「上野の吉野桜②~花咲か爺さんのお話」 ー田中利典著述集290417

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「上野の吉野桜②~花咲か爺さんのお話」 ー田中利典著述集290417

過去に掲載した金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」から、折に触れて拙文を本稿で転記しています。

今朝、私が贈った上野公園の山桜のお話を書きましたが、その桜の苗木を育て、そして各地へ送ってくれたのは、吉野山で個人的に桜守りをされていた椿原純司さんでした。7年前になりますが、その椿原さんが亡くなったときに書いた文章を転記します。

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「上野の吉野桜②~花咲か爺さんのお話」

ひとりの桜守りの老人が亡くなった。老人は桜守りが本職ではない。長年近鉄に勤務して最後は吉野の駅長を務めた後、退職後、金峯山寺で事務に従事されたT氏である。最近は金峯山寺もやめて悠々自適の毎日だったが、時々顔を出してくれていた。昨年末に肺炎で急逝されたのだが、惜しい人を亡くした。

そのTさん。桜守りは趣味でやっておられた。それも蔵王堂前の、四本桜の一番の古木を大事にされていた。この桜は故五條順教管長猊下も吉野山の桜の中で最も気に入られていたもので、毎年、翁はその古木桜の種を拾っては自分の畑に播いて育成されておられたのである。

Tさんとは金峯山寺の勤務を通じて、親しくしていただくようになった。そのご縁で、実はTさんから、四本桜の苗木を分けていただき、吉野とご縁のある名刹寺院などに何度となく送ることとなった。

一番最初は源義経の奥州潜行800年記念の年に、平泉の毛越寺に若木を贈った。義経と吉野の縁によるものである。数年前には上野の寛永寺にも贈った。ある席でご一緒した寛永寺の執事長との間で桜が話題になり、上野の桜は元々天海僧正の時代に、金峯山寺初代管領となった天海さんの命で、吉野山の山桜が寛永寺に植えられたのが始まりだったこと。当初の山桜はその後絶えてしまい今はソメイヨシノばかりになっていること…などなどを話すうち、本家吉野山の桜をお贈りしようということになったのである。

また今月初めには、浅草寺と、天海さんの出身寺である川越の喜多院にも贈った。翁の生前中に約束をしていた桜である。浅草寺では義経千本桜とのご縁で歌舞伎の市川團十郎の碑の側に植えられることになっている。このほか、吉野山同様に後醍醐天皇縁の笠置・金胎寺をはじめ、岡山のハンセン氏病支援施設愛生園や、私の自坊林南院
にも送っていただいている。

実は老人は亡くなる一ヶ月ほど前に事務所を訪ねてきてくれて私と歓談した。そのとき、「Tさんが亡くなっても、Tさんの育てた桜は全国の吉野ゆかりの名刹寺院でたくさんの花を咲かせるからねえ…」といったら、とてもはにかんでうれしそうにされていたのを今でも思い出す。時を置かず言ったとおりになったのだが、平成の御代に老人が丹精を込めた四本桜の古木が全国の人々に愛でられることを思うと、大きな供養になるなあとねひとり思いを巡らせている。四本桜の古木は残念なことに昨年枯れて今は植え替えられてしまい、残念ながらもう本家の吉野山にはないが、毛越寺や寛永寺や浅草寺などで、いづれ大きな大きな花を咲せてくれることだろう。

ー「金峯山時報2010年4月号所収、蔵王清風」より

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今朝も書いた通り、まだ私自身は上野公園も寛永寺も、贈った桜の実物はみていないが、翁のことを思い出して、一度、ちゃんと見に行って、翁に報告しなくちゃと思っている。
ちなみに翁の葬儀には、寛永寺や毛越寺から弔電が届いた。ご親族を含め、地元の人はさぞ、驚いたことだったと思う。

*写真は満開の今年の吉野山蔵王堂境内の四本桜。ただ翁が種を拾って育てた名木の四本桜はいまはない。

「人はいつか死ぬ・・・」ー田中利典著述集290414

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「人はいつか死ぬ・・・」ー田中利典著述集290414

過去に掲載した金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」から、折に触れて拙文を本稿で転記しています。

