「父母への追慕抄~父母の恩重きこと天の極まりなきが如し」

「父母への追慕抄~父母の恩重きこと天の極まりなきが如し」

今日は父と母の年忌法要を営んだ。父は17回忌、母は7回忌である。祥月命日は父は7月、母は10月であるが、諸般の事情もあり、少し早めに合同での法要をつとめることとなった。

思いもよらない肺炎罹患中という、不具合なタイミングとなってしまった。ま、それはそれで仕方がないことである。

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朝から、弟の良知管長も長男のMくんを伴って帰綾し、私のお弟子で父母との縁がとりわけ深かった数名の方々にもお参りをいただいた。家族と共に、葬儀のときの写真などを回し見などをして、みんなで父母の生前を偲んだ。死して、父は16年、母は6年。月日の過ぎ越しはホントに早いものである。

もう今後は、父母の法事で家族以外が寄ることもないだろうということもあって、この合同法要を記念して、『父母の追慕抄~父母の恩重きこと天の極まりなきが如し』という全36頁ばかりの小冊子を制作した。過去に金峯山寺の機関紙、やその他の雑誌などで書いてきた、父母に関わる私の文章をとりまとめたものである。

父母の供養になればという気持ちと、なにか、父母の足跡を残したいという、いわば私のわがままな思いだけで、編纂したものである。

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幸い編集者の池谷さんという友人がいて、彼とは金峯山寺関連の書籍出版でなんども仕事をしており、今回も彼の手を借りて、上梓したのである。

私の文章の中ではずぬけて有名?な「回転焼きと母」など、9編をおさめている。フェイスブックなどで何度か載せたものばかりであるが、本になってみるとまた一段と見栄えをよく感ずるものである。

もちろん、父母の供養にと編集したなので、ご縁のあった方には読んでいただく予定である。もし興味がある方は私宛にご連絡をくだされば、お送りいたしますよ。

写真は『父母追慕抄』と本日の合同年忌法要の様子。

「還暦となる君へ…」ー田中利典著述集290601

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「還暦となる君へ…」ー田中利典著述集290601

過去に掲載した機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」から、折に触れて本稿に転記しています。

これは2年前、自分が還暦年を迎えるに当たって書いた記事。以前にも本稿に載せたかもしれませんが、今年還暦を迎える知人がけっこう私の周りにいるので、敢えて転記してみました。

ほっとけ、っていわれそうですが…。

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「還暦となる君へ…」

今年で筆者は還暦を迎える。なんともあっという間の六十年だったなあ、という感である。僧侶になってからの法﨟は四十五年。いづれにしろ「少年老いやすく、学成り難し」そのままの人生といえようか。

「子曰く、吾れ十有五にして学を志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順う」(論語為政篇)というが、その「耳順う」歳を迎えることとなったのである。

この「耳順う」とは少々聞き慣れない言葉かもしれない。六十歳になったら人の言うことを逆らわず素直に聴けるようになれ、というような意味である。

しかしながら、人の言葉というものは助言にせよ諌言にせよ、なかなか素直に聞けないもの。それは相手との人間関係であったり、自我のなさしむることであったり、いろいろと理由はあるが、人の言葉を言葉の意味のままに理解するのは存外難しいものである。論語を残した孔子でさえ六十歳になってようやく、その境地に至ったと語っているわけであるから、筆者などの凡夫ではなかなか「耳順う」などという域には達せないだろう。

早稲田実業学校の校是に「去華就実」という有名な言葉があると聞いた。外見の華やかさを取り去り、実際に役に立つ人間になる、というほどの意味らしいるが、先日テレビを見ていたら歌手で俳優の武田鉄矢氏が、この「去華就実」を「花散りて次に葉茂り実をむすぶ~」と読み替えて、年齢を重ねるほどに華はなくしていくが、そのかわり実を結ぶのが人生だ、という風に言っていた。なるほどと思ったのであった。

還暦を迎えたからと言って、そんなに老い込むこともないが、それでも若い頃と比べると、足腰の衰えや目や耳の老化に加え、頭の回転の悪さには自分ながら愕然とする。向こう意気だけで突っ走っていたわが人生ながら、もう充分じゃないのかなあという気もするし、「耳順う」歳を思えば、そう嘆くことでもあるまいと思ったりしている。それだからこそ、武田氏の「去華就実」がなるほどと身にしみるのである。

華はこれからもどんどん失って行くに違いない。我を張って生きることを止めて、耳順って生きることも大切である。そうやって生きる中で、人生の実を結ぶことが出来れば幸いと言えよう。そんなことをつれづれに感じている平成二十七年の新年である。

ー「金峯山時報平成27年1月号所収、蔵王清風」より

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還暦って、実際に2年前に越えてみて、なんだか人ごとのままに過ぎたような気がします。今度、信貴山の鈴木管長さまが還暦祝いの大パーティーを催されて、私も招かれていますが、それはそれでおめでたいことです。

