど何一つないと思っている。どんな苦労や苦難にしても、それこそが自分の人生なのである。逃げようが避けようが、どう生きようが、全てそれこそが人生そのものなのである。不幸も幸いも自らの責任で作り出した現象と言えよう。だからこそ、偶然にして不幸になった、苦難を強いられた…などと思わずに、その運命を必然と受け止め、懸命に生きることこそが、今生での自分の人生なのである。

そう思うと、どんなに苦しくても、悲しくても、少しは楽に生きられるのではないだろうか。前向きな気持ちを持てるようになるのではないだろうか。人生には楽なことばかりが待っているわけではない。楽なことより苦しいことの方が多いに決まっている。いや、そんなことはないという人もいるのかもしれないが、私自身はそう思わずにはいられない。

ただ、そう思ってはいるが、よいもわるいも、全部の出来事自体が自分の人生そのものだと受け止め、全部を必然だと受け入れると、苦労ばかりが多いともいえない気持ちもわいてきて、なにやら生きていること自体が有り難いような気持ちになってくる。前向きに生きていくことがなにやら無性に有り難く思えてくるのである。

私は仏縁を得て僧侶になったが、それなりに苦労もしたし、災禍にも遭った。ときには僧侶を辞めて還俗しようと思った時期もあったが、法鑞50年を目の前に、改めてその仏縁に感謝している。苦労も災禍も私の人生そのものである。そして仏縁を得て、今を生かされているのも、必然の中に生きる、有り難い私の人生である。

***********

書き下ろし第4弾。今回のはちょっと以前の文章を改編して、書いてみました。

昨日の節分・今日の立春で、新しい節目を迎えた。今年は年号も変わる、大きな時代の変わり目であるが、そんな1年を思う中で、じっと自分の心に問いかけてみている。

*写真は金峯山寺の節分会行事。

「受けた恩の恩返し」

「受けた恩の恩返し」

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若い頃から多くの方々のお世話になった。そんなみなさんのおかげで、いまの自分がある。

ようやく恩返しが出来るようになりかけた頃、その恩人たちは一人、二人と先に逝く。まだ、なにも恩返しらしい恩返しなど出来ていないのに、心ならずも見送ることになる。父や母や先生たち…。申し訳ないばかりである。

人は自分が受けた恩と同じだけのものを、その恩人に返すことは出来ない。だからこそ、自分のあとに続く人たちに、自分が受けた万分の一でも、恩返しのお世話をする。いや、お世話をさせていただくのである。

人のお世話の見返りなど求めない。求められない。自分も又、見返りを求められなかった恩の、恩返しなのであるから。

ことわざに「情けは人の為ならず」というのがある。最近の若い人は、これを誤用していると聞く(文化庁の調査データ)。

情けは人の為ならずとは、「人に情けをかけるとそれがめぐりめぐって自分のためにもなる」というほどの意味だが、「情けをかけるのは、かえってその人のためにならない」と理解している人が半数もいるというのだ。人間関係が希薄になりつつある現代社会らしい理解の仕方なのかもしれないが、いまの世の中、なんだか、いろいろ世知辛い。

「情けは人の為ならず」とは、「受けた恩の恩返しで人に情けをかける」とするなら、人と人との絆はもっと優しく、もっと深くなるのではなかろうか。

****************

書き下ろし第3弾・・・「恩返し」について考えてみた。あまり深い話ではないが、私自身の心情である。

写真は亡母と母の仲間たちである。仲間たちの中でも故人が増えた。みんなお世話になった方ばかりである。

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