齢還暦を超えて、私もそろそろいろんなことに思いを致す年齢です。「死」を思うことは「生」と向き合うことだと実感しています。

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「人はいつか死ぬ・・・」

人はいつか死ぬものです。人類史上未だかつて、死ななかった人はなく、お釈迦さまも孔子もイエス・キリストも、みなさん、死んだのです…と、冗談のように法話でよく言うのですが、そういうわけですから、私だけが死なないなどということはありえないです。

そんなことは誰でも知っているはずですよね。まして、いつ死ぬのか、どこでどうやって死ぬのか、それは神のみぞ知るところで、私たちのあずかり知らぬことなのです。

ま、どこでどうやって死のうと、何歳で、何が原因で死のうと、そういう要因には関係なく、はっきりとしているのは、死んだ瞬間にこの世での貴方の命は終わったのです。ただここで思っておかないいけない肝心なことがあります。

どこでどう死のうと、なにが原因で死のうと死んだその瞬間に、仏さまに、神さまに「それでいいんだよ」って言ってもらっている、そういうふうに死を受け入れることが幸せなんだ、ということです。実は信仰を持って、神さま仏さまと一緒に生きているって言うことは、そういうことなんだと私は思っています。

概ね人は幼くして亡くなったり、あるいは幼い子どもをおいて壮年期に亡くなったり、交通事故や大きな飛行機事故など奇禍に遭って亡くなったりしたとき、「可哀想に。まだまだこの世に未練があったろうに…」と思うものですが、でも仏さまや神さまは、貴方の命が尽きた瞬間に「この世での貴方の役割は終わったのだよ。いろいろ失敗もしたろうし、やり残したこともあるだろうが、貴方の人生はこれでおわりなのだから、それでいいんだよ。次はまた失敗を繰り返さないように頑張ろうね…」と言って貰っていると思えるなら、その人は救われるわけです。

そう思えないと死んでも救われないことになってしまいます。残された人の思いは別にしても、死者にとっての、死んで救われるというのは究極そういうことだと私は思うのです。

所詮私たち人間は生きている限り失敗や後悔の繰り返しなのですから、死んだ後まで、取り返しのつかないことに懊悩させられるのでは堪ったものではありません。神さまや仏さまに死んだ後くらいは大きく受け止めていただいていると思える、そういう信仰心を日頃から培っていたいものだと思っています。

ー「金峯山時報平成22年5月号所収、蔵王清風」より

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閑話休題。昨年から夏に開催される東京ビッグサイトでのエンディング産業展にご縁が出来て、イベント会場であの壇蜜さんとトークセッションをさせていただきました。
どうやら今年も壇蜜さん以上の大物女優さんとのセッションがあるかもしれません。可否の詳細は後日になりますが、自分の「死」に向き合うことは誰にとっても他人事とではないだけに、様々な人と一緒に、深く考えて行きたいと思います。

*写真は壇蜜vs田中利典。

世界遺産「吉野・大峯」の魅力ー田中利典著述集290410

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世界遺産「吉野・大峯」の魅力ー田中利典著述集290410

過去に執筆した文章を折に触れて本稿で転記していますが、今日は平成18年に上梓された永坂嘉光先生の写真集に寄せた文章です。山折哲雄先生と並んで、解説を担当させていただくという、光栄なご依頼でした。その文章から末尾の一部を転載します。

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世界遺産「吉野・大峯」の魅力

「吉野・大峯」と大峯奥駈道が、『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録され、山岳信仰や修験道の歴史と文化が新たな意義を見いだすきっかけとなった。この地が国際的にも評価されたのはなぜであろうか。

政治や文学の上でも沢山の足跡が残された史跡の宝庫、吉野。その魅力は多岐にわたって尽きないが、とりわけ注目されるべきは日本独自の宗教である修験道を育んできた多神教的風土と、それに関わるこの地が持つ歴史性、唯一性であろう。

明治期の神仏分離政策は修験道に打撃を与えただけではなく、有史以来、神も仏も分け隔てなく尊ぶという多神教的世界観の崩壊と、それを中核とする日本固有の精神文化の変容をも招くことになった。

われわれの先祖は、山や大自然からもたらされる豊かな恵みの中で、自然と共に生きる知恵を育み、多神教的風土の歴史を築いてきた。それゆえ、日本人一般の信仰は、元をたどれば、日本古来の神祇(じんぎ)も外国から来た諸仏も分け隔てなく、敬い拝むという大らかさに根ざしていたはずだった。