私は2年前、集英社新書の拙著上梓に併せて、出版記念パーティーの名前のもとに、5回ほど、お祝いの会を企画開催しましたが(延べになおすと参加者は350名は越える数です)、そういう形で還暦の節目は自分なりにつけさせていただいて、吉野の現役を勇退したのでした。たくさんのお弟子さんがいるのに、弟子さんからの自発的なものでなく、自分でやったというのが如何にも私らしいかも・・・。

まあ、僧侶というのは生き方の問題ですから、生涯、引退はありません。還暦も「死出の旅路の1里塚」というくらいで、ぼつぼつと進みましょう。

*写真は孔子さま。


「仏教の普遍性について」

「仏教の普遍性について」

仏教はいまから2500年ほど前にインドのゴータマ・シッダッタ(釈迦族から出た聖者といういみで釈尊と尊称される)が覚者(悟りを開く)となって開かれた宗教である。そのひろがりはキリスト教・イスラム教とならんで、世界三大宗教という。

仏教はインドでは早い段階で死滅する。今もわずかながらでもことはないが、インド全土で仏教とは1パーセントにも満たない。しかし釈尊が説いた法は、その金口説法にちかい原型を伝えるテーラワーダ(上座部仏教)系が南伝して、スリランカやタイ・ミヤンマーなどに根付いていまも国教に近い形で多くの人々の信仰を得ている。ダライラマ法王をいただくチベット仏教も、中期後期密教の教義を包含しつつもインド純粋のテーラワーダの思想を根底にしている部分も大きいと思われる(ここはちょっと怪しいかも・・・)。

かたや、釈尊が入滅して500年ほど立った頃から起こったいわば宗教革命的要素で、大乗仏教系の経典が次々と編纂され、般若思想や浄土教や密教などの新しい仏教運動を生みつつ、北伝して中国、韓国、そして日本へと伝えられてきた。

おおまかな流れなので、齟齬がたくさんあるが、まあ、一般的にはこんな仏教の変遷といってもよいだろう。

さて最近、日本の仏教の現状を捕まえて、釈迦本来の仏教とは似ても似つかぬ非なるもので、葬式仏教など噴飯ものだという論がまさに正論のように語られる風潮がある。たしかに江戸時代に寺請け制度の下、日本の大方の寺院は檀家制度に組み入れられて、葬式仏教を育んできた。いま、その葬儀の現状が音と立てて変容を遂げるその論理を支える正論が、一つにはそういう本来の仏教ではないという論調だろう。

では本来の仏教とはなんだ。仏教とは仏の教えである。仏(釈尊)が説いた教えである。そして私が仏となる教えである。・・・ということの範疇を出ない。で、そこを根底に、2500年間、さまざまな先人が出て、仏教を発展継承させてきた。その発展継承こそが、仏教を世界三大宗教になさしめたのである。釈迦本来の仏教というなら、インドではとうの昔に死滅しているのだ。

釈迦が開いた仏教が各地につたわり、それぞれの風土や民族、歴史の違いの中で、なお、仏教として信仰され、根付いて来たことこそが、仏教なのだと私は思っている。

そういう意味では六世紀半ばに公式に日本に伝わる仏教は伝来当時にすでに日本古来の信仰である神道とある種の融合がうまれ、その後には神仏習合、本地垂迹説などが興って、神と仏は共存してきたのである。仏教本来からいうなら、日本の仏教は釈尊が説いた仏教からは遠く離れて、神道教といってもよいかもしれない。ちょっと言い過ぎた、神道と融合した仏教、っていうくらいにしておこう。

現代の日本仏教界最高峰の碩学といえる高野山真言宗の松長有慶師とダライラマ法王との象徴的な面白いやりとりがある。以下、引用をする。

・・・ダライ・ラマ法王とは集まりの時に環境問題についての話をしました。日本人はものの中にも命を認める考え方を持っている。人間の道具としてものを使うのではなく、ものを命あるものとする、お互いの命の連関の中で環境問題を考えないといけないという話です。
 仏教では一切衆生と言います。日本人は石ころでも命あるものとする。山や川も全て命があり、尊崇する。それがまさに自然観だろうと思うのです。しかし、そういう話をすると、いろいろな点で話が合うところと合わないところがあるのです。その点でダライ・ラマは非常に嫌っているのですね。
 あの方は、自分がインド仏教のナーランダの伝統を継いでいるのだというプライドを持っておられます。だから、インドのものの考え方をする。よく考えてみると、仏教が中国に来て、動物と植物を衆生に含めるかどうか、一切衆生悉有仏性について、中国人は盛んに議論しているのです。
 インド人は、動物、植物は命を持たないものだと考えます。しかし中国では、動物までは認めるけれども植物は認めない、あるいは動物も植物も認めるのか、そういう議論があるのです。
 しかし、それが一番盛んに論じられたのは日本仏教です。ですから、日本仏教、特に平安仏教は、天台でも真言でも、そういう意味では一切のものの中に命が含まれている。そして、天地万物が自然環境に根付き、全てのものがそれぞれ命を持っていて、自分の命と同じなのだという考え方がある。この話をすると、ダライ・ラマは「違う」と言うのです。やはり命があるのは人間であり、動物までだということです。
 そういう議論をしてその後物別れになったのですが、それから1年ほど経ってまた日本に来られ、一緒にお昼を食べながら話しました。この前あなたが言っていた石ころにも命があるという考え方は、神道の考え方だなと言った。勉強してきたのですね。日本の仏教をそれなりに勉強してきたのです。ですから結局、仏教もそういう考えを持っていた。山や川といった命がないと思われるような全ての存在が命を持つという考えは、やはり日本に来て一番盛んになってきた。(2016年紀伊山地三霊場会議フォーラムより)

