神宮寺の機関紙「遊行帳」

松本の高橋卓志和尚さまから神宮寺の機関紙「遊行帳」最新号(42/69特集号上巻)が届きました。

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おもえば20年近く前になりますが、全日本仏教青年会の全国大会メインイベント「葬式仏教をぶっとばせ」というフォーラムで、ひろさちやさんvs高橋卓志さんたちとのトークバトルのコーディネーターを私が務めさせていただいて以来のお付き合いがあります。

そのときは、高橋さんのスーパースターぶりをトークの中で賞賛して、こっぴどくひろさんに怒られたことがありました。懐かしいです。実は、あれ以来ひろさんの勘気をいただき、没交渉となりました。昨年ひさしぶりに奈良県宗教者フォーラムでおであいしましたけど、ひろさんはあいかわらず評論家無責任主義で、元気溌剌でした。

それはともかく、本書を一気に隅から隅まで読ませていただきました。特集「42/69」では高橋さんの父上の明治の神仏分離以降衰退した神宮寺再建のご苦労と、神宮寺ルネサンスの道筋が詳しく書かれていて、とても感動をしました。「修験道ルネサンス」を提唱している私としては、なんだか言うだけでなかなか行動や実績がともなっていない自分の活動を反省してしまいました。

またもう一つの特別記事、「SOGI」編集長の碑文谷さんとの対談(私もSOGIの取材をうけたことがあります・・・)も核心をついた内容で、葬祭仏教にはほとんど関わらない私ながら、たいへん興味深く、読ませていただきました。

次号ではきっと高橋さんのスーパースターぶりが詳しく報告されると思いますが、期待しています。ひろさんは高橋さんのスターぶりを賞賛した私を叱責し、いささか高橋さんを揶揄されていましたが、ひろさんが言うように、私もみんながスーパースターになれなくても、ぜんぜん問題はないと思っているし、逆にそれをお手本に、それぞれの場面でそれぞれば頑張ればいいのです。そして、だからこそ、スーパースターの存在がものすごく大切だと思います。たとえば高橋さんだけではなく、私は新潟の小川英爾和尚や大阪の秋田光彦さん、釈徹宗さんなどとも御縁がありますが、そういういわばスーパースターのお坊さんが若い人からもどんどんでれば、仏教会全体がもっと活性化するのは間違いありません。

そんなことを思いながら、読ませていただきました。

42/69特集号下巻の.次号ではきっと高橋さんのこれまでのスーパースターぶりが詳しく報告されると思いますが、期待しています。

堤未果さん・・・

昨日、新著の企画打ち合わせで、以前から知り合いの扶桑社の方と出会った。その席で、堤未果さんの『増補版/アメリカから<自由>が消える (扶桑社新書)』を頂戴した。おととい、本書のイベントが京都であったようで、わざわざ私の名前入りサイン本をいただいた。

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夜中、寝られなかったので、一気に読んだ。日本でも共謀罪法案の成立をめぐり国会論議が行われたように思うが、本書を読んで、アメリカで起こっていることが確実に日本ででも進んでいるということだとわかる。

それにしては野党もマスコミも問題の核心を突かない論議ばかりで、ホントにこの国、大丈夫なのかと、空恐ろしい気持ちになった。

なんで、どうでもいいようなカケ・ソバ問題などに狂騒せずに、こういう国民の利益に直接繋がることへの、まともな論戦が行われないのだろうか?野党はどこをみているのだろうか?

寝られない夜が、ますます寝てられない夜となった一冊である。

ブックレット『神仏和合で日本の自然は守られてきた』

ブックレット『神仏和合で日本の自然は守られてきた』

先月末に上梓された、ブックレット『神仏和合で日本の自然は守られてきた』(紀伊山地三霊場会議刊)は、私にとって、ある種の集大成のような本です。

平成11年末に吉野大峯の世界遺産登録活動を思い立ち、なんと5年たらずで、世界遺産に登録され、その後も、紀伊山地三霊場会議などを立ち上げて、吉野大峯の、世界遺産登録の意義を世に問い続けてきました。

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その紀伊山地三霊場会議の活動のひとつとして、毎年、紀伊山地三霊場会議フォーラムを開催してきましたが、昨年は宗教学者の山折哲雄先生と、元紀伊山地三霊場会議総裁・高野山金剛峯寺座主の松長有慶猊下をお迎えして、お二人の対談を中心にコーディネートをさせていただきました。

その対談内容は本当に素晴らしく、ある意味、私にとっては長年続けてきた世界遺産活動の集大成に位置づけられるものでした。

今回ブックレットとして販売することにしたのは、そういう思いをもっての企画となりました。幸い、金峯山寺はじめ紀伊山地三霊場会議の加盟寺社のみなさまの賛同を得て、この6月27日に発行致しました。