ところが、このような精神文化が、明治の欧米化・近代化政策以降、徐々に顧みられなくなってしまった。昨今の殺伐とした社会様相の中でますます人々の心が荒廃する原因もまた、日本人がこうした民族の歴史とその唯一性を忘れていった結果なのではなかろうか。

紀伊山地一帯、特に「吉野・大峯」こそは、日本固有の多神教的営みを育んできた修験道という希有の宗教文化をもっとも色濃く今日に伝える貴重な宝物である。「世界遺産」として認められる魅力も、ここにある。

「吉野・大峯には日本の心がある」とするなら、それは、忿怒の形相を湛える蔵王権現像や、大峯奥駈修行など修験者たちの修行や信仰を通して、近代化以前の豊かで美しい、神仏が同居する自然観が、この地に保たれ続けているからだと私は確信する。

吉野の四季は美しい。満開に咲き競った春の桜や、匂い萌え立つ初夏の新緑、紅色に染め上げられた桜紅葉の秋、そして白雪舞う冬景色。ただ吉野は四季折々にみせる山容の美しさを愛でるだけではわかりえない。この地の霊気と、その中で営まれた千古の祈りと歴史・文化に感応してこそ、ようやく知り得る美しさであろう。

ー永坂嘉光写真集『天界の道』(小学館刊、2006/10/23)所収解説、田中利典述「今に生きる修験道~吉野・大峯」より

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思えば金峯山寺時代はたくさんの仕事をさせていただいたものだと、改めて思います。ここ2年ほどはゆっくりさせていただきましたが、そろそろ過去の栄光ばかりを追わずに、前向きに仕事しなくちゃって、思います。
*写真は写真集『天界の道』。

「権現様が好きだ!ー田中利典著述集290330」

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「権現様が好きだ!ー田中利典著述集290330」

過去に掲載した金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」から、折に触れて拙文を本稿で転記しています。

今日の原稿は4年前のもの。実は今年のご開帳は明日から。今日は前夜祭です。

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「権現様が好きだ!」

「東大寺の大仏様はとても大きくて、とても素晴らしい。でも大仏様はお側に寄っても、その眼の先はいつも遠いところを見ておられる。それは大仏様が国家安穏、風雨順時という大きな願いで、この國全体を見守っておられるから」っていう法話をよくする。続きがある。

「それに比べて、蔵王権現様はその前に座ると、その座った人の心の中を見透かすように、カッと見開いた眼で、まるでのぞき込むように前屈みになって、私達に近づいておいでになる。大仏様も権現様もどちらも有り難いが、私は自分のことをじっーと見つめていただく権現様が大好きだ」とお話しする。

この三月末から、仁王門修理勧進の蔵王堂秘仏ご本尊のご開帳が始まっている。ご本尊の前に、額づくたびに、いつも、自分の心の中が見透かされているようで、有り難いし、怖いし、嬉しくなる。蔵王堂内陣には期間中、発露の間が設けられているが、まさに参拝者ひとりひとりが権現様に自分の心を発露する空間である。きっと座った誰もが、有り難くて、怖くて、嬉しくなっておられると確信している。

四月末からは、週末ごとの夜間拝観も始まる。夜の権現様はまたまた昼間とは違うお顔をお見せになり、大迫力となる。ご宝前の導師席に佇み、闇夜に響く梵唄声明の流れる中で、権現様のお顔を見上げると、時には涙が止まらなくなるときがある。あるいはすでに亡なった父や母に見守られているような温かい気持ちになる。前の猊下に教えられた「ご本尊に嫌われるなよ!」っいう言葉を権現様から直接頂戴したような気持ちになる時もある。

蔵王一仏信仰というが、そんな難しいことを考えることはいらない。権現様をいかに自分が好きであるか、権現様からいかに好かれているか、そこを問えばよいのだと思う。ご開帳はじかにそういうことを感じさせていただく有り難い機会なのである。みなさまこそ、ともにそうあっていただきたいと念ずる次第…。

ー「金峯山時報平成25年5月号所収、蔵王清風」より

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今年のご開帳は4月1日から5月7日まで。夜間拝感も行われます。是非、おいでください。

*写真は今年のご開帳のポスターです。

 「人の悪きことはよくよく見ゆるなり・・・」ー田中利典著述集290329

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「人の悪きことはよくよく見ゆるなり・・・」ー田中利典著述集290329