 本稿では仏教の普遍性について話をしている。キリスト教、イスラム教という世界宗教は自分たちの持った普遍性を全世界に広めようとする教えである。であるから、その土地や国が持ってきた歴史や風土を破壊して、自分たちの宗教だけを広めてきたきらいがある。いま世界を席巻しているグローバルリズムやISのイスラム原理主義っていうのは、そういうキリスト教、イスラム教が持っている価値観を基盤としているところがあるのではないだろうか。

 その点、仏教は同じ世界宗教と言うが、それぞれの土地や国や風土を打ち壊して打ち立てるのではなく、うまく融合して、その土地土地に根ざした信仰を育んできたといってもよいだろう。

 どちらに本当の普遍性があるのか?そこのところを考えないとこれからの世界はますます困ったことになるように私は思っている。

 現状の葬式仏教は糾弾されるべき点はごまんとある。寺族による寺院の私物化をはじめ、僧侶の質の低下、葬式自体の形骸化と信仰心の希薄化などなど、数え上げればきりがないが、だからといって、あんなものは仏教ではないというなら、釈迦滅後、本来の仏教などというものはこの世にそんなものは存在していないことになる、と私は思う。ダライラマ法王の説く仏教だって、釈迦が聞いたらひっくり返るかもしれない。わしゃ、そんなこと言うとらん、とのたまうかも知れないのである。

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 しかし仏教は厳然と今も存在し、多くの人々の生きる支えと成っている。また日本でも葬儀という厳粛なる場を通じて、やはり仏教の持つ大きな力が人々の生きる支えを担う部分もゼロなどでは決してないわけだ。

 私は仏教が2500年にわたって持ち得た歴史自体が人類の叡智なのだと考えていて、そういう叡智が世界宗教としての仏教を仏教ならしめてきたといってもよいだろうと思っている。

 あっちこっちに話が言って、味噌も糞もごった煮の話になってしまったが、ふと、朝からそんなことを思いついて、筆を走らせてみた。つっこみどころ満載である。それは私の不徳でしかない。多くの叱責が予想されるので、前もってお詫びをしておく。

*写真は釈迦如来像。

「師の教え」ー田中利典著述集290524

「師の教え」ー田中利典著述集290524

今日も昨日に引き続き、5年前、朝日放送ラジオの「ちょっといい話」という番組に出演したお話の続き。番組は2本録りでしたから。そこからの転用です。

今回は師お話です。

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「師の教え」

私は15で得度を受けて僧侶になりました。ですから前の管長様(五條順教猊下)には15の時からお仕えしました。

管長さんはあんまりいろんなことを細かくは教えていただかなかったんですが、一番最初に言われたことが「志を大きく持ちなさい」という言葉でした。 

で、その後こうしていろんなことをさせていただくようにはなるんですけれども、最初に管長様にそう教えられたことが私の大きな支えになっています。

金峯山寺は平成16年に〈世界文化遺産〉に登録をされましたが、この時も金峯山寺を世界遺産に登録出来ないかということで、ちょうど平成11年の12月25日、…金峯山寺は昔からなぜか12月25日のクリスマスが一山の納会(忘年会)なんですね。

で、この忘年会の日に管長様に「金峯山寺の世界遺産登録の運動を始めたいのですが」と申し上げたら「やってみろ」ということになりましてね。そこから始めるのですけれども、それも「志を大きく仕事をしなさい」っていうことをずっと言われていたので、ほんとはなるかどうか分からないけれどもともかくやってみようということで始めたのでした。

まあ、本来ならなかなかそんなに簡単にいかないはずなんですが、ところが結構簡単にいったんですよ。

平成11年の秋頃から思いついて、平成12年の春から本格的な活動をはじめて、なんとその年の11月には国の文化審議会で答申されました。もっと前から高野山、熊野は世界遺産の登録運動を始めておられたのですが、私はそれを知らなかったんですね。

ところが、吉野が手を上げることで、紀伊半島全体で、吉野と熊野と高野がつながった。金峯山寺というお寺と、金峯山寺が行っている吉野から熊野まで修行する〈大峯奥駈修行〉というのがあるんですが、このお寺と道の両方で世界遺産登録を目指したのです。

その奥駈の道がつながることで、吉野と熊野がつながった。で、熊野には「熊野古道」という、高野とも大阪ともお伊勢さんともつながる道があった。高野にも町石道という古道があった。紀伊半島全体が道でつながって、しかも吉野は修験道の聖地、高野は真言密教の聖地、熊野は神道の聖地。それぞれ違う宗教が道でつながることになりました。