販売価格は1部600円(税込み、送料別途)です。

金峯山寺をはじめ、紀伊山地三霊場会議加盟寺社でも販売をして頂くことになっています。また紀伊山地三霊場会議の事務局である金峯山寺にお申し込みいただければ、郵送も承ります。

金峯山寺 http://www.kinpusen.or.jp/

一般書店には流通していませんが、加盟寺社にお立ち寄りの際はお探し頂き、よろしければどうぞお手に取ってください。

「あらためて、父母追慕抄」

「あらためて、父母追慕抄」

今月19日の父母の年回忌法要記念に、いままで書きためた両親に関わる私のエッセイをとりまとめ、父母への追善の資として、上梓した「父母追慕抄」。

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法要当日にお渡しした方から、「親子の情愛をあらためて深く感じた…」など、たいへんご好評をいただいて、作成した私としてはとても嬉しく思っています。独りよがりな本でしたので、おそるおそるの出版でした。

全9編。頁数では36頁という薄い冊子です。おかげで装丁はなかなか美しい(写真参照)。両親の遺影や、父と私との、幼い頃の写真なども載っています。私はどちらかというと、おとうちゃん子でしたから・・・。

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ところで、実は少々校正上での手違いなどがあって、法要当日分だけ、先に届けていただきました。そして本日、直しの完成分が送られてきました。法要にはお招きしなかった親戚や、父母とのご縁、お弟子さんたちや直接縁の深かった一部のみなさまには、今週末にはお送りしようと思っています。

そんなにたくさん刷ったわけではないのですが、SNSをご覧のみなさまにも、ご希望があれば、お届けしようと思います。父、母への追善供養になればと思いますので・・・。残り部数は50ほどですから、まあ、いわば、早いもの勝ちです(笑)。

すでに何人かの方からご希望いただいておりますが、今なら、今週末に一緒に発送しますので、一両日中に、私宛、ご希望の方はご連絡ください。

メアド:yosino32@gmail.com まで、恐れ入りますが、送り先とお名前をお教えくださいませ。もしかすれば、昔に住所などお聞きしている方でも、住所管理が下手な人間ですので、手元にない場合があります。そこのところ、よろしくお願いいたします。

「BOSS4月号登場!」

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「BOSS4月号登場!」
 
盟友の宗教学者正木晃先生が月刊BOSSに連載をされているシリーズ「僧に訊く」の最終回に私が選ばれ、先日、取材を受けたが、今月のBOSSに掲載されました。
 
月刊BOSSとは
・・・多くのメ ディアが氾濫し、情報が溢れる現代において、「月刊BOSS 」が目指すものは、徹底的に「人」にフォーカスした平成のサクセスマガジンです。
 
どのようなジャンルであれ、それを実際に動かしているのは「人」です。 「月刊BOSS 」では、経済人はもとより、政治家、学者、文化人、スポーツ選手、歴史上の人物など、幅広いジャンルの第一人者やリーダー達の人間像に迫り、彼らのサクセ スへと至る道のりを余すことなく描き出すことによって、等身大の人物ストーリーを展開し、全国の志とチャレンジ・スピリットに溢れたビジネスマンにとって の羅針盤的な役割を果たす雑誌を目指しております。
 
・・・とあるように、大変光栄な取材を受けることと成りました。
 
いつものように正木先生一流の「ほめごろし」記事的ありがたい表現で、ほんとに恐縮です。
 
よろしければお読みください。
 
月刊BOSS https://boss-online.net/
 

『はじめての修験道』,第5刷出来!!

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もう10年以上も前になるが、正木晃先生と書いた、私の中でもおすすめの名著。その『はじめての修験道』が今月、春秋社から第5刷が出ました。

・・・といってもわずか500部の増刷なので、偉そうにはいえないお話ですが。

また読んでおられない方、修験道に興味のある方、是非、ご一読をおすすめします。

・・・アマゾンでは、中古品しかないようですが(^_^;)

https://www.amazon.co.jp/dp/4393203046/ref=cm_sw_r_fa_dp_c_ICh4xbX06P1GM

「蔵王権現② ー蔵王権現は純和製」

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「蔵王権現② ー蔵王権現は純和製」  ~田中利典著述集280329

もうひとつ、蔵王権現の一大特長として「純日本製」ということが挙げられます。お釈迦様も、大日如来も、阿弥陀仏も、観音様もお不動様も、弁天様さえ、みな外来のもの、つまりは外国産です。しかし、蔵王権現は大峯山上の岩を割って湧出した、生粋の日本生まれ。文字どおり日本の大地から生じた純和製のご本尊です。