過去に掲載した金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」から、折に触れて拙文を本稿で転記しています。今日のはもう8年も前のもの。世相を憂いて書きましたが、今もあまり変わらないのかもしれません。その分、文章も古さを感じない・・・それは少々悲しい話です。

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「世の中は喰うて稼いで寝て起きて、さてその後は死ぬるばかりぞ」

連日続く殺伐とした事件報道にうんざりする毎日である。親殺し、子殺し、猟奇殺人、通り魔殺人などなど、悲惨で残忍な事件はあとを立たない。カンベンして!って正直思いますねえ。一体誰がこんな国にしたのだろうか。いやいやみんなでこんな国にしてきたのですよね。

でも、ちょっと立ち止まって考えることも必要である。どうも報道に踊らされすぎているのではないのだろうか。たとえば青少年の犯罪がものすごく多いように言われているが、実数はそうではない。少年の摘発は、平成十六年度調べで、前年比では八・三%減の一二万三七一五人だったという。世間一般のイメージとは違って、少年犯罪は激増どころか、むしろ減少している。そういうイメージ操作が意図的におこなわれているとは思わないが、過激な犯罪には反応が大きいだけに、現実以上に、全体のイメージを損なってしまうのだろう。

さて、日本はそんなに悪い国なのだろうか。いや決してそんなことははい、はずである。世界の中でも屈指の美しく住みやすい国なのである。なのに自国をさげすみ、おとしめるような報道があまりに多すぎるようにも思える。のーてんきな楽観主義もいけないが、悲観主義では何も生まないし、見失ってしまうものも多いことを知らねばならないだろう。

と、意気がってみたところで所詮はわからぬ事が多いばかりの世の中である。日本のことどころか、我が身の明日をも知らぬこと。

「世の中は喰うて稼いで寝て起きて、さてその後は死ぬるばかりぞ」と嘯いたのは一休禅師であるが、彼ほどとはいかないにしろ、自分自身の人生はきちんと見極めていたいと思っている。少なくとも、変な報道や流言によって、つまらぬことに惑わされたり、流され続けることのないよう、心しておきたいとものである。 ま、難しいことはご本尊にお任せをして、仏道修行に励むが肝心。それが出来たら、それが一番よいのだと私は思っている。

ー「金峯山時報2009年6月号所収、蔵王清風」より

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千葉の我孫子市でも幼い子が災禍にあった。痛ましい限りである。いつになっても痛ましい事件はなくならない。1日も早い犯人の検挙を願うと共に、彼女のご冥福をお祈りします。

*写真は一休禅師さま。

「大震災」ー田中利典著述集290311

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「大震災」ー田中利典著述集290311

金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」で書いた駄文を折に触れて転記しているが、今日は6年前の文章。

今日は東日本大震災の日。あれから6年である。

今年は恩師淺田和上のご自坊大改修落慶法要に随喜させていただいたので、あの「14時46分」は堺の地からのお祈りになった。ちょうど法要を終えて、控え室での着替えの最中にその時間が来た。遠く東北の被災地に思いを込めてお祈りをしたのであった。

6年を経ても、被災地の復興はまだまだなのだと思うと、せめてお祈りだけは継続させていただければと思う次第です。

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「大震災」

三月十一日に東日本を襲った大震災以来、はや四ヶ月を迎える。金峯山寺では義援金の供出のほか、二度にわたって現地への見舞い巡回活動を行ったが、実は私自身はまだ被災地に行けないでいる。ただお祈りを続けているのみである。

お祈りは大震災の翌日から行っている。折しも私自身が長く関わった全日本仏教青年会からの提案で、震災の起きた午後二時四十六分に、地震封じ・被災地救済・被災物故者追悼のため、全国の寺院で同時刻にお祈りを行うという運動も始まり、金峯山寺でも朝夕の勤行や長日護摩での祈願とともに、二時四十六分のお祈りをはじめることとなった。蔵王堂では同時刻になると、梵鐘が鳴り響く。

