今年もやります「りてんさんといく蔵王堂夜間拝観と修験講座」

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今年もやります「りてんさんといく蔵王堂夜間拝観と修験講座」
・・・是非、ご参加下さい。

4月22日~23日にかけて、吉野山/金峯山寺蔵王堂・秘仏蔵王権現夜間拝観に参観し、田中利典金峯山寺長臈の修験講座や法話会を聞くツアーを募集します!30名限定ですので、ご希望の方はお急ぎ下さい。

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本講座は田中利典長臈が関東のみなさんを中心に、広く一般の方々に呼びかけして、蔵王権現さまとのご縁を結んでいただこうということで開催されます。関西からの参加も大歓迎です。

内容は本年4月1日から開扉されている秘仏蔵王権現さまの夜間特別拝観に参加するほか、田中利典長臈の修験講座「蔵王権現入門」や本地堂特別法話会への受講、宿坊東南院での宿泊と研修ほか、3度の食事会と懇親会など、もりだくさんの日程で行われます。

*現地吉野山集合、現地吉野山解散。
*参加費は23000円(研修受講費、宿泊代・食事代3回・夜間拝観/日中拝観料、税込み)
*申し込み問い合わせは 
 Eメール yosino32@nifty.com

詳しくは直接田中利典までお問い合わせ下さい。(Facebookのメッセージでも可)
*最小催行人数(10名)に満たない場合は中止することがあります。

主催 東京行者講
協力 「なら縁巡プロジェクト」実行委員会

「8分間修験道入門」ー田中利典著述集290216

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「8分間修験道入門」ー田中利典著述集290216

4年前の2月14日に、東日本大震災復興支援の企画(奈良県・観光庁共同)で、東大寺、薬師寺、法隆寺、興福寺、唐招提寺、西大寺をはじめ、春日大社、石上神宮など、奈良県を代表する寺社のみなさんとともに、当時金峯山寺の執行長だった私は、福島県郡山市での「祈りの回廊フォーラム」(会場:郡山市郡山公会堂)での講演に臨んだ。

そのとき私に与えられた命題は、修験道1300年の歴史をわずか8分でしゃべれと言うミッション。そのときに生まれたのが「8分間修験道入門」。

その講話草稿を、今日はアップします。

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「8分間修験道入門」

○プロローグ

長いこと生きていると、ときどき、とんでもない無理難題に遭遇するものです。今日の講座では8分で修験道1300年の概要をわかりやすくお話ししなさいという命令を、奈良県さんと観光庁さんに命じられました(笑)。えらいことです。どう考えてもほぼ無理ですが・・・ともかく頑張ります。

○神と仏はほぼ同じ

神と仏というと、現代人は、どうしても別々に分けて考えてしまいがちです。しかし、私たちのご先祖は、神と仏を分けて考えたりはしませんでした。両者の距離は、現代人では想像もできないくらい、近かったのです。

日本に「仏」が、正式なルート(仏教公伝)で入ってきたのは六世紀半ばと言われています。今から1470年くらい前のことです。このとき日本人は、仏を神の一種として受け入れました。今まで拝んできた自分たちの神にたいし、外国から新しく入ってきた神という認識です。それは仏を「蕃神(あだしくにのかみ)」と呼んだ事実からよくわかります。

もちろん、争いが全然なかったわけではありません。教科書にあるように、排仏派の物部氏と崇仏派の蘇我氏が戦いました。しかし、戦いはこれっきりでした。崇仏派が勝利した後、1300年間はさしてもめることなく、仲良くやってきました。人間関係にたとえれば、蜜月状態といっていいでしょう。その原因は、仏教が急速に日本化したことにあります。

たとえば、伝来当初につくられた木製の仏像の多くは、クスノキを素材にしています。なぜクスノキかというと、クスノキが神の木としてあがめられていたからです。いわゆる霊木信仰です。このように、仏教は日本に入ってきた最初の段階から、もともとこの国にあった神信仰をとり入れ、神信仰と融合していくのです。

これに対して神信仰もまた、おおいに仏教の影響を受けました。そもそも日本の神信仰は、難しい教理的な操作とはあまり縁がありませんでした。宗教を哲学的に構築したり説明したりするために欠かせない教義も、ほとんどありませんでした。ですから、この領域における仏教の影響は絶大でした。神信仰に教義という発想を導入し、神信仰を体系的に整えさせたのです。その結果、誕生したのが神道です。造形面での影響も甚大でした。神社建築も神像造立も、大きく仏教の影響を受けています。