日本人にとって聖なるものは、和御霊(にぎみたま)と荒御霊(あらみたま)の二つの形をもちます。生命のバランスが整っている和御霊、バランスを損なうほど勢いが前面に出ているような荒御霊。

蔵王権現は、その二つの御魂を融合しています。忿怒の形相という姿かたちはまさに荒御霊ですが、肌の色は和御霊の慈悲をあらわします。和御霊と荒御霊がともに現れている点からしても、いかにも日本らしいご本尊です。そこに私は唯一無二なる力と親しみを覚えるのです。

  ー拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』(2014,5刊)より

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蔵王権現様が純和製=つまりメイドインジャパンというのは、私独自の本尊観です。思いの外、沢山の方々に支持されています。

*写真は秘仏ご開帳中に行われる蔵王堂夜間拝観。聖地吉野の聖なるひとときは来る者を圧倒し、権現様のお力を間近に感ずることが出来る無二の機会。今期も行われる。今期の施行日は4月1日(金)、4月3日(土)、16日(土)、22日(金)、23日(土)、28日(木)、29日(金)、27日(金)、28日(土)、5月3日(火)、4日(水)、7日(土)です。

「蔵王権現① 蔵王権現像があらわすもの」

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「蔵王権現① 蔵王権現像があらわすもの」  ~田中利典著述集280328

悪魔、煩悩に立ち向かって、それを粉砕し、衆生の三世を救済する力があるとされている蔵王権現。しかし、「悪魔を粉砕する」といいますが、そもそも悪魔とはなんでしょうか。

ここでいう悪魔とは、「悪魔」という特定の存在ではありません。たとえば、人々の苦しみのもととなる悪病や災厄を意味します。苦しみや悩み、迷いを生じさせるはたらき、いのちの輝きを奪うはたらきを「魔」、あるいは「悪魔」と呼んでいるのです。

苦しみや悩み、迷いを生じさせるはたらきは、つねにこの世に存在します。そして、「悪魔は、どこかにいるのか?」と聞かれれば、それは自分の心の中にも存在しているのです。心の中に巣食う欲望やねたみ、憎悪なども、悪魔といえるかもしれません。仏教では、それらを「煩悩」と呼んでいます。蔵王権現は、先述のとおり、悪魔、煩悩に立ち向かって、それらを粉砕する姿を示しているのです。

また蔵王権現の姿は、魔を粉砕する強さ、忿怒だけでなく、智慧と慈悲もあらわしています。

背後の燃えさかる火炎は、仏の大智慧の象徴であるとすでに解説しました。智慧を火であらわすのは、智慧の焔【ルビ:ほのお】で煩悩の薪【ルビ:たきぎ】を焼きつくすということなのです。そして、御身の青黒色は、大慈悲をあらわしています。「青黒は慈悲をあらわす」と、仏典(『聖不動経』など)にも説かれています。見るからに恐ろしい姿は、ただ怒りに燃えているだけではありません。その根底には「恕(じょ)」の心があります。一切を恕【ルビ:ゆる】し育み、人々を導こうという慈悲の心です。

「恕」はゆるすと読みます。ゆるすには「許」という字もあります。許は、ききとどける、相手の言うことを聞いてやるという意味ですが、「恕」は、相手をゆるす、おもいやる、いつくしむ、あわれむなど、より広い心なのです。蔵王権現像の巨大さが、その広い心の現れであるような気もしてきます。私たちは、日常の暮らしの中で、恕す心が大きくなるよう心をおさめていきたいものです。

蔵王堂に安置されている蔵王権現をじかに拝すると、その巨大さとすさまじさに最初は驚くことと思います。が、しばし蔵王権現と相【ルビ:あい】対峙して座していると、やがて心が落ち着いてきて、やさしく包まれている感じがすることでしょう。おそろしい忿怒の形相の内面に、深い慈愛の御心を感じることができることでしょう。
蔵王権現は、私たちの心に湧き起こる過去への後悔、現在の執着、未来への不安や恐れの心を浄めてくださいます。

  ー拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』(2014,5刊)より

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いよいよ今期の蔵王堂本尊秘仏蔵王権現さまのご開帳が行われます。この春は4月1日から5月8日まで39日間です。開帳開始の4月初旬から中旬までは桜シーズンでごったがえしていますが、20日以降は静かに参拝出来ますよ。この時期がお薦めです。

また、多くの友人にお誘いをしていますが、4月29日には私の主宰する東京行者講が企画しています「りてんさんといく蔵王堂夜間拝観と修験講座」というスペシャルな参拝プログラムもあります。よろしければどうぞ。