私も同時刻のお祈りを毎日行っている。本山にいるときは蔵王堂の御宝前で、外に出ていてもその時間にはどこにいても必ず般若心経一巻を被災地のためにお唱えしている。東京の大手町の地下鉄入口や、母の見舞いの病院、自坊、高速道路のPA、会議中を抜け出して…など、今までいろんな場所で行った。奥駈中、ちょうどその時刻が弥山への胸突き八丁登拝の最中だったので、行者一同で東北に向かい般若心経をお唱えしたりもした。時刻が時刻なだけに、なかなか難しいのだが、私の携帯電話は十五分前と、二分前にアラームを設定していて時刻を知らせてくれるので、ほとんど忘れたことがない。

そんな風にいろんな場所でお祈りをしているが、一番落ち着くのは蔵王堂でのお勤めである。あの時刻のお祈りは、目を閉じると、テレビなどで何度も見せられた大津波に街が飲み込まれる映像がフラッシュバックで甦り、心が乱れてならない。しかし蔵王堂でのお勤めの時だけは、大きな力で守られているような気持ちが生まれ、心の乱れは起きないのである。天地の揺らぎを鎮め、天魔の障りを打ち砕く蔵王権現様のご威力に包まれているからに違いない。

普段私たちは願主の願いに応じて、家内安全や身体健康、当病平癒、商売繁盛などなどたくさんのご祈願を行じている。いわゆる祈願専職の僧侶だが、まさに国難ともいえるこんなときに、国土の平穏と人々の救済を祈らなくて、いつ祈るというのか。大地の揺らぎと、これ以上の被害の拡大を防ぐこと、そして災害によって奪われた多くの方々の慰霊をご本尊に祈ることこそが、まず私が出来る働きだと思って、日々祈りを行じさせていただいている。是非、この祈りが更に大きく広がることを念じてやまない。

ー「金峯山時報平成23年7月号所収、蔵王清風」より

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写真は大震災の丸1年後に、被災地各地を見舞って撮らせて頂いたもので、南三陸です。

「17万人の山伏消滅」ー田中利典著述集290213

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「17万人の山伏消滅」ー田中利典著述集290213

過去に掲載した金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」から、折に触れて拙文を本稿で転記しています。

今日は17万人の山伏消滅の話です。4年前に書いた文章。よろしければお読みください。

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「17万人の山伏消滅」

明治初期の神仏分離、修験道廃止の時代に、職を失った山伏の数はなんと十七万人がいた…という話を講演会などでするようになって随分経つが、この十七万人という数、最近一人歩きし始めている。

実は十七万人は私が調べた数字ではない。友人である日枝神社宮司三輪隆裕氏の「国家神道の成立とその背景」という論文が出典で、それをもとに紹介しているのである。

それにしても十七万人とはすごい数字だ。現在の日本において、伝統仏教諸教団および新興の仏教系の教団を含めて、僧籍を持った者(僧侶)の数は約二十二万人と言われている。

「なんだ、(当時の修験者の総数である)十七万人よりも、現在の僧侶の数のほうが多いじゃないか」と思うかもしれないが、現在の日本の人口が一億二千六百万人余。それにに対し、明治初期の総人口はたった三千二~三百万人。つまり、約四分の一の人口の時代に、十七万人もの山伏がいたということになるのだ。現在の人口に換算するなら、六十数万人もの山伏がいることになる。いかに途方もない数字であることがわかるだろう。

修験道は明治に大法難に遭うが、その凄まじさを実感させてくれる数字が十七万人なのである。私が紹介をするようになって、よそでもときどき見かけるようになった。明治の法難の中で、修験自体の勢力が損なわれ、また研究者からも、単なる猥雑な迷信信仰の如き扱いを受けたせいもあり、修験道全体が正しく把握されていないのが実情であるが、それだからこそ、十七万人という数のインパクトは大きいのだろう。

修験信仰は決して日本人にとってマイナーな信仰ではない。日本という環境・風土そのものが生んだ日本土着の信仰であり、日本的な精神文化の象徴でもある。それは、神と仏を分け隔て無く尊んできた日本人の心そのものえお伝えているとも言えるであろう。是非、そういう視点をきちんと持って、蔵王権現信仰を歩んでいきたいものである。そう、十七万人の末裔の一人として…。

ー「金峯山時報2013年2月号所収、蔵王清風」より

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*写真は大峯を行く山伏たち。

「一生懸命にお祈りをすることの意味」・・・田中利典著述集290211

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「一生懸命にお祈りをすることの意味」・・・田中利典著述集290211

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「一生懸命にお祈りをすることの意味」

宮村 金峯山寺と言いますと〈世界遺産〉でございますよね。そして今ちょうど「秘仏本尊特別ご開帳」が行われているということで、今日はどんなお話になるんでしょうか?