日本人のいわゆる、神さんも仏さんも等しく拝んできたその日本独特の宗教文化・精神文化が、紀伊半島の大きな自然の中で千年以上の単位で育まれてきたという文化的景観がキーワードになって、あっという間に登録をされるんです。

でも地元は初め「世界遺産になんか簡単になるかい?」という、そんなような空気もあったんですね。

奈良県も最初は「もうすでに奈良市の寺社と法隆寺と二つもあるから仕事が増えるだけやし、動き回るのはやめてほしいなぁ」という消極的な感じだったのですが、県庁の中には応援をしてくれる人もあって、正式な登録活動をはじめてからわずか5年、平成16年7月8日に正式登録されたのでした。

ほんとにあっという間に、実現したのです。私は世界最速と言ってるんですよ(笑)。

今は全国各地そこらじゅうで世界遺産登録の運動が始まってますが、高野にしろ熊野にしろ吉野にしろ、地元から推進して世界遺産登録が実現した事例の始まりのような形になりました。地域全体で、その地域が守ってきたいろんな資産を守っていこうという活動です。

その後、今度は登録が叶っただけではなくてそのことを始まりとして、世界遺産は自然と文化を二つながら保護・保全していこうというのが本来の目的ですから、熊野と高野にお声掛けして「紀伊山地三霊場会議」という、登録資産を持っている者同士の保護保全のための、連絡協議会をつくりました。

紀伊山地の三霊場というのは道も登録されていますし、三つの霊場が大変広く、1万3千ヘクタールという日本で一番広大な広がりがあります。その分、いろんなことが起こるじゃないですか。

ですからやはり皆で考えていこう、次の世代に伝えられるように、守っていくためには単に文化振興とか、観光振興とかではなくて、守っていくための手立ても考えようという取り組みです。

現在は高野山の松長有慶座主猊下に総裁を務めていただいて、年に一回守るための会議を開催しています。そういう大きな活動を進めて来られたのも、若い頃に管長猊下に「志を大きく持ってお坊さんになりなさい」という教えをいただいたお陰と思っています。

38年間お仕えして、先年管長様はお亡くなりにはなるのですけれども、今でも管長様の墓前に行くと、自分に「志を大きく行動しているか。これで間違いがないか」と、いつも自問自答しています。

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ほんとにあまり細かいことはおっしゃらなかったのですが、最初にそういうことを言うていただいたことが、後々の自分をつくっていくのに大きな力になった、と思っています。大変、私にとってありがたいことですね。

そういう意味では単に世界遺産になったことをゴールとせずに、なったことから始めるということで次の世代につなげていく、そういう志を継ぐ人をお寺の中に、あるいは地元の人の中につくっていくことも、管長様の「志を大きく持ちなさい」とお教えていただいたことを、若い人たちにつなげていくことになるのではないかなと思っているところです。 (平成24年12月30日 放送)

ー『ちょっといい話』第11集(新風書房刊)より
  http://www.shimpu.co.jp/bookstore/item/itemreco/1549/

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「師の教え」と題していますが、草場の陰ではしかめっつらでおられるかも知れません。晩年動き回り過ぎる私はいささか煙たがられたときもありましたから…。

でも臨終直前に枕元に呼ばれて「あとは利典君やみんなに頼む」とお声がけいただいたときに、なにかしら報われる気持ちになりました。あれを聞いたので、いまでも「志を大きく持ちなさい」というお言葉が私の中では大きく息づいています。

*写真は順教猊下亡き後、猊下の御遺言として出版した語録集です。私からの報恩の証でした。

「一生懸命にお祈りをすることの意味」」ー田中利典著述集290523

「一生懸命にお祈りをすることの意味」」ー田中利典著述集290523

今日は5年前、朝日放送ラジオの「ちょっといい話」という番組に出演したお話を転記します。この番組はいまも続いています。放送後、話の内容を本にして、出版されています。そこからの転用です。

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「一生懸命にお祈りをすることの意味」

宮村 金峯山寺と言いますと〈世界遺産〉でございますよね。そして今ちょうど「秘仏本尊特別ご開帳」が行われているということで、今日はどんなお話になるんでしょうか?