神と仏の仲むつまじい関係は、日本の宗教に、決定的な足跡をのこしてきました。神と仏が、争わず、互いを敬い祀りあう関係こそ、日本の宗教の特質と言っていいのです。

私の課題「修験道」というのは、その神の祈りと仏の祈りを併せ持った、そういう日本の宗教の土着的な特質の上に成立する信仰で、開祖の役行者以来、神と仏を分け隔てなく尊び、その結果、権現信仰のような神と仏を融合させたものさえ生んだ日本独特の民俗宗教なのです。

○修験道とは?

ではその修験道とは何かということになるのですが、私は三つの視点で説明をしています。

①まず第一は「山の宗教」―いわゆる「山伏の宗教」ということです。山に伏し野に伏して修行するから山伏というわけです。

その山伏はどこで修行するかと言いますと、これは山林であります。つまり大自然が道場なのです。

我々山伏修行では少々の雨、風があっても、決められた所をひたすら歩いて行きます。一日に約十~十三時間にもわたり歩くこともあります。それもただ歩くのではなくて、まさに木を拝み、岩を拝み、お日様を拝み、大自然そのものを拝みながら、祈りながら行ずるのです。自然というのは、山伏にとっては神、仏が在ます世界です。まさに神、仏がおられることを前提に修行を行います。

②二つ目は、宗派を超えた実践宗教であるということです。

実際に自分の身を使って行ずるのです。山林抖數の山修行だけでなく、滝に打たれることもありますし、托鉢や座禅をすることもあります。とにかく自分の体を使って行う実践的な宗教というわけです。しかも修験道というのは「道」ですから、あまり宗派宗義には拘らない。

実際、我々の山修行にはいろいろな宗派の方がお出でになります。禅宗の方もお出でになることもあるし、天台宗や真言宗の方が参加されることもある。神官さんも参加しています。このように宗派を超えて実践していく宗教が修験道と言うことができます。修験道とは実修実験、修行得験の道とも言われています。

③三つ目は、神と仏はほぼ同じで述べたように、神仏習合を基盤とする極めて日本的で、多神教的な宗教であるということです。

八百万の神々と八万四千の法門から生ずる仏達を分け隔てなく祀ってきたのが修験道なのです。

この東北の地では羽黒山に羽黒権現様がおられますが、本地(元の姿は)は観音菩薩。仏が羽黒の神となって祀られたのが羽黒権現なのです。吉野は蔵王権現、熊野は熊野権現、白山では白山権現、石鎚山は石鎚権現という風に、日本人は全国のあらゆる土地、霊山に神と仏の融合した権現神(仏が権化して現れた神)を祈り、祀ってきました。神も仏も祀るという多神教的で、しかも仏教と神道が融合し、まるで仲むつまじい夫婦が生んだ子供のような存在が権現信仰であり、修験道であると言うことができるでしょう。

○まとめ

明治に行われた神仏分離、修験道廃止の施策以降、わずか140年ほどで、儀礼の上でも信仰の上でも、神と仏の関係は多くが失われてしまった感があります。

しかし。吉野から勧請して山の名前が蔵王となった山形と宮城に渡る蔵王で行われる花笠音頭のように、まだまだ土着の信仰や多くの民俗行事の中に、権現信仰や、神と仏が融合した形がとどめられているです。

8分で全部をご理解いただくのは無理なのではありますが、私は時間通りに終わるという信条があり、ちょうど時間となりましたので、これで終わりたいと思います。ありがとうございました。 (了)

ー2013年4月14日、福島県郡山市「祈りの回廊フォーラム」基調講演から

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このとき、8分間で、修験道1300年を語ったので、これ以後、少々の無理難題を強要されても、わずかな時間で修験道論がこなせるようになりました。(笑)

*当時の「祈りの回廊フォーラム」でのイベントの写真。

大峯行者が語る修験道の世界~

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来年1月はまほろば館に参上!!いつも満員にしていただきます。お申し込みはお早めに。

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連続講演「世界遺産『吉野大峯』の信仰と修行」(全5回)~第4回 大峯行者が語る修験道の世界~