田中 はい。ご本尊のお話とご本尊にお祈りをすることで少しいい話がありましたので、そんなお話を・・・。

実は蔵王堂のご本尊は普段は前に〈戸帳〉という幕が下りていて拝めないんですが、今は12月9日まで特別ご開帳ということで幕を開けまして、皆さんにお参りをしていただいています。

このご本尊は普通の仏さんと違って「蔵王権現」と呼ばれる、修験道という山伏の宗教独特のご本尊なんです。

役行者という方が祈りだしたと言われるご本尊なんですが、〈悪魔降魔の尊〉、つまり悪魔を〈降伏〉する大変恐ろしいお姿をなさっています。

悪魔降伏ですから、悪魔を懲らしめるというお姿の中にはさまざまな意味があるのですけれども、左足でドカッと大地を踏みしめる意味は、大地の揺らぎを鎮めるということなんですね。

昨年の3月11日に東日本で大きな地震があって、大きな津波がありました。その翌日から私たちは大地の揺らぎを権現さまの足で鎮めていただけるように、何とかこれ以上この日本の大地が揺るがないようにということで、お祈りを続けてるんですね。今も続けてるのですけれども。

震災が起こってから1ヶ月ちょっとぐらい経った時に、お勤めを終わって本堂を出ますと、知らない人から声をかけられたんです。その人は私のことをよく知ってて、東京方面で年に1~2回講演をしたりするので、その講演においでになったことのある方のようで、

「実は私は東北出身ですが、今回の震災で身内も友人も実家も誰も大きな被害に遭わなかった。それを思った時に誰かにお礼を言いたい、感謝の心を捧げたい、とそういう気持ちになって思わず新幹線に飛び乗っていた。で、気がついたらこの吉野の蔵王堂に来てお参りをしていた。
お参りをしていると、この蔵王堂で東北の震災のこれ以上地震が起こらないように、また亡くなったたくさんの方々の御霊が鎮められるように、というお祈りを毎日していただいてることにたまたま遭遇して、とても感動した。
で、これは帰って実家の東北の人たちに、遠い吉野でも私たちのことを毎日お願いをしていただいてる、お祈りをしていただいてるということを伝えたい」

ということをおっしゃっていただいた。

震災については救援活動とかいろんな支援の仕方があると思いますが、我々はまずご本尊に日々お祈りをして、そのお祈りを通じて何か出来ることはないだろうかという気持ちを持っていたのですが、お祈りをすること自体がこんなに人々を力づけることになってるんだ、ということを、その方を通じて教えていただいて、改めて「一生懸命にお祈りをすることの意味」を感じたんですね。

実は日本というのは、金峯山寺だけではなくて日本中の寺社で、例えば東大寺さまでも、春日大社さまでも、大阪ですと四天王寺さまでも、日々、〈天下泰平〉〈風雨順次〉それから人々の安穏がずっと願い続けられている、そういうお祈りが続けられた一日が今日という一日なんだ、ということを私たちも自信をもって思わなければいけない。

そういうことが、出会ったその人を通じて、ご本尊に教えられたような、そんな気持ちにさせていただいたことがあるんですね。

蔵王堂のご本尊は、お顔の色が青黒色という大変鮮やかな色をしておられます。こんなに色鮮やかな仏さまってあまり無いんですよね。

顔は大変こわいのですが、その奥には仏さまの慈悲が込められている。そのこわいお姿の奥にある仏さまの慈悲はお肌の色に表れている。仏教では「青黒は慈悲を表す」といいます。仏さまの慈悲があの青い色。我々はこれを〈恕の心〉と呼んでいます。「女」扁に「口」を書いて「心」。これは「お互いを許し、認め合い、慈しむ」ということなんですね。

権現さまのお姿はただこわいだけではない。悪魔を降伏するような大きな力がある。大地の揺らぎを抑えるような大変な力がある。でもその奥には人々を受けとめて、そして人々の安らぎを慈しんでやろうという、そういう大きな慈悲が感じられるのです。