田中 はい。ご本尊のお話とご本尊にお祈りをすることで少しいい話がありましたので、そんなお話を・・・。

実は私どもの本堂・蔵王堂のご本尊は普段は前に〈戸帳〉という幕が下りていて拝めないんですが、今は12月9日まで特別ご開帳ということで幕を開けまして、皆さんにお参りをしていただいています。

このご本尊は普通の仏さんと違って「蔵王権現」と呼ばれる、修験道という山伏の宗教独特のご本尊なんです。

役行者という方が祈りだしたと言われるご本尊なんですが、〈悪魔降魔の尊〉、つまり悪魔を〈降伏〉する大変恐ろしいお姿をなさっています。

悪魔降伏ですから、悪魔を懲らしめるというお姿の中にはさまざまな意味があるのですけれども、左足でドカッと大地を踏みしめる意味は、大地の揺らぎを鎮めるということなんですね。

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昨年の3月11日に東日本で大きな地震があって、大きな津波がありました。その翌日から私たちは大地の揺らぎを権現さまの足で鎮めていただけるように、何とかこれ以上この日本の大地が揺るがないようにということで、お祈りを続けてるんですね。今も続けてるのですけれども。

震災が起こってから1ヶ月ちょっとぐらい経った時に、お勤めを終わって本堂を出ますと、知らない人から声をかけられたんです。その人は私のことをよく知ってて、東京方面で年に1~2回講演をしたりするので、その講演においでになったことのある方のようで、

「実は私は東北出身ですが、今回の震災で身内も友人も実家も誰も大きな被害に遭わなかった。それを思った時に誰かにお礼を言いたい、感謝の心を捧げたい、とそういう気持ちになって思わず新幹線に飛び乗っていた。で、気がついたらこの吉野の蔵王堂に来てお参りをしていた。

お参りをしていると、この蔵王堂で東北の震災のこれ以上地震が起こらないように、また亡くなったたくさんの方々の御霊が鎮められるように、というお祈りを毎日していただいてることにたまたま遭遇して、とても感動した。で、これは帰って実家の東北の人たちに、遠い吉野でも私たちのことを毎日お願いをしていただいてる、お祈りをしていただいてるということを伝えたい」

ということをおっしゃっていただいた。

震災については救援活動とかいろんな支援の仕方があると思いますが、我々はまずご本尊に日々お祈りをして、そのお祈りを通じて何か出来ることはないだろうかという気持ちを持っていたのですが、お祈りをすること自体がこんなに人々を力づけることになってるんだ、ということを、その方を通じて教えていただいて、改めて「一生懸命にお祈りをすることの意味」を感じたんですね。

実は日本というのは、金峯山寺だけではなくて日本中の寺社で、例えば東大寺さまでも、春日大社さまでも、大阪ですと四天王寺さまでも、日々、〈天下泰平〉〈風雨順次〉それから人々の安穏がずっと願い続けられている、そういうお祈りが続けられた一日が今日という一日なんだ、ということを私たちも自信をもって思わなければいけない。

そういうことが、出会ったその人を通じて、ご本尊に教えられたような、そんな気持ちにさせていただいたことがあるんですね。

蔵王堂のご本尊は、お顔の色が青黒色という大変鮮やかな色をしておられます。こんなに色鮮やかな仏さまってあまり無いんですよね。

顔は大変こわいのですが、その奥には仏さまの慈悲が込められている。そのこわいお姿の奥にある仏さまの慈悲はお肌の色に表れている。仏教では「青黒は慈悲を表す」といいます。仏さまの慈悲があの青い色。我々はこれを〈恕の心〉と呼んでいます。「女」扁に「口」を書いて「心」。これは「お互いを許し、認め合い、慈しむ」ということなんですね。

権現さまのお姿はただこわいだけではない。悪魔を降伏するような大きな力がある。大地の揺らぎを抑えるような大変な力がある。でもその奥には人々を受けとめて、そして人々の安らぎを慈しんでやろうという、そういう大きな慈悲が感じられるのです。

日々のお勤めを通じて、いろんな出来事があるたびに、我々にとって大事なことは何なのかということをご本尊から教えられるようなことでした。普段は幕が掛ってて拝めないんですけども、この12月まで開いてますのでぜひこの機会にたくさんの方においでいただいて、慈悲の心、お互いを認め、許し合うような、そういう大きな力のあるお祈りを感じていただけたらと思います。

宮村 そうですね。実際に写真で見るよりも、もっともっと実物はすごいって話はうかがってますので。

田中 はい。三体おられるんですが、中央は高さ7.3メートル。両側が6.1メートルと5.9メートル。写真で見る以上に圧倒的な大きさなんです。

大きいことによって悪魔降伏の力を全身で感じられるし、そしてその大きな慈悲も全身で受けとめられる。そういう大きい姿に接することで非常な力をきっと誰でも感じていただけると思っています。 (平成24年11月25日 放送)

ー『ちょっといい話』第11集(新風書房刊)より
  http://www.shimpu.co.jp/bookstore/item/itemreco/1549/

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この話は私にとっても、神仏祈るということの意義を再認識させていただける生涯忘れぬ逸話となりました。

*写真はもう5月7日で今年のご開帳は終了しましたが、その告知ポスター。

「僧侶という生き方」ー田中利典著述集290522




「僧侶という生き方」ー田中利典著述集290522

過去に掲載した機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」から、折に触れて本稿に転記しています。

なんと13年前の5月にも同じようなことを書いていたかと思うと、我ながら進歩のなさにがく然としますねえ。早く肺炎を治して、近くの弥仙山にでも修行に行かなくちゃ。
誰か一緒に行きませんか??弥仙山もいい山ですよ。