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平成29年1月20日(金)17:00~18:00

奈良県吉野山の金峯山寺をはじめとする文化遺産によって構成される世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」は、修験道などの儀礼や修行が今なお生き続けていることが世界遺産として大きな価値となっています。
本連続講座では紀伊山地の霊場と参詣道の信仰世界と修行の実態をご紹介し、吉野大峯の歴史や文化を体感していただきます。

1.日  時:平成29年1月20日(金)17:00~18:00
  2.講  師:田中 利典 師(金峯山寺 長臈)
  3.会  場:奈良まほろば館2階
  4.資料代等:無料
  5.定  員:70名(先着順)
  6.申込方法:
・ハガキまたはFAX
必要事項(講演名・講演日時・住所・氏名(ふりがな)・電話番号・年齢)を明記いただき、奈良まほろば館までお送りください。
・ホームページ
下記の「申込フォーム」からお申し込みください。

お問い合わせ先
奈良まほろば館 【開館時間】10:30~19:00
〒103-0022 東京都中央区日本橋室町1-6-2 奈良まほろば館2F
   電話03-3516-3931 / FAX03-3516-3932

7.主 催 :世界遺産吉野大峯活性化事業実行委員会、奈良まほろば館

詳しくはここへ→ http://www.mahoroba-kan.jp/course.html

今日は午後から福祉講演会です・・・

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今日は午後から福祉講演会に招かれて、綾部で講演をさせていただきます。

ここ20年、JAXAや立命館大学、昭和女子大、朝日カルチャーセンターなどなど、いろんなところでの講演会に呼んでいただきましたが、地元での講演会はこの6月の京あやべホテルでの凱旋?講演会につづいて二度目です。

あまり地元では私のことを知っていただいていないんで、こういう講演会を通じて、たくさんの方々と出会わせていただけるのはありがたいことだと思っています。

地元の方にたくさんきていただければ嬉しいです。握手会もしますので・・・。 (^^;)

11~12月に開催する私の講演会

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この秋11~12月に開催する私の講演会、フォーラム、イベントのご案内です。

①11月19日:綾部講演会
あやべ限定情報・・・11月19日午後2時~3時あやべ松壽苑にて講演会をさせていただきます。よろしければ、おいでください。入場は無料。講演後には、握手会+著書サイン会も行います。

②11月21日:大阪紀伊山地三霊場会議フォーラム
紀伊山地三霊場フォーラム「日本の宗教と自然環境」
 …講師に仏教学者山折哲雄先生と金剛峯寺前座主の松長有慶猊下などをお招きし、
   日本の宗教文化と自然環境保全についてお話を伺います。
日時:11月21日(月)14:30〜17:00(開場14:00)
会場:あべのハルカス25F「大会議室」
入場料:1,000円 
基調講演1
「吉野の自然と土倉庄三郎・岸田日出雄」
講師:池田淳氏(吉野歴史資料館館長)
基調講演2
「役行者・空海・一遍と紀伊山地の自然〜環境保全と日本の宗教」
講師:山折哲雄氏
(宗教学者/一般社団法人自然環境文化推進機構代表理事)
対談「紀伊山地の宗教文化と環境保全」
山折哲雄氏、松長有慶前金剛峯寺座主(紀伊山地三霊場会議顧問)
〔司会〕田中利典金峯山寺長臈(紀伊山地三霊場会議顧問)
**ただし、もう申し込みはソウルドアウトしました。

③種智院大学講座 「寺院運営論」ゲストスピーカー
「修験道の世界①~修験道とは?」
日時:11月22日午後4時半~
会場:種智院大学
**ただし、一般未公開

④映画『躍る旅人−能楽師・津村禮次郎の肖像』関西上映会
京都シネマ12/3 上映後のトークイベント
12/4田中利典(修験僧)×津村禮次郎×三宅流
趣旨:
「津村禮次郎さんがバリのガムラン及びバリ舞踊とのコラボレーションを行ないました。10日間ほどかけて交流しながら創作しました。
能とバリ舞踊の持つ様式や身体性の差異と共通点、そしてガムラン音楽と能のお囃子の差異と共通点、互いにリスペクトし合い、その中で交感を深めていき、最後はあたかもそういう芸能が最初から存在したかのように、びっくりするほど融合していく姿は感動的です。また突然のスコールや停電、鶏や犬やとかげが稽古中にも紛れ込み、自然と人間の境界線が緩やかになっているのも魅力的です」
*詳しくは以下参照 http://www.odorutabibito.com/