日々のお勤めを通じて、いろんな出来事があるたびに、我々にとって大事なことは何なのかということをご本尊から教えられるようなことでした。普段は幕が掛ってて拝めないんですけども、この12月まで開いてますのでぜひこの機会にたくさんの方においでいただいて、慈悲の心、お互いを認め、許し合うような、そういう大きな力のあるお祈りを感じていただけたらと思います。

宮村 そうですね。実際に写真で見るよりも、もっともっと実物はすごいって話はうかがってますので。

田中 はい。三体おられるんですが、中央は高さ7.3メートル。両側が6.1メートルと5.9メートル。写真で見る以上に圧倒的な大きさなんです。

大きいことによって悪魔降伏の力を全身で感じられるし、そしてその大きな慈悲も全身で受けとめられる。そういう大きい姿に接することで非常な力をきっと誰でも感じていただけると思っています。 (平成24年11月25日 放送)

ー『ちょっといい話』第11集(平成25年8月/新風書房刊)より
 

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本文は朝日放送ラジオで今も放送されている一心寺提供「ちょっといい話」に出演した内容が書籍になって出た文章の転記です。もう5年も前になります。

今年もご開帳はあります。今期は4月1日から5月7日まで。是非、お越し下さい。

*写真はご開帳時に蔵王堂でお導師を務めていた頃の私の写真です。

なお、『ちょっといい話』第11集(平成25年8月/新風書房刊)は以下で買えます。
    ↓
http://www.shimpu.co.jp/bookstore/item/itemreco/1549/

追伸 「ちょっといい話」は2回取りです。明日もこの続きをご紹介します。

「日本文化の再生」ー田中利典著述集290101

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「日本文化の再生」ー田中利典著述集290101

あけましておめでとうございます。拙稿著述集の今年最初の投稿です。

金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」で書いた駄文を折に触れて転記していますが、今日は7年前のお正月の文章です。

少しも色あせてはいない感じがかえって、病巣の根深さを自覚させますねえ。

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「日本文化の再生」

新年明けましておめでとうございます。その新年ののっけから、ナンですが…今まさに、日本文化が危機に瀕しているように感じます。

明治維新の欧米化から百四十年。大東亜戦争の敗北から六十数年。哲学者梅原猛氏が指摘するように二度の神殺し(「反時代的密語~神は二度死んだ」)が、日本文化を破壊しつつあります。

梅原氏曰く、一度目の神殺しは明治の神仏分離。それは単に神仏の殺害ではなく、神と仏を共に尊んできた日本の精神文化の基層の部分の崩壊を意味し、そして崩壊させてのちに、新たに構築したのが天皇を神として奉り、国家神道を中心に据えて誕生した近代国家だったのです。

これによって我が国は東アジアで唯一、近代化にいち早く成功を収め、繁栄を享受するところとなりますが、肥大化しすぎた国家はその挙げ句、欧米列強との衝突によって、大東亜戦争に突入し、敢えなく敗戦を迎え、そして進駐軍政策の下、せっかく神仏分離をしてまで作った国家神道はみごとに解体され、天皇は人間宣言をして、二度目の神殺しが行われるところとなった、というのです。

さてここにいう文化とは何なのでしょうか。文化とはカルチャーであり、土地を耕すという原意を持ちます。 つまり文化とは元々は土地であり、風土であり、国土なのです。ドイツ・ワイマール共和国時代に、作家トーマス・マンはそれを、その風土から生まれた宗教だ、とも言っています(『非政治的人間の省察』)。

日本文化の危機は日本の風土の危機であり、日本の宗教の危機ともいえるでしょう。

いま、いろんな場所、いろんな状況下で危機が叫ばれています。世界的にグローバル資本主義が暴れ回る中、経済破綻、自然環境破壊、文明間の衝突、そして内側では、学級崩壊、家庭崩壊、重度の人格崩壊…などなど。それはもしかすれば明治以降の近代化百四十年の中で急速に広まったことであり、しかも単に日本だけの危機ではなく、世界的な文化の危機なのかもしれません。

実に、文明は文化を駆逐するのです。近代というバケモノは高度な物質文明社会、機械文明社会を産み出し、世界各地の文化を壊し続けてきました。文化は風土であり、習俗であり、宗教であるとするなら、世界各地にあったにその土地土地の風土が壊れ、習俗、宗教の消滅を生んだのは、近代文明がもたらした紛れもない災禍でありましょう。