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「僧侶という生き方」

最近、体調がよろしくない。好きなお酒も控え気味である。それでもやはり芳しくないのであるからなおのこと、面白くない。運動不足とか、過労とか、いろいろと思い当たることも多いが、一番はストレスであろう。

僧侶をしていて、ストレスがあるなどと吐露するのはいかにも情けない話であるが、正直な気持ちである。そういえばここ数年は僧侶をしているのか、営業マンでも気取って走り回っているのかわからないような生活が続いており、それはそれで有り難いといえば有り難いのだが、自分自身を見失うような忙しさの中で、だんだん心が枯れてきているのかも知れない。役行者ルネッサンスや世界遺産登録活動、などと浮かれすぎなのだろう。

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私は僧侶というのは職業ではなく、生き方だと思っている。しかし実際には職業としての僧侶の仕事や役割を果たすことに多忙な日々を汲々としている。ま、根底に生き方としての僧侶があるなら、それはそれで良しとしたい。

どちらに意識を置いているのかという、自分自身へ問いかけの問題であり、もちろん生き方としての僧侶に重きを置いておくべきであろう。そういう意味では忙しく日々を過ぎ越していくうちに、だんだん生き方としての僧侶生活から、今の私は遠ざかっているのかもしれないと、反省をしている。

もう何年も前から、引退するのがよいなぁという憧れがある。「僧侶を引退するってなんだそりゃ…」って言われたこともあるが、職業としての僧侶を引退して、生き方としての僧侶に、まっとうに取り組む、というくらいの意味である。また僧侶か営業マンかわからないような生活に明け暮れていては大事な人生を無為に生きてしまいかねない…と心のどこかで怯えているのである。

家庭を持ち、お酒が好きで、美味しいモノが大好きな生臭坊主がなに寝言を言っているのか…と叱られそうである。そりゃまあ、そのとおりである。しかもストレスをためて、体調を悪くしている僧侶などというのは噴飯ものであろう。

大峯山の戸開け式も終わり、今年も山修行の時期を迎えたが、運動不足とストレス症候群に思い煩う生活をひととき抜け出して、山伏本分の抖數修行に赴きたいものである。

山の霊気に包まれたなら、きっと寝言から醒めて、また新たなお力をいただけるのに違いない。あ~修験僧侶でよかったなぁ。そんなことを思える生活を取り戻さなくてはならない。

ー「金峯山時報平成16年5月号所収、蔵王清風」より

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ホントに、読み返してみるほど、ちっとも進歩していないというか、いやいや退化してるとすら、思える今日この頃です。反省反省。

*写真は山伏現役でかっこ良かった頃の吉野山人さん((笑)。

「父母の恩重きこと、天のきわまりなきが如し…」ー田中利典著述集290515




「父母の恩重きこと、天のきわまりなきが如し…」ー田中利典著述集290515

過去に掲載した機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」から、折に触れて本稿に転記しています。

さて昨日は母の日でした。みなさん、ちゃんとおかあさんに感謝の気持ちを伝えましたか?私は、今年、父が死んで17回忌、母の7回忌を迎えます。なので、仏壇にしか、お礼が言えませんでした。

で、今日の文章は4年前に、その父母の13回忌と3回忌の時に書いたもの。

「親孝行したいときには親はなし さりとて墓に布団は着せられず」という諺が身に沁みます。

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「父母の恩重きこと、天のきわまりなきが如し…」

今月、亡父の十三回忌を迎える。早いものである。実は母も今年、年忌を迎える。三回忌である。早取りして、合同で二人の年忌をする予定であるが、このところ、なにかにつけて、両親のことを思い出している。

その中でも、とりわけ、父が死んだときに、母に告げた自分の言葉が思い出される。

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私は父の通夜の席で、亡骸に寄り添っている母に「十年間は絶対葬儀を出さないからね」と言ったのであった。母は黙ってうなずいていた。

父の葬儀を終えて、半年くらいはなにかあるたびに体調を崩し、父の死によって身も心もすっかり弱ってしまった風だった。ところが、一年もしないうちにすっかりぴんしゃんして、父の介護から解放された自由さと、気ままな生活を得たような感じで、すこぶる元気になった。

母はそれから七年くらいは元気に暮らしてくれていたが、亡くなる前の二年半は病いがちで、最後は病院での十ヶ月に及ぶ闘病生活の末、一昨年に亡くなった。ちょうど父が死んで、十年と三ヶ月を生きたことになる。

息子(私)が言った「十年は葬式を出さない」という約束を、母は守ってくれたのだった。母と父は十歳違いだったので、享年はともに八十六歳。なんと月命日も同じ13日であった。こんなことなら十年といわず、十五年とか二十年とか言えば良かったなどと、今更ながら、悔いたりもしている。

「父母が この世を去りてふと想う 我に帰すべき 故郷はありや」

これはこの春、ふいに浮かんだ私の駄作の歌だが、父母を失う喪失感というか、寂寥感は、年月を追う毎に深くなるようにも感じる。

充分な親孝行をしてやれなかった後ろめたさの、裏返しなのかもしれない。昔はお盆や彼岸以外はあまりお墓参りなどしなかったが、ここ数年、よくお墓にもいくようになった。もう取り戻せない情愛が、人生の儚さを改めて教えてくれているようにも感じるこの頃である。