⑤種智院大学講座 「寺院運営論」ゲストスピーカー
「修験道の世界②~山の行より里の行」
日時:12月6日午後4時半~
会場:種智院大学
**ただし、一般未公開

⑥誇り塾講話会
12月18日(日):東京国立博物館 黒田記念館 午後2時開講
(一部)田中塾頭講話 (テーマ)利典さんの仏教講座1 仏教とはなんぞや?
(二部)仏教学者正木晃先生講話 (テーマ)仮題:世界の中の仏教
(三部)田中vs正木座談会
会費:5000円 ・・・会員さん以外も体験的に参加できます。
   申し込みその他は yosino32@gmail.com までお問い合わせください。

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11月12月の時期はなにかと講演会などの依頼も多い。今年も過去の例年並みに、お声をかけていただいている。金峯山寺を勇退して、激減するかと思われたが、まあまあ、お声がけをいただけるのはありがたいことである。

種智院大学はこの5月から客員教授に招かれたが、今年はゲストスキーカーとして2講座を担当させていただいている。実に、金峯山寺時代よりははるかに時間はたくさんあるので、もう少しご依頼があればありがたい次第である。

「吉野と嵐山」ー田中利典著述集2801016

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「吉野と嵐山」ー田中利典著述集2801016
ご好評いただいた、8月に書き始めた記事の、続きです・・・

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「吉野と嵐山」

吉野と嵐山のご縁についてお話をいたします。

後嵯峨上皇、この頃は「知天の君」と言いまして、天皇さんは即位してその後すぐお辞めになって、上皇になって院政が行われた時代であります。後嵯峨天皇も上皇となられて院政を行われますが、その後嵯峨天皇が吉野の桜を京都に持って行かれるのです。

「院は西郊亀山の麓に御所を立て亀山殿と名付、常にわたらせ給ふ。大井河、嵐の山に向ひて桟敷を造て、向の山には吉野山の桜を移し植えられたり。自然の風流、求めさるに眼を養ふ。まことに昔より名をえたる勝地と見たり。」と、『五代帝王記』に載っております。

あるいは、後嵯峨上皇の御製の歌にはこのように出てまいります。『新古今和歌集』ですが、「亀山の仙洞(亀山殿)に吉野山の桜をあまた移し植ゑ侍りしが花の咲けるをみて 『春ことに 思ひやられし 三吉野の 花はけふこそ 宿に咲けれ』。あるいは後嵯峨上皇の息子さんが亀山天皇さんで、亀山天皇の息子が後宇多天皇ですが、この後宇多上皇も詠んでおられます。「嵐山 これも吉野を移しこむ 桜にかかる 滝の白糸」。

知らんかったでしょ。吉野の桜を嵐山に持って行って、そこに桜の名所を作った。その時にですね、桜を持って行くとともに、実は蔵王権現も持って行かれたのです。さっき言いました、蔵王権現の御神木が吉野の山桜なんです。吉野の山桜を持って行くということは、蔵王権現も一緒に持っていかないといけないということで、蔵王権現さまも持って行かれた。その証拠に、嵐山には未だに蔵王堂が存在しています。

 ー連続講演「伝えたい世界遺産『吉野』の魅力」(第6回)平成26年11月22日/奈良まほろぼ館講座「吉野と嵐山の縁(えにし)~後嵯峨/亀山上皇と吉野と嵐山~」より

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写真は後嵯峨天皇です。

この秋11月の講演会、フォーラム、イベント

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この秋11月の講演会、フォーラム、イベントのご案内です。

①11月19日:綾部講演会

あやべ限定情報・・・11月19日午後2時~3時あやべ松壽苑にて講演会をさせていただきます。よろしければ、おいでください。入場は無料。講演後には、握手会+著書サイン会も行います。

②11月21日:大阪紀伊山地三霊場会議フォーラム

紀伊山地三霊場フォーラム「日本の宗教と自然環境」
 …講師に仏教学者山折哲雄先生と金剛峯寺前座主の松長有慶猊下などをお招きし、
   日本の宗教文化と自然環境保全についてお話を伺います。