詳しくは以下へ ↓ 

https://www.facebook.com/events/1643542502452158/

*写真は今期の秘仏蔵王権現ご開帳のポスターです

「山伏のファッション①」 ~田中利典著述集280325

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「山伏のファッション①」 ~田中利典著述集280325

歌舞伎や時代劇などにも特有の装束で登場する山伏。その装いは、いたるところに信仰の象徴(シンボル)的な意味合いが込められています。

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「頭襟(兜巾:ときん)」
山の中でとがった岩や突き出た木の枝から頭を守る、山伏専用の小さなヘルメット。独特な形は、大日如来がかぶっている宝冠を真似たもので、黒い色は煩悩と無明を表し、「聖なる仏も俗なる人も本質は同じ。悟りも煩悩も実は同じところにある」という修験道の教えが込められています。

*

「鈴懸(篠懸:すずかけ)」
山伏の法衣は、俗衣の上衣に括袴【ルビ:くぐりばかま】という俗人の衣服です。風通しの良い麻で、色は「柿色」と表現される淡い黄色です。

「鈴懸」という言葉は、「鈴」=仏性を宿らせている私たちの身体、ということに由来します。仏性というのは、生きとし生けるすべての人に、悟りを得て仏になれる種(可能性)が宿るとされる仏教の考え方です。

密教の法具に金剛鈴という鈴があり、儀式では音を立てることで自分自身に眠っている良心を目覚めさせたりすることから、鈴=仏性の象徴という意味で使われています。そして、衣は、仏性を宿らせている身体に懸けるものなので「鈴懸」と呼ばれます。

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「脚袢(きゃはん)」
かつては「胎蔵黒色のはばき」と言われる黒いものを着用していましたが、今は白い脚袢で脛の部分を保護します。

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「結袈裟(ゆいげざ)」
天台宗系の山伏が身に付ける結袈裟は、細長い帯状の布製品で、丸い房(ボンボン)が付いています。丸い房を「梵天」というので、梵天袈裟とも呼ばれます。これに対して、真言宗系の山伏は、房ではなく輪宝【ルビ:りんぽう】といって平たくて丸い輪っかの飾りを付けるのが特徴です。

結袈裟の台の色は、金峯山寺の場合は、僧籍を持っている山伏は白地に金欄付き、僧籍を持っていない山伏は茶地に金欄付き。真言宗系の場合は、ほとんどが茶地に金欄付きです。梵天や輪宝は前に四つ、後ろに二つ付いています。

ー拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』(2014,5刊)より

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*写真は熊野本宮大斎原で大護摩供を行ずる鈴懸正装の大峯行者たち。

「ハレの装置としての山修行」~田中利典著述集280312

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「ハレの装置としての山修行」 ~田中利典著述集280312

日本人は古来よりハレとケを行き来して生きていました。ケとは終わらない日常のことをいいます。日常の生活をずっと続けて行くと、だんだん気が衰え弱ってくる。そして、弱ってくると病気になる。それをケガレと日本人は考えました。そこで、気を元に戻す。それを元気というのです。この、元に戻す行為をハレといいます。

つまり、ハレとは非日常であり、日常を離れて聖なるものに触れること。正月、桃の節句、端午の節句、夏や秋のお祭り……。すべて、聖なるものにふれる非日常の行事で、ケによって崩れたバランスを復元する機会なのです。お正月にお屠蘇を飲むのも、端午の節句に菖蒲湯に浸かるのも、秋に収穫祭をして大いに騒ぎ、ふだんは食べない美味しいものを食べるのも、ハレとしての装置なのです。

しかし、ものが豊かになった現代では、毎日がハレのようなぜいたくな生活になり、ハレをなかなか意識できません。ずっとハレのような生活を続けるのなら、それこそがケになります。そうしたときに、なにがハレの装置になり得るか。そこで山修行なのです。

山に入り、汗をかきかき山歩きすることは非日常であり、日本人にとって山は神仏のおわす聖なる世界にふれることです。ですから、修験道の山の修行というのは、ハレが失われた現代社会の中で、ハレの装置としての機能を果たすことができると私は思っています。しかも、きわめてすぐれた役割を果たせると思います。それに、誰にでもできます。体力の問題はありますが山を歩くというのは、たいへんハードルが低い行為です。

こんな時代だからこそ、修験道の山修行が求められる大きな意味があると言っていいでしょう。

  ー拙著『体を使って心をおさめる 修験道入門 (集英社新書)』(2014,5刊)より

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*写真はあるときの大峯蓮華入峰の行者たち。

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