父母恩重経に曰く「父母の恩重きこと、天のきわまりなきが如し…」というが、亡くしてから気づく愚かさに今更ながら、愚禿の身を恥じている。

ー「金峯山時報平成25年7月号所収、蔵王清風」より

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みなさん、「父母の恩重きこと、天のきわまりなきが如し…」ですぞ。昨日、ちゃんとお礼を言えなかった方は、一日遅れでも良いので、電話でもメールでも、感謝を伝えましょうね。

*写真は父を亡くした時期によく読んでいた『父母恩重経』。最近読まなくなっていたが、この文章を思い出して、久しぶりにお唱えをすることにした。

「弘法大師高野開創の道再興修行」ー田中利典著述集290514

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「弘法大師高野開創の道再興修行」ー田中利典著述集290514

過去に掲載した機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」から、折に触れて本稿に転記しています。

今回は3年前の記事。吉野と高野を結ぶという、なかなか歴史的な意義あるプロジェクトとなりました。

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「弘法大師高野開創の道再興修行」

去る五月二十八日から二泊三日をかけて、吉野金峯山寺から、高野山金剛峯寺への、弘法大師高野開創の道再興開闢修行を行じてきた。私を含む金峯山寺の修験僧と、金剛峯寺の若い僧侶たちの合同で行われたこの山行は、両山の歴史を新たに刻むメモリアルな行事となったのである。

話の発端は、私と同郷人である金剛峯寺の村上執行との出会いである。五年前のことになるが、那智勝浦町で開催された世界遺産シンポで、偶然、ご一緒した。歳は十数年違うが、同じ綾部の出身だということで意気投合した私は、当時、村上執行が着手されていた、「高野山開創の道調査」の助勢を依頼されたのであった。

「高野山開創の道」とは、高野山を開かれた弘法大師空海が、最初、吉野から大峯に入り、高野の地に至られたという伝説の道である。『性霊集』など弘法大師に関わる幾つかの文書に「空海、少年の日、吉野から南に一日、西に二日行きて、幽玄の地に至る。名付けて高野という」と大師自身の手で記されているが、その高野へと導かれた道を探そうというのが開創の道の企画であった。

高野山から天辻峠までの和歌山県側は調査を終えたが、そこから先は奈良県なので、「お前、手伝え」と同郷の大先輩から命じられたのである。そこで私は、即座に奈良県庁の友人に連絡をして、奈良県挙げての事業として取り組んでもらうこととしたのであった。

あれから五年。何度かの調査踏破を重ねて、ようやくこの五月に、吉野ー高野を結ぶ弘法大師高野山開創の道を再興するところとなった。

吉野と高野の聖地を結ぶ道は、来年に開創千二百年を迎える高野山の慶祝プロジェクトであるとともに、平成の御代に新たな意味をもって、吉野と高野の聖地同士を繋ぐ壮大な事業である。それは世界遺産登録十周年を迎えた「紀伊山地の霊場と参詣道」の内、唯一繋がってなかった吉野と高野の間を結ぶことで紀伊山地の世界遺産霊場の一体化が果たされることでもある。

六月末にはトレイルランナーが、正式レース「KOBOTRAIL2014」としてこの道を駆け抜けた。これも新しい試みである。なぜなら、道は人が通ってこそ道になるのである。高野開創の道は弘法大師が千二百年前に踏破されて以来、実は忘れられた道であった。それを再興したのが我々の開闢修行であったが、更にトレイルランナーが駈けることでこの道は更に道となる。平成の御代に、新しい試みによって、二つの聖地を結ぶ道が再興されるところに現代的な意味が生まれるのに違いないと私は思っている。  (宝)

ー「金峯山時報平成26年7月号所収、蔵王清風」より

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実はこの吉野ー高野の道は、ある大きな意義を持つことに、このプロジェクトに関わりながら気づきました。なにかといいますと、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」は吉野と熊野は大峯奥駈道で、高野と熊野は熊野古道中辺路で繋がっているのですが、吉野と高野の道は繋がっていませんでした。それが、すでの1200年前に、弘法大師によって開かれていたということがわかり、再興されたことで、吉野・熊野・高野の三霊場が名実ともに道で繋がったということなのです。

今年も「KOBOTRAIL2017」として、この吉野ー高野の道をつかってのトレイルランニングの正式レースが、来週の21日に執り行われます。道は人が歩いてこそ、道になるわけですから、途切れずに今後も継承されていくことを念じてやみません。