日時:11月21日(月)14:30〜17:00(開場14:00)
会場:あべのハルカス25F「大会議室」
入場料:1,000円 

基調講演1
「吉野の自然と土倉庄三郎・岸田日出雄」
講師:池田淳氏(吉野歴史資料館館長)

基調講演2
「役行者・空海・一遍と紀伊山地の自然〜環境保全と日本の宗教」
講師:山折哲雄氏
(宗教学者/一般社団法人自然環境文化推進機構代表理事)

対談「紀伊山地の宗教文化と環境保全」
山折哲雄氏、松長有慶前金剛峯寺座主(紀伊山地三霊場会議顧問)
〔司会〕田中利典金峯山寺長臈(紀伊山地三霊場会議顧問)

応募方法及び詳細は以下の歴史街道連絡協議会サイトを参照ください。

http://www.rekishikaido.gr.jp/2016sanreijo/

**ただし、もうほとんどソウルドアウト状態だと聞いています。

③地域限定情報:綾部発
「りてんさんと行く吉野・高野・熊野/世界遺産紀伊山地の旅」

・・・という綾部出発の旅行企画です。
6月に京あやべホテルで企画していただいた私の帰郷講演会の、いわば第2弾。前回と同じく元綾部市長四方八洲男さんがお仲間を中心に企画立案していただきました。

吉野では実弟でもある五條良知金峯山寺管領猊下。高野山では元金剛峯寺座主松長有慶猊下、そして熊野本宮大社では九鬼家隆宮司にそれぞれご挨拶・ご法話をいただくという特別な参拝団です。松長猊下も九鬼宮司も、10年来の懇意にしていただいている親しいみなさんです。

日時は11月28(月)~30日(水)
28日は特別ご開帳中の「金峯山寺蔵王堂秘仏蔵王権現」さまに参拝。
金峯山寺では五條猊下と私の法話会があります。
その夜は高野山の宿坊普賢院に宿泊。夜に松長猊下の法話会があります。
29日は高野山の金剛峯寺、霊宝館、奥の院などを参観し、熊野本宮大社へ。
本宮大社では正式参拝や九鬼宮司のご挨拶を受け、夜は大社近くの川湯温泉泊。
30日は鳥羽に元綾部藩主九鬼家の墓所菩提寺常安を訪ねて、夕方綾部に帰山。

旅費は一人45,000円
定員30名

*誰でも参加出来ますが、出発が28日、綾部駅を朝7時30分ですので、ご注意ください。
*詳しくはチラシをご参照ください。
*こちらはまだまだ募集中です!!

「加持祈祷の心得」ー昨日の夏期大学講座から

「加持祈祷の心得」ー昨日の夏期大学講座から

○私の持論
「葬儀葬祭は霊魂の存在が前提であり、加持祈祷は奇跡が起きるのが前提とされなければならない」
「その奇跡は行者の力が起こすのではなく、神仏の力(如来加持力)によると知るべし」...
「その仏力の働きを学ぶのが加持祈祷作法の基本」

○修験道の本義
方便門と真実門の真義がある
方便門とは修行によって呪験力を得るは方便門
真実門とは修は修行によって悟ること、験とは本来自分自身が持つ仏性を指し、この両者を兼備することが修験であ
・・・山の行より里の行=菩薩行

○加持祈祷とは
加持の「加」は「加被」、「持」は「摂持」
・・・「仏日の影が衆生の心水に現ずるを加、
    行者の心水よく仏日を感ずるを持」
祈祷とは祈願、祈念、祈請
加持祈祷とは、自己の願望達成のためだけに仏を利用し手段化するのでなく、本尊に全身心を傾けて帰依(きえ)し、自己を空しくして三昧(さんまい)に入り、本尊と入我我入すること
「三密加持」(三密相応)の修法

○三力の大事
 三力とは「我功徳力」「如来加持力」「衆生法界力」
 加持祈祷を学ぶとは究極、この三力を働かせる世界と作ることである。

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こうして、書き出すとえらい難しい話をしたように見えますが、聞いた人は、もう少し柔らかく伝わったはずです。

ながく夏期大学の講師をつとめてきた、いまの私の集大成の講義となりました。

「吉野というところ・・・③」ー田中利典著述集280826

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「吉野というところ・・・③」ー田中利典著述集280826