決して飛躍的な考え方ではなく、そういう時代に生まれ合わせていることを、現今の宗教人は自覚しなければいけないのではないかと私は思っています。宗教人こそ、文化の担い手の最終砦なのです。とりわけ明治の神仏分離によって壊滅的な破壊の対象となった日本固有の宗教である修験道に身を置く私にとっては、痛みを持って実感するところであります。

「破壊は再生だ」ともいいます。宗教人はものごとをネガティブに考えず、ポジティブに考えなければなりません。ポジティブに、文化破壊の時代を生きなければならないのです。破壊によって再生がなされるなら、いまこそ再生の時ととらえ、行動すべきなのだと考えています。

ここ十数年、声を枯らして修験道ルネッサンスを提唱し続けた私の原点はまさにこの思いからなのです。文化は宗教なり…この金言を心に銘じて、今年一年もまた頑張り抜きたいと思っています。南無蔵王一仏哀愍納受悉地成就…

ー「金峯山時報2010年1月号所収、蔵王清風」より

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意気込んで書いていた7年前が懐かしい気もします。私なりにこの道を突き進んでいければと願っております。

*写真はイメージです。

「デクノボー」ー田中利典著述集281229

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「デクノボー」ー田中利典著述集281229

10月末からはじめた金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」で書いたた駄文を折に触れて転記していますが、今日は二年前の文章です。

このころは自分なりに苦しんでいたのが、ひしひしと伝わって来ます。ま、生きてる限り、人間は常にそれなりの苦しみを持ちながら生きるモノではありますが・・・。愚痴ではなく、常に心にしておきたいと思います。

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「デクノボー」

法華経に出る常不軽菩薩を敬愛してやまなかったのは宮沢賢治である。第二十常不軽菩薩品に書かれる常不軽菩薩。『あらめの衣身にまとひ、城より城をへめぐりつ、上慢四衆の人ごとに菩薩は禮をなしたまふ。「我は不軽ぞかれは慢こは無明なりしかもあれ。いましも展く法性と菩薩は禮をなし給ふ」われ汝らを尊敬す。敢えて軽賤なさざるは汝等作佛せん故と。菩薩は禮をなし給ふ。「ここにわれなくかれもなし、ただ一乗の法界ぞ法界をこそ拝すれと、菩薩は禮をなし給ふ」』

ちょっと難しいので意味を書き直すと、『常不軽菩薩は、僧も世俗の人もみんなことごとく礼拝して、「私は深くあなた達を敬い、あえて軽んじるようなことはしません。なぜかというと、あなた達はみんな菩薩の道を行って、まさにみ仏になることができるからです。」と言った。すると人々はその言葉に怒り出して、「この無智の坊主め、どこから来たって『私はあなた達を軽んじません。』われらがためにまさにみ仏になるでしょうと、嘘そらごとを言うのだ。お前みたいな坊主がそんなに言ったからといってどうしてありがたかろう」と罵られ、杖で追い払い、瓦や石をもって殴りかかってきた。菩薩はその場をにげては、遠くから大声で「私は深くあなた達を敬い、あえて軽んじません。あなた達はみんな仏になるでしょう」と叫んだというのである。

宮沢賢治の有名な詩「雨にも負けず」に出るデクノボーとはまさにこの常不軽菩薩のことを指す。「ミンナニデクノボートヨバレ、ホメラレモセズクニモサレズ、サウイフモノニ、ワタシハナリタイ」(「雨にも負けず手帳」より)の「デクノボー」である。

いま、自分の周りで起こっている多くのことは自分の意とは違うものばかりである。もちろんそんな思いで生きているのは自分ばかりではない。そう、わかっていても愚痴りたくなるのが人間であり、心打ち砕かれるのが凡人ゆえの弱さであろう。なかなか宮沢賢治や常不軽菩薩のようになれないが、それでも私は菩薩でありたいと思うし、デクノボーとして生きていたいと思う。         

ー「金峯山時報平成26年10月号所収、蔵王清風」より

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もう今年もあとわずか・・・。「デクノボー」として生きていける自分を作れたかどうかはいささか疑問の本年でしたが、少しずつでもそうありたいと願います。

*写真は宮沢賢治の手帳。ちなみに私は宮沢賢治と誕生日が一緒で、中学生のときにそれを知って以来、賢治は私にとってあこがれの哲人です。

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