*写真は弘法大師さま。

「お地蔵さま賛歌ー田中利典著述集290510」

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「お地蔵さま賛歌ー田中利典著述集290510」

過去に掲載した機関誌「金峯山時報」のエッセイ覧「蔵王清風」から、折に触れて本稿に転記しています。

今回はもう14年前の文章。この気持ちはいまも変わりません。日本人、みんなが大好きだった「お地蔵様」。それはいまでも変わらない、と思いたいです。

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「お地蔵さま賛歌」

過日、家の近くのお地蔵さんで地蔵盆のお参りをした。近所の子供達と親が集まり、掃除をして、お供えをして、お勤めをしたのだ。お勤めは般若心経と地蔵菩薩の真言。「おん・かー・かー・か・びさまえー・そわか」と子供達にもお地蔵さまの真言を教えて、一緒にお唱えをしてもらった。

いつの頃からか、日本人は無宗教であるという流言が世間に充ち満ちている。耐えられない流言だ。日本人は決して無宗教であるはずがない。日本人ほど宗教的な民族はいないといっていくらい宗教的なのだ。ばかな文化人か、欧米政策に踊らされた売国奴の人種が垂れ流す誠に無知な流言なのである。

なにをもって日本人は宗教的な民族であるかというと、冒頭に書いた地蔵盆の光景などはその典型的な一例である。村の辻辻にはお地蔵さんが祀られていて、その土地土地に住む子供たちの成長を見守り続け、子供達も村々の鎮守様同様に、辻の地蔵様を拝んできた。

そんなことは誰でもが知っていたし、どこでも行われていたことだった。無宗教の民族がそんなことをするはずがなく、いまだ細々ながらでも続けられているはずがない。子供のそばでいつも見守るお地蔵さんのことは誰もが知っている。

お地蔵さんも拝む、村の鎮守さまも拝む、家の仏壇も拝む、神棚も拝む…それは日本独自の習俗や信仰なのかもしれない。少なくともキリスト教やイスラム教など一神教社会のような唯一絶対の神だけしか認めない民族からすれば、いろんな神さん仏さんを雑多のまま拝んでしまう日本人は無宗教に映るかも知れないが、四季の恵み豊かな日本の風土は、一神教を誕生させた砂漠の民たちには理解できない、多様な価値観を肯定する優れた感性が培われてきたのだ。地蔵盆のお勤めをしながら今更ながらそんな思いを抱いていた。

「おん・かー・かー・か・びさまえー・そわか」のかーかーかーとはお地蔵さんの笑い声である。子供と共に生き、子供の成長を見守り続けた地蔵様の歓声である。この声が聞こえる限り、日本の明日はまだまだ捨てたもんじゃないと思っている。子供達に地蔵さんの真言を唱えさせながら、いつまでもこの地蔵さんの笑い声がとぎれない日本の民衆文化を自負心を持って、継承させていきたいと願うものである

ー「金峯山時報平成15年9月号所収、蔵王清風」より

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この間、子供とお墓参りに行きました。途中で、件のお地蔵様の前を行き来します。そのたびに子供が黙ってお地蔵様にお辞儀して、通っていました。幼い頃、毎日のように、おばあちゃんに手を引かれて、このお地蔵様にお参りしていましたが、そういう日課が、いまでも子供にお地蔵様への、畏敬の気持ちを伝えているのだと思って、嬉しくなりました。変な理屈をこねるより、こういうことが一番大事なのだと思います。

*写真は子供のことが大好きなお地蔵様です。

「壊すだけなら誰でも出来る!」

「壊すだけなら誰でも出来る!」

一昨日書いた「ふるさと喪失を憂う」と昨日の「葬式は無用ではない」は私にとって、実は対になった文章である。

どう対か?いうと、私はかねてより、日本人の人柄を育んだ価値観として、

「お天道様がみてござる」
「ご先祖様に顔向けが出来ない」

この二つが極めて重要だと思っている。そう、ちょっと前の時代は当たり前の、誰もが子供の時に、親や祖父母に教わってきた、心得るべき教えであった。

ところば戦後わずか70年あまりに、こういうことが急速に言われなくなったし、現代人の心の中では、脆くも葬りさられようとしているではないだろうか。

つまり「お天道様がみてござる」というのは、その土地土地に人々が繋がって生きているからこそ、神さまや仏さまに対して生まれる恐れ・感性である。そこには「お天道様」の先に具体的な「世間様」にも繋がっている。

また「ご先祖様に顔向けが出来ない」というのは葬送儀礼をはじめ、先祖供養の心が継承されているからこその、醸成される価値観であろう。

人を人たらしめる倫理感があった。

その両方が崩壊しつつある現代社会。日本はどこに行こうとしているのか、私はそこを強く憂いているのだ。

墓なんかいらない、骨なんかどこかの海にまいてくれ、お金のためなら土地も自然も好きなように開発したらよい、故郷もいらない、子供も、思い出もいらない、自分さえ幸せなら世間などどうでもよい・・・とうそぶく日本人がやたらふえて、まあ、それもいいというならいいのだけれど、壊しただけで、次をつくれないと民族の崩壊を促すだけになっちまわないかい!と憂いているのである。

昨日の記事:「ふるさと喪失を憂う」
http://yosino32.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-fce5.html

一昨日の記事:「葬式は無用ではない」
http://yosino32.cocolog-nifty.com/blog/2017/05/post-5c33.html

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