21日から書き始めた記事の続き、その③です・・・

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「吉野というところ・・・③」

それからもう少し時代が下ると鎌倉期には、文治2年(西暦1186年)11月に、源義経が、兄の頼朝と不仲になって、頼朝に追われて全国を逃げ回るのですが、愛妾静を連れて吉野にやって来る。

今、11月に来たと言いました。『吉野千本桜』という戯曲があります。いわゆる、歌舞伎や文楽で、後々この義経が吉野に逃げてきたことが物語に描かれるわけでありますが、歌舞伎の『吉野千本桜』通し狂言・・・大変長いお話ですけれども、そこで終わり方に吉野山の場というのがございます。そこは蔵王堂の前が舞台になっています。その時の蔵王堂は桜満開の、豪華絢爛に大変美しい舞台が描かれます。

しかし実際には、義経が来たのは旧暦の11月ですから真冬であります。桜が咲いてる時期に来たわけではなのです。吉野山=桜という演出で満開の吉野山が登場しているのです。

・・・で、吉野で一行は4日間滞在するんですが、吉野の宗徒は鎌倉方の追手を恐れて、義経に味方をしません。それで義経は、ここで静と別れて打ち退くということになります。

その別れの時、義経は今から山上ヶ岳へ逃げるので、山上ヶ岳というのは女人禁制であるから、女の人は連れて行けないので、ここで静と別れるみたいなことを描いてありますが、実は嘘でありまして、義経は女人禁制の山上ヶ岳へは行っていません。静を吉野に置いて山を下りて逃れるわけです。冬枯れした時期ですから、足手まといになる静は邪魔だったのでしょう。その時に静のお腹の中には赤ちゃんがいたといいます。大変悲しい話がここで行われたわけでありますね。

この義経の物語は52回くらい、映画とかドラマになっているそうです。そして、今から10年ほど前に、ジャニーズの男前で、タッキーこと、滝沢秀明君という役者さんが『義経』というNHKの大河ドラマに出ました。

あの時にね、ちょっとだけ感激したことがあります。それまでの義経のいろんな物語は、兄頼朝に追われて吉野山に逃げてくるにあたって、「吉野山へ逃げよう」とか、「吉野へ行こう」とか、大体そういう表現なんですね。ところが滝沢君はこのとき、こう言ったんです。「金峯山寺に参ろう!」と。

これは実に正しいのです。義経は確かに吉野に来たのですが、吉野山に来たのではないのです。別に花見がしたいから来たわけでもないのです。金峯山寺という、役行者以来の修験の勢力、その経済力、ネットワーク、それから、昔の寺というのは軍隊を持ってましたからね。

今NHKの大河ドラマで『軍師官兵衛』やっていますね、あの織豊時代に、信長・秀吉の施策によって、お寺が武装解除させられるのですが、それまではお寺みんなは軍隊持ってたんです。ですから石山本願寺は織田信長と戦うし、比叡山が全山を焼かれることになる・・・というのは実はあの『軍師官兵衛』の時代までは、お寺はみんな軍隊持ってたからなのです。

今でもイスラムは、軍隊持ってるでしょ。キリスト教は十字軍の時代がありますが、日本は近世の初めにお寺が武装放棄してるから、今の日本人には宗教が軍隊を持っているという感覚はないんですね。しかしそれまでは持ってたんです。今でも世界中持ってるところは、いまでもたくさんあるわけです。

で、それまで、たぶん、特に室町時代なんていうのは、国という機関はあってないようなもので、政府もあってないような時代でしたから、それぞれが自分たちを守るためには軍隊を持っていたわけです。寺もたくさんの荘園、たくさんのものを抱えていましたから、軍隊も持っていたし、国が国の体を成していなかった分だけ、お寺というのが非常にその、国が持っているような部門をたくさん持っていた。

たとえば、今は大蔵省がお酒の税金取っていますけども、中世はお酒の税金って寺が取っていた。油の販売権も寺が持っていた。今となっては、国がやっていることが当たり前なことが、実は当たり前でなかった時代の方が長かったわけです。

だから、当然軍隊も持っていた。武士階級はそこから生まれて来たのですからね。金峯山寺もまた、役行者以降、寺の発展とともに中世にかけては大変大きな勢力となった。大きな軍事力を持っていました。そういう力を頼って、実は義経はやって来たわけで、あの人たちは吉野に来たわけではなくて、義経一行が「金峯山寺に参ろう」といったのは、極めて正しいことなのです。

ただまあ、金峯山寺という名前が明治以降ほとんど誰も知らなくなったので、意味わからんな、ということで、大方の物語では「吉野山に行こう」ということになっているんでしょうけどもね。今でも比叡山とか高野山とか、そういうような意味で、吉野山=金峯山寺という関係性というのがあるのですけれども、そういう歴史があるのも金峯山寺という修験の信仰を拠点とする勢力があったからということであります。

 ー連続講演「伝えたい世界遺産『吉野』の魅力」(第6回)平成26年11月22日/奈良まほろぼ館講座「吉野と嵐山の縁(えにし)~後嵯峨/亀山上皇と吉野と嵐山~」より

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写真は源義経です。

主題が後嵯峨天皇や南朝に繋がる吉野と嵐山についての講演録なので、本題はこの先長いのですが、吉野というところという、前書きにあたる部分は次回で終わりです。

「吉野というところ・・・②」ー田中利典著述集280825

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「吉野というところ・・・②」ー田中利典著述集280825

21日アップ記事の続きです・・・

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「吉野というところ・・・②」

さてそういう古代にもたくさんの歴史があるこの地に役行者という、後々には修験道を開祖と崇められる行者様が修行にお入りになります。そして蔵王権現という修験独特のご本尊を祈りだし、修験道という信仰を始めらます。もともと神仙境であった吉野ですが、そこに修験道という信仰が始まったことが、後々さまざまな歴史に深くかかわってくるとことになります。この辺はこの後ゆっくりお話をいたします。

平安時代には空海さんもおいでになっています。空海さんの孫弟子になる聖宝理源大師もおいでになった。宇多上皇もおいでになって、宇多上皇に伴って菅原道真公もおいでになった。

あまり皆さんはご存じないでしょうが、日本で一番古い菅原道真を祀った天神さんというのが一体どこにあるかというと、実は吉野にあるんです。北野天満宮よりも歴史、神歴の古い神社です。

吉野に来て頂くとわたしども金峯山寺本堂蔵王堂の向かって左側に、威徳天満宮というのがあります。これは北野天満宮の来歴をしめした『北野縁起』よりもなお古い『日蔵上人冥土記』に由来する神社で、その冥土記に出てくる菅原道真公が、神として祀られるもっとも古い形の天神さまと言われています。

由来の話はこうです。大峰峯中に、笙の窟という場所があります。ここで日蔵道賢という金峯山寺のお坊さんが参籠修行をしていると、前後不覚に陥って、冥土へ行くわけです。その冥土に行った先で、菅原道真公の怨霊に苦しむ醍醐天皇の御霊に出会い、どうかあなたが蘇生してあの世からこの世に戻ったら、道真公のことを祀ってくれと日蔵は頼まれる。そうすることで醍醐天皇への祟りは薄れるから、というようなお申し付けを授かって日蔵は蘇生し、吉野山に天神(菅原道真)さまをお祀りした、という縁起なのです。

さきほど申しましたように道真公も宇多上皇とともに、生前、吉野においでになっています。この天皇さまや豪族がこぞって吉野においでになる時期がありました。最も有名なのは今から千年前、寛弘4年(西暦1007年)に、京都から藤原道長~時の関白太政大臣がお見えになった。『御堂関白記』に詳しく載っていますが、42歳の時に「御嶽詣」と称して、蔵王権現にお参りになっている。さらには白河法皇も「御嶽詣」している。法皇の「熊野詣」は有名ですが、「熊野詣」に先立つ形で吉野の「御嶽詣」をなさっているのです。また、西行という歌人が、吉野に、吉野の桜を愛して3年の侘び住まいをしている。ちょうど今、西行の侘び住まいをした西行庵が紅葉の見頃になっているころです。

 ー連続講演「伝えたい世界遺産『吉野』の魅力」(第6回)平成26年11月22日/奈良まほろぼ館講座「吉野と嵐山の縁(えにし)~後嵯峨/亀山上皇と吉野と嵐山~」より

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写真は菅原道真公です。

より以前の記事一覧

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